先月9 日、全国憲法研究会秋期研究総会の司会をやった。学会テーマは「21世紀に向けての平和主義の構想」。企画運営に関わった関係上、進行係をやるはめになった。学会報告は何度かやっているが、学会司会は初体験だ。報告者に時間を守ってもらい、質問を整理し、議論の流れを作る。やってみると、これが結構きつい。自分の意見を言わず、人にいかに意見を出してもらうかに徹するため、かなりの禁欲を強いられるからだ。報告は「平和主義の現況と展望」、「立憲主義と周辺事態法」、「日本国憲法の平和主義と国際社会」、「戦争犯罪と戦後補償」の4 本。いずれも興味深いものだった。周辺事態法の問題については、31歳の新進気鋭の琉球大学講師が担当した。ありきたりの法案批判ではなく、立憲主義の基本原理に立ち返って、平和主義と立憲主義の関係にも新しい光をあてる、力のこもった報告だった。アカデミズムの言説空間において、こうした生々しい問題にどう向き合うかは容易ではない。政治が絡む問題については、できるだけ避けるべきだという意見も学会内には根強いからだ。その一方で、市民運動などの側からは、もっと「運動」に元気を与えるような議論を期待する向きもある。私は、学会である以上、「運動」とはひとまず距離をとりながらも、「時代」に対する研究者の社会的責任という面から、その時々の重大な憲法問題についてもきちんと発言すべきだと考えている。もうすぐ、全国憲法研究会有志名で、周辺事態法に対する批判的見解が発表される予定だ。ところで、大学院時代に英米公法の講義を聴講させて頂き、その後も学会で色々とお世話になっている学者に奥平康弘先生がいる。東大教授などを経て、98年から「フリーの憲法研究者」を自称されている。先生は、近著『憲法の眼』(悠々社)のはしがきで、ここ10年あまりの日本の状況の激変について触れ、こう述べている。「ぼくはいまこうして日本の防衛政策の変化を憲法の観点からちょっと指摘してみたのだが、じつをいえば、こういったことがらをこういった角度から問題にすること自体が、たいへん“かったるい”ことと受けとられる世の中になってしまっている。市民の間に広がる、憲法的平和主義についての物の見方の変化――これこそが、一番問題にすべき変わり様であるのかもしれない。けれども、もし、防衛領域において私たちが憲法にもとづく歯止め論を持つことがなかったならば、国の内外の力に押されて、ついに、われとわが首をしめてしまうような愚かな途を辿ることになるのではあるまいか」。同感である。先生のいう「霞が関の憲法化」を進めるためにも、市民の側の憲法意識を高めることが不可欠である。そのためには、「かったるい」と感じられようとも、いうべきことはいわねばなるまい。11月末、森英樹名大教授と渡辺治一橋大教授と私の共編著で『グローバル安保体制が動きだす――あたらしい安保のはなし』(日本評論社)を出版する。400 頁の超える本で、安保条約の歴史分析から周辺事態措置法案等の検討、年表・資料も豊富で、新輸送艦「おおすみ」のチャフ・ランチャー(レーダー攪乱装置)の写真も初公開する。乞うご期待。 |