研究室の「歴史グッズ」の山のなかに、1932年3月13日のドイツ大統領選挙(第一回投票)の投票用紙がある。同年7月31日の総選挙の投票用紙とセットで、ベルリンの古書店で 購入したものだ。投票用紙はいたってシンプル。5人の候補者名が列記されており、支持する候補者に×をつけて投票する。ドイツでは、支持(賛成)の場合は○ではなく、×をつける。リストの上から2番目にパウル・フォン・ヒンデンブルク、下から2番目には共産党のエルンスト・テールマン、その上にアドルフ・ヒトラーの名がある。私が入手した 投票用紙は、ヒトラーに×がついている。なお、翌4月13日の第二回投票で当選が確定したのはヒンデンブルクだった。7月の総選挙でナチスが第一党となり、翌年1月30日、ヒンデンブルク大統領はヒトラーを首相に任命。ナチ独裁への道が始まった。
この「ヴァイマル共和国最後」の大統領選挙の投票用紙を眺めながら、横の机に広げてある某新聞の号外の大刷りに目をやる。日付は11月8日。横大見出しで「米大統領にブッシュ氏」。「大票田のフロリダでゴア氏を振り切った」と断定している。輪転機が回ってしばらくしてストップがかかり、配付されずに終わった「幻の号外」である。普通だったら、「ブッシュ当選」号外が8日の夕方、サラリーマンの行き交う東京の町中で配られていたのだ。だが、実際には二人の得票はまったく互角。いま、フロリダ州をどちらが制するかに関心が集まっている。投票用紙が州ごとに違い、フロリダ州のパームビーチ郡など26郡で使ったパンチカード方式が誤解を招き、ゴア候補への投票がブキャナン候補に入った可能性があるという。手作業による票の再集計、その停止を求める訴訟……。ドイツのある新聞は、「選挙法治国家」(Wahlrechtsstaat) という見出しで、大統領選挙の結果が、フロリダ州の一地方判事の決定に委ねられるさまを皮肉った(die taz vom 15.11) 。ほとんど泥沼状態だが、この選挙をめぐる最も傑作な言葉は、キューバ外相の次の言葉だろう。「これまで世界中の選挙の判定者になろうとしてきた米国人は、節度と謙虚さを学ばねばならない。米政府が望むなら、キューバから選挙監視団を派遣する」(『読売新聞』11月15日付)。落ち目のロシアもこの選挙では俄然元気だ。モスクワで流行するアネクドート(小話)。困り果てた米政府がロシア中央選管に支援を求めた。ロシア選管委員長が現地に飛んだ。発表された最新情報は、「プーチンがリードしている」(『朝日新聞』11月11日)。
また、10月下旬のユーゴ大統領選挙の際、ミロシェビッチ前大統領側は「僅差だったので決選投票が必要」と言っていたが、アメリカは、ミロシェビッチ陣営の選挙不正を非難。「お前はすでに負けている」と、ミロシェビッチに引導を渡した。もし米大統領選挙のあとにユーゴの選挙が行われていたら、ミロシェビッチは簡単には辞めなかったかもしれない。実は、私は、今回の米大統領選挙の全過程をポジティヴ(積極)に評価している。投票率わずか51%。さらにその半数しか得票できていない(つまり有権者の4分の1の支持しかない)大統領。歴代で最も軽量級の大統領の登場を、私はポジティブに評価している。それはこういう意味だ。20世紀はパックス・アメリカーナの時代だった。だが、21世紀を目前にして、世界中がアメリカ民主主義のアバウトさを目撃した。手作業の票の集計をテレビで観ていた世界の人々は、驚き、呆れた。今後、アメリカが「民主主義の教師」として薫陶を垂れ、他人の選挙に乗り込んでいくことに対して、世界の眼差しは確実にきつくなるだろう。かなりいい加減な手続きで選ばれた人物に、核ミサイルのボタンを押す権限を与えていいのか。この疑問は、核兵器廃絶へのさらなる根拠を与えることになるだろう。「グローバル・スタンダード」を一国で体現する傲慢さも、かつてほどの迫力を持たなくなるだろう。21世紀は、アメリカを相対化する時代になるように思う。これはアメリカ人にとっても、肩の力を抜いて、他国と自然に付き合っていくという意味ではいいことだと思うのだが。なお、「幻の号外」は、私の「号外コレクション」(上海事変の号外や、昭和天皇死去の3カ月前に刷られた「天皇崩御」の大刷りなど)に加えることにしよう。〔11月16日稿〕