音楽よもやま話 1999/8/23 ※本稿はドイツからの直言です。


ょっと趣向を変えて、番外編を。第1回は音楽について。91年のベルリン滞在時、シャウシュピール・ハウス(現在のコンツェルト・ハウス)の近くに住んでいたので、地元の6つのオーケストラ(ベルリンフィルを含む!)を毎週のように聴いていた(当日券で700円程度も)。だが、ここボンでは、地元ベートーヴェンハレ管弦楽団のコンサートに行って、少々がっかりした。ホールの響きもよくないし、何よりも常任指揮者が凡庸すぎる。シューマンの第1交響曲をメインに、「春」をテーマにした「お子様ランチ」風だったこともあるが、日本のオケの方が水準が高いと思った。拍手もしないで出ようと思ったら、数列先の男性が終わるや否や出ていったので、拍手してしまった(笑)。秋に国際ベートーヴェン祭が行われるが、マーラーの第8交響曲の前売り券だけは買った。「1000人の交響曲」だからといって、数の力で押し切らないことを祈るばかりだ。
  一方、ボン大学の学生・OBらでつくるアカデミーオーケストラの演奏会にも行った。大学の大講堂(Aula)で行われた演奏会の曲目は、ブルックナーの交響曲5番。入場無料。ブルックナー協会会員(会員番号505)だった私としては、会場に一番乗りして、練習段階から客席で聴いた。喧騒のなかから、あの楽章のあのフレーズというように、懐かしい音が聞こえてくる。思わず微笑んでしまう。20時になると、教授や学生、市民らで客席が埋まりだした。ほぼ8割の入り。演奏の方は、学生たちが一生懸命がんばり、なかなか力の入った演奏だった。山岡重信指揮・早稲田大学交響楽団によるブルックナー交響曲第8番の名演奏(1975年、東京文化会館)をふと思い出した。ただ、悲しかったのは、ここの聴衆の態度。ベートヴェンハレのコンサートでもそうだったが、若い人だけでなく、かなり年輩の人までが、演奏中に耳元で囁き合うのだ。聞こえるほどの声ではないのだが、頭の動きがうざったい。あまつさえ、あちこちでチュチュとキスを始めたのには閉口した(私の視野内で少なくとも3組)。この曲は、朝比奈隆・大阪フィルのCD(94年ライブ) では80分37秒かかる。この日の演奏はテンポが早めだったので、72分ほどで終わったが、それでも1楽章ごとに出ていくカップルがいる。長時間の演奏に耐えられないのだ。前席の中年夫婦は、体をもじもじ動かし、いつ出ようかという迷いが体の動きに出る。結局、白眉の第4楽章の始まる直前で席を立った。こうした体験は、ベルリンのコンサートでは一度もなかった。
  先月、オーストリア・チェコを旅行したとき、ザンクト・フローリアン修道院に寄った。ブルックナーの柩とオルガンがそこにある。少し道に迷ったので、到着は14時25分。入口のポスターを見ると、何と14時30分から「ブルックナー・オルガンのコンサート」とある。朝比奈・大阪フィルが75年にここで演奏したとき、2楽章が終わり、3楽章が始まる直前、5時の鐘が鳴り出したという逸話がある。教会の地下に眠るブルックナーが、立派な演奏に微笑んだといわれたものだ。私も、「5分前の幸運」に感謝しつつ、家族を急かして教会内へ。聴衆は20名程度。やおら背後の大オルガンが、ブルックナーの前奏曲とフーガハ短調(WAB131)の演奏を始めた。46年の人生のなかで、探し求めてきた音がそこにある。涙が自然に出てきた。椅子は前方のキリスト像を向き、オルガンは背後にある。音は教会の壁を伝って、複雑に反響しながら耳に入る。だから、日本のホールのパイプオルガンのような乾いた響きではなく、ケルンやベルリンの大聖堂で聴いた時のように、重厚さで圧倒されることもない。「おいしんぼ」風にいえば、どこまでも自然でやさしく、上品すぎない素朴さと味わいをもち、それでいて、どこか人生の哀愁を感じさせるような、滋味と深い香りをたたえた音、とでもいえようか。番外編は不定期で掲載する。