元男性が当選した選挙 1999/10/18 ※本稿はドイツからの直言です。


10月10日。首都になって初のベルリン市(州の扱い)議会選挙が行われた。9 月から10月にかけてほぼ毎週のように行われた州議会や地方選挙の特徴的傾向は、低投票率と、連立与党の社会民主党(SPD) と緑の党の惨敗である。ベルリンも例外ではなかった。ブラント元首相がベルリン市長時代に60%を獲得したSPD は、22.4%という史上最悪の結果だった(前回23.6%)。緑の党はさらに悲惨で、9.9 %に激減した(前回13.2%)。キリスト教民主同盟(CDU) は37.4%から40.8%に、民主社会主義党(PDS) は14.6%から17.7%に、それぞれ躍進した。とくにPDS は東ベルリンで39.5%を獲得。中央区では何と50.1%と、過半数を制した。この党は、旧東独政権党の流れをくみ、東だけの政党と見られていた。だが今回、西でも得票を倍増。同時に行われた区議会選挙では、西の12区議会のうちの8 つで初議席を獲得した。西のクロイツベルク区はトルコ人など外国人が多数住む地区だが、その一人区で、緑の党の帰化トルコ人(31歳)が当選した。緑の党は、ここだけは31.9%で第一党だ。一人区の当選状況を示す地図を見ると、西は真っ黒(CDU) 、東は真っ赤(PDS) に二分され、真ん中のクロイツベルク区だけが緑色。SPD は、かつて全区制覇したこともある一人区で、当選者ゼロという有り様だ。なお、この区でPDS は8.5 %を獲得。3 人を当選させたが、そのうちの1 人が、Frau Michaela Lindner(40歳) 。「彼女」は東のザクセン・アンハルト州のクヴェレンドルフ村の村長(PDS) だったが、任期途中で男性から女性への性転換手術を受けた。村長がある日、突然、口紅とスカートで登場したので村民は愕然。リコール運動が起こり、昨年11月、村長を解任された。性の選択も「人間の尊厳」に含まれると主張したが、理解は得られなかった。傷心の「彼女」は故郷を離れ、ゲイや外国人が多く住むベルリンに住み、弱者保護と社会的公正を訴え、カンバックを果たした。世論調査研究所の分析を読むと、例えば、PDS に投票した人の76.5%が、「社会的公正」を政党選択の基準に挙げている(東地区では88%に達する)。一方、SPD に投票しなかった元支持者の53%が、不支持の理由として、「社会的公正を期待できない」と答えたのが印象的だ。「赤・緑」のシュレーダー政権は、積極的な財政緊縮政策と、健康保健や年金の「改革」を進め、老人・障害者・低所得層などから不満が増大している。もともとSPD も緑の党も、反戦平和を掲げ、社会的公正を訴え、市場経済オンリーの政策をチェックする立場の党だった。それが、ユーゴ空爆を実施し、新自由主義政策推進の先頭に立っている。これはヨーロッパの多くの国々で共通に見られる傾向だ。この間の選挙結果や、クロイツベルク区における帰化トルコ人や性転換者の当選は、新自由主義政策(「新中道」Neue Mitte)の突出に対する批判のあらわれと言える。なお、今年3 月11日、シュレーダー政権の蔵相で、SPD 党首のオスカー・ラフォンテーヌが突然、一切の公職から退いた。ずっと沈黙を守ってきたその彼が10月11日、一冊の本を出版。注目を浴びた。新聞やテレビも大きく報道した。『心臓は左で鼓動する』(Das Herz schlaegt links,Econ1999)。発売日の翌日、平積みの一冊を買い、一気に読んだ。自己弁護が鼻につく部分もあるが、シュレーダー政権の内外政策への批判は鋭い。結びの言葉は、「心臓は市場ではまだ取引されていない。心臓には決まった場所がある。それは左で鼓動する」。SPD の「左バネ」と見ることもできるが、マスコミ(とくにAxel Springer 系)のセンセーショナリズムに乗った執行部批判は、党内だけでなく、市民の受けもよくない。