知の衰退の危機 2001年2月26日

試シーズンが終わった。私の職場では、学部と大学院(修士・博士)あわせて15種類の入試がある。

一般入試、指定校推薦入試、自己推薦入試、帰国生入試、外国学生入試、社会人入試(修士)等々。その出題・監督・採点・判定、すべてを教員が担うから、ローテーションを組んでも、相当な負担になる。

私自身、各種入試で日曜出勤した回数は一度や二度ではすまない。一年中入試の準備に追われる気分だ。国立大から私大に戻って、「センター入試よ、さようなら」と思ったのは甘かった。99年から入試センター試験の監督がまわってきた。今年も1月の大雪の日曜日、終日拘束された。自分の学部の受験生ならば愛情もわく。少しでも緊張をほぐしてあげようと、配慮もしたい。一昨年入学した学生の授業感想文にこんなのがあった。「高校生の時に先生の講演を聞きました。法学部入試で教室に入ると、水島先生が監督。もうびっくり。『落ちついて頑張って下さい』と言われたので、緊張がほぐれました」。こんな文章に出会うと疲れも吹き飛ぶ。

でも、センター入試では事情が異なる。私の大学を受ける受験生は何パーセントも含まれていない。全国一律、マニュアル通り。私も「センター入試」という国家行事の「業務遂行者」の部品の一つと化す。時間がとてつもなく長く感じる。試験中、問題冊子をめくって、むなしさが加速する。全国一律の、何とつまらない問題だろう。

でも、出題する側の苦しさもよく分かる。いまのような試験のやり方では、試験問題作りは「飽和状態」に達しているのだ。だから、「正しい組み合わせはどれか」という形で、知識のバラ売りでさえないような、クイズ的問題も増えてくる。

センター試験が終わって自宅に戻ると、『三省堂ぶっくれっと』146号(2001年1月)が届いていた。巻頭エッセイ「○×モードの言語中枢」に吸い寄せられるように目がいった。筆者は、ロシア語同時通訳の達人で、テレビ・コメンテーターでも活躍している米原万里さん。彼女は子どもの頃プラハに住んでいたが、帰国して日本の中学2年生に編入したとき、とても面食らったそうだ。テストはほとんど○×式。「次のうちで正しいものはどれか。(1)刀狩りを実施したのは、源頼朝である。(2)鎌倉幕府を開いたのは、源頼朝である。(3) 『源氏物語』の主人公は、源頼朝である」。こんな問題に出会ったとき、彼女は「冗談だろうと思った」という。それまで通っていたプラハの学校ならば、「鎌倉幕府が成立した経済的背景について述べよ」とか「京都ではなく鎌倉に幕府を置いた理由を考察せよ」というような問題が出て、限られた知識を総動員して、ひとまとまりの考えを表現することが要求されたからだ。「ひたすら部品になれ、部品になり切れと迫られるようだった。自分の人格そのものが切り刻まれていく恐怖を感じた」と、米原さんは回想する。担任教師に疑問をぶつけると、「公平な評価をするため」という答え。彼女の疑問は深まっていった。センター入試も同じだ。全国一律で「公平」「公正」。

1979年の共通一次試験こそ、今日の「知」の衰退を招いた起動力になった、と私は思っている。これが実施されて以降、地方国立大学の衰退が進んだ。人々のなかにある「どうせ」というあきらめの発想も、この「知の輪切り」のなかから生まれたように思う。

では、どんな入学試験がいいのか。何回も浪人してやっとこ合格した学生と、推薦をもらって、何の受験勉強も体験しないで入ってきた学生のどちらがのびるかと言えば、一概に言えない。高校時代まで優等生で「のびきって」しまって、入学後、無為に過ごすタイプもいるだろうし、何浪もしたからもう勉強はいやだ、と遊んでしまう人もいるだろうし、その逆もいる。長い面接をやって、ある程度の時間向き合えば、確実に相手が見えてくる。人手と時間をたくさん使えるのならば、これが一番いい方法だろう。でも、これはかなり困難だ。結局、妙案のないまま、来年度の入試に向けた準備に入っている。

昨年ドイツにいて、この超多忙を体験しなかった。それゆえに、「恒常的入試状態」によって失われるもの(時間、意欲、エネルギー)の巨大さがよく分かり、たじろぐほどだ。超多忙による知の衰退も、教員にとって深刻な問題である。

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