20年前初めてドイツを旅した時、Göttingen郊外のDuderstadtという町に行った。旧両独国境地帯。鹿が地雷を踏み、その爆発音が聞こえたという。のどかな農村風景の向こうに、東の監視塔が霞んで見える。偶然出た「国境の虹」を写真に撮った。いま、アウトバーンを走りながら、それと気づかずに越えている旧国境。そこが「観光名所」になっている。たとえば、テューリンゲンとバイエルンの旧国境の町Mödlareuth
とHirschberg、その北西Philippsthalでは、監視塔やフェンス、検問所などがそのまま残され、「国境博物館」として公開されている。 あれから10年、連邦議会で記念式典が行われた。ゲストはブッシュ前大統領、ゴルバチョフ元書記長、コール前首相、ガウク旧東独秘密警察(シュタージ)文書管理者の4人。二つの意味でミス・キャスト性が指摘された。先の 3人は90年10月3 日(ドイツ統一)10周年記念日のゲストであって、11月9日には、東の市民運動の代表者が演説すべきだ、と。また、直前に追加された東の代表が「なぜガウクなのか」という疑問だ。連邦議会議長とゴルバチョフは、壁崩壊の功労者は政治家ではなく、市民であると強調したが、ブッシュとコールはその点に触れなかった。ガウクは東の市民運動代表の名前を列挙したが、いかにも付け足し的だった。彼はシュタージ文書管理者なので、東の代表としては暗すぎる。ブランデンブルク門前では、若者中心のお祭が行われたが、東の市民の態度は徹底して冷やかだった。 前日の8日。連邦通常裁判所刑事第5部は、クレンツ旧元国家評議会議長ら3人に、旧国境地帯・「壁」における殺人罪の共同正犯として有罪判決を下した。ゴルバチョフは演説のなかで、「なぜこの場に壁を開いた東の政治家がいないのか」「彼らはなぜ刑罰に処せられるのか」と非難した。3年の自由刑が確定したシャボフスキー元政治局員は、89年11月9日の記者会見で口走った言葉が壁崩壊をもたらした人物として有名だ。彼らの恩赦を、連邦議会の超党派の議員たちが要求している。バイエルンの保守党CSUの議員まで、シャボフスキーの恩赦を求めている。「過去の克服」は、刑事罰に処せばいいというものではない、という認識が背後にある。 |