死刑を政策の道具にするな 1997/8/4


1974年、『がきデカ』(山上たつひこ)が「週刊少年チャンピオン」誌に登場した。警官の帽子をかぶり、妙に大人びた顔をした小学生、「こまわり君」が主人公。お尻丸出しで、人を指さし発する言葉が、「死刑!」。これは結構はやった。
  だが、「死刑だぞ」という言葉が脅し文句として通用する国や社会は、文明国家としては完成水準に達していない。死刑とは、「法律に基づいて、税金を用いて、国家が合法的に行う殺人」である。1991年に死刑廃止条約が発効した。世界は死刑廃止に向かって、徐々に、しかし着実に歩んでいる。アメリカは州ごとに執行方法も異なり、3分の1の州で死刑を廃止しているから、国レヴェルで死刑を存続しているのは、「先進国」では日本だけだ。ロシアはこの4月、死刑廃止を規定するヨーロッパ人権条約議定書に調印。7月にはポーランドが死刑を廃止する新刑法を制定した。犯罪はどんな国や社会にもある。凶悪犯罪もあとを絶たない。にもかかわらず、凶悪な犯罪者に対して、残虐な手段で対処するというやり方を止める国々が増えているのだ。
  死刑に犯罪抑止効果があるというのは今や神話と化している。結局、死刑存続の最大の理由は、「被害者感情」ということになる。だが、「死刑は、被害者に代わって、国家が復讐をすることだ」ということになると、応報刑から教育刑への刑罰の歴史的進歩に反する。死刑に関する根本的議論が必要だ。
  ところが、8月1日、永山則夫死刑囚ら計4名が一度に処刑された。永山死刑囚は犯行時19歳の少年だったため、特に議論をよんだ。一審死刑を無期に減刑した高裁判決を、最高裁が死刑へと量刑変更したケースだった。今回の処刑は、「酒鬼薔薇」事件で欲求不満ぎみの世論を満足させ、少年法見直しへの一石、という意図がみえみえだ。50名以上の死刑囚のなかから、どのタイミングで、誰を選ぶかは、法務官僚(刑事局、矯正局)の一存で決まる(法務大臣はサイン機のようなもの)。永山死刑囚は獄中から書物を何冊も出し、ドイツ・ザールラント作家同盟会員でもある。その彼がこのタイミングで処刑された理由は、彼が少年法との関連で話題の人物だったからだ。何ともやりきれない。
  人の命を政策の道具にすべきではない。死刑という制度はそうした側面を本質的に持っている。中国の経済犯罪への死刑適用などはその典型。今回の処刑は、日本も、死刑をその時々の政策の道具にする「野蛮な国」だということを世界に示した。死刑は直ちに廃止すべきである。

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