沖縄サミットが終わった。中東和平交渉が気になるクリントンをはじめ、各国首脳にとっても、いま一つ気乗りしないサミットだったようだ。声明もパッとしない。ただ、日本の負担・分担だけはしっかり書き込まれている。日本の首相をやっている男にそれが理解できているか。何とも不安である。途上国首脳との非公式会談やNGOの対案活動など、評価できる一面もあったし、嘉手納基地包囲の「人間の鎖」は基地沖縄を世界にアピールした(保守系Die Welt紙も大きく紹介) 。だが、小渕内閣が沖縄をサミット開催地にした一番の狙いは、名護のMV-22オスプレイ基地建設にある。「宴の後」の無力感のなか、「金縛り」と「サミット縛り」が解けて冷静になったとき、これが現実となって迫ってくる。ところで、昨年6 月、ケルン・サミットを取材に来た朝日新聞那覇支局と沖縄タイムスの記者3 人が、ボンの私のところを訪ねてきた。その際のインタビューが『朝日』99年7月8日付オピニオン「サミット利用、NGOが成果」の一部と、『タイムス』同7月4日付に掲載された。1年前の発言だが、後者のインタビューをここに転載する。
サミットと県民・・・水島朝穂早大教授に聞く(『沖縄タイムス』1999年7月4日付)
来年7月に沖縄で開かれる主要国首脳会議(サミット)。ケルンサミットには、来年のサミットの参考にしようと稲嶺恵一知事を団長とする県調査団が視察を行なった。歴史的にも沖縄開催されるサミットの意義は大きいとの意見が聞かれる。県民はどのようにサミットを受け止め、かかわりを持っていけばいいのか。現在ドイツのボン大学で在外研究を行なっている水島朝穂早稲田大学教授に、現地ボンで聞いた。(政経部・大嶺忍)
――サミットが来年沖縄で開かれる。20世紀最後の年に沖縄で開催される意義をどうとらえるか。
水島 そもそもサミットとは何か。世界の重要問題について、国連や各種の地域機構が重要な役割を果たしつつある中で、ごく一握りの富める国だけが集まって話し合うという意味では、過大評価はすべきでない。「世界の民主化」という長期的視野で見れば、将来的にはなくなるべきものだ。しかし、これが現実の世界政治や経済に大きな影響を与えている以上、日本がどのように関与するかは重要な問題だ。サミット(頂)が日本で一番貧しい県で開かれることは、世界の南北問題を浮き彫りにするという意味で、むしろチャンスかもしれない。肩をはらず、ありのままの沖縄を見てもらうことが大切だろう。首脳だけでなく、世界の市民が見ているのだから。
――沖縄サミットに在沖米軍基地問題をリンクさせるということが言われているが。
水島 沖縄開催には、様々な政治的事情や思惑が絡んでいることは見落とせない。「サミット黒船」とばかり、東京政府が、「基地のない沖縄」を求める県民世論に対して、基地受け入れを認めさせる究極の変化球といえる。那覇でなく、名護で開かれること自体、基地問題を意識したものだ。名護市民は海上ヘリ基地受け入れにノーを言ったが、あの時に東京政府がやった稚拙な利益誘導とは異なり、米国大統領自らの「公約」でも出れば、その効果は絶大だろう。沖縄の米軍基地に対して、「サミット的意味づけ」がなされれば、基地反対の根拠は、「二度と再び戦争を繰り返すな」というだけでは足りない。コソボ戦争で、「人権のための戦争」賛成に向かったドイツの平和運動の一部と同様に、「どのような平和を達成するのか」「なぜ軍事基地があってはならないか」を積極的に示す必要が出てくる。「お祭り」が始まり、歓迎ムード一色で思考停止に陥る前に、言うべきこと、貫くべきことを整理しておくことが大切だ。
――ケルンサミットでは、重債務国への援助延長を求める市民運動「人間の鎖」が行なわれた。稲嶺知事は大変感激し、平和や人権を語れることは素晴らしいと言っていた。知事は、小淵首相にも沖縄から平和を発信したいと要望したそうだ。
水島 ボンの私のところには、ケルンサミットに向け、市民運動からの様々な情報が寄せられた。知事は気づかなかったが、サミットが行なわれた週には、「もう一つのサミット」というシンポジウムがケルンで開かれている。先進国の論理でなく、地球市民の論理で、平和や環境、人権などについて対案を出した。デモや集会なども、当日に向けて連鎖的に行なわれた。これらは5月のハーグ平和会議で提起された行動だ。知事はこうした人々とも会って、国家の論理ではない、市民的論理についてもっと知るべきだった。そうすれば、沖縄から発信する平和の中身についての示唆を得ることが出来たはずである。
――サミットが形骸化しているという意見もあるが。
水島 これだけ複雑化した世界や地球の問題を、豊かな大国が「国家の論理」で仕切ろうというのがそもそも傲慢なのだ。21世紀に向けて、自治体や市民の役割が重要になっている。NGOや自治体外交など、国家を超える活動が各地で注目されている。ヨーロッパでもそうだ。ただ、サミットという世界が注目する瞬間を利用して、世界に問題提起することも大切だ。絶好の機会として、この落ち目の会議を利用する気概を沖縄に求めたい。
――沖縄県民として、どのような姿勢でサミットを迎えたらよいか。
水島 長い琉球の歴史の中にサミット開催を位置づけると、これが一大事件であることに間違いない。琉球は、武器なき国として、アジア諸国との平和的関係を発展させてきた。琉球以来の絶妙なバランス感覚と、豊かな文化を使って、実質的な「外交」を展開できるチャンスとも言えるわけだ。「世界の有名人」が来るのだから、歓迎ムードになるのはある程度予想できる。だが、各国首脳の市町村「誘致」を競う前に、何を、どう伝えていくかをしっかり考えておくべきだろう。マスコミも、お祭り報道が始まる前に、沖縄の基地問題とサミットの関係をきちんと詰めておくべきだ。その際、ヒントになるのは、ケルンサミットの時に市民運動が行なった「対案」型の問題提起である。国家よりも、市民・自治体の視点をより明確に打ち出せる沖縄の強みがここにある。
(1999年6月21日、ボン郊外Oberwinterにて)