『朝日新聞』のコラム「一語一会」に原稿を依頼された(1月12日付夕刊掲載、一部地域は13日付朝刊)。タイトルは「見えない時間に包まれている」。以下、読者にわかりやすいように、歌詞の一部を加筆して引用する。
リラ冷えのころだった。父が倒れたとの知らせに、私は急いで千歳空港に向かった。還暦を目前にした急逝だった。
『葬式はするな。線香をあげ、好きな音楽を流せばよい』と日頃から言っていた父。『通夜はこれだ』と指定していたのが、高田三郎の合唱組曲『心の四季』、その第一曲『風が』である。
〈風が桜の花びらを散らす。春がそれだけ弱まってくる。ひとひらひとひら舞い落ちるたびに、人は、見えない時間に吹かれている。……〉
『見えない時間に吹かれて』齢を重ね、『見えない時間にみがかれ』て輝き、『見えない時間に包まれている』。人の一生を春夏秋冬にそくして歌いあげた透明感のある曲である。10年前、僧侶の読経ではなく、この曲で父をおくった。
20歳で中学教師になり、すぐに結婚。49歳で初孫をもつ。多趣味で、好奇心のかたまり。数学の授業でも、生徒の笑いが絶えなかったという。合唱部やバレー部の顧問までかって出て、生徒との関係は濃密だった。その分、家では無口で、厳格。私が父と二人だけで話した時間は少ない。
ある日突然、『退職届を出して来た』と家族に告げた。『生徒が怖くなったらおしまいだ』と一言。80年代初頭の『荒れる学校』に全力で取り組み、燃え尽きたのだ。 後の7年間は、『晴読雨読』の日々。石仏の写真を撮りに各地を巡る。札幌の大学に勤務する私をブラッと訪ねてきたり、電話一本で資料探しに走ってくれたことも。その矢先の死。『人生の退職届』も突然だった。
父が初孫をもった歳に近づいて、父の生き方を、私自身に重ねながらフッと理解できる瞬間がある。憲法問題について書いたり話したりするとき、数学の授業で笑いをとった父の顔が浮かぶ。仕事や人間関係で困難に直面したとき、父の死で知った『見えない時間に包まれている』という言葉が元気をくれた。最近、父親として、子どもたちにどう向き合えばよいか悩んだときも、この言葉が支えになった。彼らも、私の生き方を理解してくれる日がくるのだろう。
毎年、北海道にライラックが咲く季節になると、書斎に『心の四季』が流れる。