「自衛のための軍事力」合憲論? 1999/10/25 ※本稿はドイツからの直言です。
インターネットのおかげで、日本の主要紙や地方紙の記事を毎日読み、TBS のニュース23もリアル・プレイヤーで観ている。だが、時には目や耳を疑う出来事もある。西村慎吾防衛政務次官の「核武装発言」など、論評する気も起きない。ドイツの新聞も、「西村副国防相」の発言を取り上げ、「もし強姦罪が存在しなければ、我々はすべて強姦者となるだろう。我々が強姦者にならないのは、刑罰の抑止が存在するからである」と紹介した(Frankfurter
Rundschau vom 22.10) 。下品な大阪弁をドイツ語に翻訳し、それを日本語に訳すと、とんでもない文章になる。知人に、日本人はそんなにあぶないのかと皮肉を言われた。本当に恥ずかしい。一方、ヘーッということもある。6
月頃届いたHP読者のメールのなかに、「自衛のための軍事力は合憲というのが憲法学者の多数の理解だそうですが、本当ですか」という質問があった。自衛戦力合憲論を説く学者も一部にはいるが、「多数の理解」というわけにはいかない。誰がそんなことを、と続きを読むと、作家・井上ひさし氏と不破哲三共産党委員長の共著『新日本共産党宣言』(光文社)なかで、不破氏がそう述べているという。最近友人がドイツに持参したのを借りて読んでみた。「異常な事態に対応する特別の措置として、緊急の軍事力を持つなどの対応策をとることが必要になる場合も出てきます。憲法は『戦力』の保持は禁止しているが、異常な事態に対応する場合には、自衛のための軍事力を持つことも許されるというのが、多くの憲法学者のあいだで一致して認められている憲法解釈ですから、最も厳格に憲法を守ろうとする政府でも、世界情勢にそういう大変動が起こってくるときには、国民の支持のもとに、この権利を行使するでしょう」(148頁)
。思わずヘーッという声が出た。この党が政権についたと仮定した上での議論だから、当然、現行の安保条約や自衛隊のもとでの議論ではない。ただ、1954年以来の政府解釈でさえ、「自衛のための必要最小限度の実力」という表現をしており、「自衛のための軍事力」とは言っていないことに注意したい。自衛のためであれ、軍事力が憲法9
条に違反することについては、「多くの憲法学者のあいだで一致して認められている憲法解釈」である。もともとこの党は、軍隊そのものを一般的に否定するという態度をとらず、安全保障政策でも一定の「自衛措置」を認めてきた。この点が旧社会党の非武装中立政策との分岐点の一つとされてきた。つまり、国家の性格や担い手の問題が重要で、手段の問題はオープンにしておく。将来に向かって完全に手を縛らないというわけだ。憲法論としても、「将来の問題」として、憲法9
条2 項は改正の対象だった。もっとも、近年は9 条2 項を将来的にも擁護する姿勢に変わったようだが。ところで、この本を論評した統一教会系『世界日報』紙8
月29日付は、「軍の必要性を是認しているホンネを表明した点は評価できる」と書いた。常備軍はダメだが、「異常な事態」の緊急対応策としては保有できるという見解だろうと喝破しつつ、同紙は、軍隊の装備や人員養成に時間がかかるので、危機に直面してからでは遅いと批判する。「軍の必要性」を認めた議論を展開すれば、こういう批判が出てくる。だからこそ、憲法研究者は、一切の軍事的選択肢を許さない憲法9
条のもとで、いかなる平和保障政策が可能かを探究してきたのである(深瀬忠一編『恒久世界平和のために--- 日本国憲法からの提言』勁草書房)。