防衛オンブズマンのお引っ越し 2001年3月12日

民党の今川正美代議士の勉強会に講師として招かれた。衆議院第2議員会館に入るのは二度目だ。秘書の方が、6年前に同じ会館でやった私の講演に参加されていた。その時の講演は、阪神淡路大震災を契機に災害救助組織のあり方に関するもので、当時の社会党戦略問題研究会の依頼だった。実はこれには鮮烈な記憶がある。

当時は広島大学に勤務していて、講演のため広島から東京に向かったが、羽田に飛行機が着く直前、地下鉄サリン事件が起こったのだ。都内は騒然となっていた。地下鉄を使わないで国会に向かった。

あれから6年。今回の依頼テーマは「ドイツの防衛オンブズマン」。私が1991年の在外研究(ベルリン)の際、現地から雑誌『ジュリスト』に防衛監察委員(Wehrbeauftragte) の報告書を紹介したことがある(拙著『現代軍事法制の研究』所収)。今川氏の関係者がこれを読んで、依頼してきたものだ。

依頼者の問題意識は、自衛官自殺事件である。海自第2護衛隊群(佐世保)所属の護衛艦「さわぎり」(DD157) 艦内で、99年11月に相次いで自衛官が自殺した。これについては半年前に書いた。今川氏は社民党調査団のメンバーの一人だった。調査で「さわぎり」に乗り込んだ際、艦内に「戦死」と書かれたダンボールがあり、驚いて写真を撮ったそうだ。件の写真を見せてもらった。訓練の際、「戦死」役の隊員が首からぶら下げて、その場に倒れるときに使うものだった。そのダンボールが艦内に無造作に置かれており、誰かが、何らかのメッセージを伝えようとしたものかもしれない、と今川氏はいうのだが。結局、この事件は、海上幕僚監部がありきたりの報告書を出しただけ。野党の調査団の活動にも限界があり、遺族の疑問は晴れないままに終わった。この体験から今川氏は、議会任命の防衛オンブズマンの制度があれば、さまざまなケースに対応できて有益と考えたという。その後、「いじめ」疑惑のかかった上官2人のうち、1人が自殺。もう1人の直属上官がそのあと交通事故で死亡した。相次ぐ自殺事件に、上官の自殺と事故死。何やら怪しげなムードだが、単なる偶然といってすまされない問題を含んでいる。

研究会で私は、ドイツの制度の成り立ちと仕組みについて説明するとともに、2000年3月に出た「1999年度報告書」を使って、防衛監察委員の活動について具体的に話した。日本に導入できるかとの質問に対しては、その可能性は小さいと答えた。制度や権限のありようによっては、憲法上の論点も浮上する。不祥事続きの警察に導入する方が先だろうという議論もありうる。当面、そんな法律が国会を通る可能性はまずないだろう。ただ、「部隊の営庭にまで議会統制を及ぼす」という防衛監察委員のコンセプトは、自衛隊員の権利侵害の救済や待遇改善の問題などに役立つし、将来的には日本でも検討に値するように思われる。

なお、ドイツ連邦議会の防衛監察委員もボンからベルリンに引っ越すことになった。連邦議会がベルリンに移ったのは2年前の夏。連邦参議院は少し遅れて、去年夏に引っ越し、去年秋から連邦議会と参議院の両院がベルリンに揃った。そして、さらに時間を置いて、この4月1日を期して防衛監察委員のベルリン移転が完了する。

例年3月中旬に出る年次報告書がもうすぐ私のところに郵送されてくる。今年は従来と同様に、ボン・バートゴーデスベルクのコブレンツ通り郵便局の消印だろうが、来年からはベルリン中央郵便局の消印になるだろう。なお、報告書はドイツ連邦議会のホームページでも入手可能である。

※オンブズマンではなく、男女の別を問わない「オンブズパーソン」という方が適切だが、今回は一般に知られた用語を使った。

p> この事故は、アジア・太平洋地域の「死活的利益」を守るという日米間の国家的約束(「日米安保共同宣言」)の本質をあぶりだした。他国を武力で脅す「軍事力による平和」を追求し続ける限り、こうした「民」の犠牲はなくならない。私たちはもっと怒るべきだと思う。徹底した真相究明と責任の追及、被害者の救済と同時に、「原潜も軍隊もいらない」という声を強めていかねばならない。

>

トップページへ。