名護市民は負けなかった 1997/12/22


護の住民投票の結果が出た。過半数の住民が「基地設置ノー」を表明した。一地方自治体の「一票の重さ」が、中央政府にとって、これほどズシンと響いたことはなかっただろう。
  「田中〔角栄〕チルドレン」の橋本首相や梶山前官房長官、故中川一郎氏の秘書あがりで、強引な手法で知られる鈴木宗男・沖縄開発庁長官らの強力なテコ入れ。防衛施設庁職員による組織的な戸別訪問。何千回陳情しても決して付かないような莫大な予算や補助金を、閣僚が現地までやってきて約束する。条件付き賛成派の「拡大運動員用パンフレット」を見ると、基地建設は「万行の好機」であり、「宝山に入りて手を空して帰るなかれ」とある。高齢化が進む貧しい地域に「リゾートアジュール計画の早期実現」などと、破綻したバブル時代のキャッチフレーズも並ぶ。
  こうした露骨な「国家的利害誘導」に、名護の市民は負けなかった。金力と権力を用い、過疎地の住民の足元をみた懐柔策は通用しなかったわけだ。名護の結果は、そうした権力者の傲慢さへの痛烈なカウンターパンチとなった。名護市民の勇気ある決断に、心からの拍手を送りたい。地元紙『沖縄タイムス』も施設庁側の取材拒否にあいながら、市民の小さな声までよく拾い、「知る権利」に奉仕する報道機関としての役割を果たした。名護市民が下した結論は、日米安保一辺倒の政府の安全保障政策の根本を揺さぶっていくだろう。「名護の結果は普天間基地返還を困難にする」という物言いは許されない。名護と普天間を対立させ、沖縄内部を分裂させる手法だからである。
  アメリカ国内にも海兵隊撤退論がある。海兵隊基地の現状維持さえも疑問視する声があるのに、膨大な国家予算を使って新たな基地を建設するのは、究極のアナクロニズムである。沖縄行動委員会(SACO)における合意という点でいえば、普天間の「代替基地」を絶対的条件とすべきではない。名護の住民が民主的手続を経由して「ノー」を表明したというのは「新しい事情」を意味する。こうした条件の変化を踏まえ、政府は、普天間の全面返還を要求しつつ、対米再交渉に全力をあげるべきである。

(本稿後半は、時事通信社への私のコメント12月21日23時 と重なる)
(なお、『沖縄タイムス』1997年12月19日付「地方自治のための『清き一票』」も参照)

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