手元に1939年 8月19日付『東京朝日新聞』の茶色い切り抜きがある。偶然、古書の間に挟まっていたのを見つけた。見出しは「日の丸をめぐる二説。法制化運動起る──事変下、正しき観念へ」。旗面の中心に日の丸を描くという説と、旗面の中心より百分の一だけ旗竿側に日章の中心が寄るという説とが対立し、「未だに決せぬ論議」が続いたという。
1930年、文部次官宛内閣の回答で「百分の一」説の存在を知った文部省は、国定教科書から一斉に日の丸を削除。「国旗日章旗の統一、法制化運動」が起きた。戦後も、日の丸をめぐり「未だに決せぬ論議」がある。国民の関心は高くはないが、今も重要な問題である (http://www.threeweb.ad.jp/~hmt/hanten/ )。
国旗を憲法で規定している国も少なくない(独基本法22条、仏憲法 2条 3項等)。ドイツの場合、黒・赤・金の連邦国旗は、市民革命期の学生運動の旗だ。ワイマール共和国の旗になったが、ナチスが破棄し、戦後復活した。黒・赤・白の旧帝国旗を包装紙 に使っている日本のドイツ菓子メーカーがあるが、これをドイツに持っていくと嫌な顔をされる。旗は国をあらわす。
日の丸を押し立ててアジア諸国を侵略した過去の歴史をきちんと清算し、戦後補償問題にすっきりした解決をはかるまで、日の丸について「未だ決せぬ論議」が必要だろう。