水曜の3 ・4 年専門ゼミは毎回、議論が白熱する。授業としては1コマ90分だが、持ち出しで2コマ連続180分の枠をとっている。終了後、学生たちは居酒屋で延長戦に突入するのが常だ。先月「脱ダム宣言」を担当した班は、長野県土木部や国土交通省、下諏訪ダムの下流住民、環境派市民などに分かれて模擬シンポの形をとった。土木部長役の学生は、長野県に電話取材して準備したという。毎回読み切り方式なので、次の週は首相公選論が取り上げられた。中曾根改憲試案の分析やイスラエルの首相公選制、議院内閣制と大統領制との比較など、さまざまな角度から報告がなされた。
首相公選の動機として挙げられる、
(1) 民意の国政への反映の促進、派閥政治の打破、
(2) 政治的リーダーシップの強化、
(3) 国民主権原理の拡大、
(4) 議院内閣制への不信感
などの論点を軸に、さまざまな意見が出た。討論も終わり近くなると、首相公選制に積極的だった学生のトーンが次第に下がってきて、慎重論や否定論が増えてきた。私も、40年前に出された赤茶けた「中曾根改憲試案」※※の実物を見せながら、議論に参入した。試案を入手した経緯や因縁めいた話は『朝日新聞』「記者席」に譲るとして、ここでは中曾根氏の問題意識を紹介しておく。
まず第1。「歴史は繰り返す」わけではないが、中曾根氏も40年前、小泉現首相のように「変人」扱いされた。中曾根氏の首相公選論は、当時の主流派は決して採用しない議論である。氏は、「首相の地位が、国民の手の届かない場所において、国民の意識とはかけはなれた利害打算のうちに、談合の対象となっている」と激しく論難。その原因を議院内閣制に求めつつ、一気に「首相の国民投票制」提唱へと向かう。議院内閣制は政権争奪の制度であると決めつけ、その結果、政局は派閥間のバランスで動き、長期計画の推進による国力の発展など望めないという。
第2に、「マスコミの驚異的発達」により、国民は政治家の良し悪しを皮膚で感じとることができ、「その感覚は平凡ではあっても多数集まれば正しいもの」になる。公選首相は、「派閥の思惑や利害とは無縁に、常に政治と大衆の心のギャップを埋めて政治を安定させ、象徴天皇のもとに民主主義をたくましく前進させる力となりえよう」と。まだテレビが普及途上にあった時期に、テレビの政治利用を見抜いていたのはさすがだ。
第3に、首相が自衛隊の最高指揮権者であることに着目。「いまの制度の首相の下で、いざ国難という場合、自衛隊は喜んでその命令に服するだろうか」と挑発的な言葉も投げかける。
具体的に見ると、試案では、天皇が、国民の選挙に基づいて内閣首相と副首相を任命する、とある(5,79条) 。任期4年で連続再選はできない(79条) 。米国大統領を意識して三選禁止にしたのだろう。なお、試案原本にはそこだけ紙が貼ってあり、その下には「引き続き4回以上選任されることはできない」という部分が透けてみえる。また、首相・副首相は国会議員を兼ねられない(82条)。非常事態宣言(90条) や非常時における国会議員の任期延長(91条) 、緊急政令・緊急財政処分(89 条) などの強力な権限をもつ。他方、国会には、首相を不信任する権限は与えられない。有権者の3分の1以上の連署で、憲法評議会(議長や首相経験者からなる元老院的な機関)に首相解職を請求して、憲法評議会がこれを投票に付し、過半数の同意があったとき、首相は解職される(84条)。「首相リコール」はあっても、国会は内閣不信任決議をなしえない。内閣総辞職の規定もない。中曾根氏は首相公選と言いながら、実質的には大統領制に限りなく接近している。そもそも議院内閣制とは何か。議会に対して内閣が責任を負う制度、議会と内閣との「均衡」の制度、あるいは内閣が議会の信任に依存する制度、といった理解がある。いずれにせよ、不信任決議権や解散権の存否は、議院内閣制の重要なポイントをなす。だが、試案にはそのいずれも存在しない。端的に言えば、試案は、議院内閣制の仕組みのなかに大統領型の強力な執行権を無理に接ぎ木したものと言える。
いま、40年の歳月を経て、再び首相公選制が脚光を浴びているが、この国の議院内閣制の実態の検証や緻密な制度設計はほとんどなされず、国民の支持を調達しやすい「改憲のタクティックス」の側面が濃厚である。将来的に議院内閣制が絶対というわけでもないが、制度の問題と政治(政治家)の質・能力の問題を混同した議論が公然と横行する間は、制度いじりは避けた方がいいだろう。のみならず、米ブルッキングス研究所のウィーバー研究員によれば、「首相公選制は人類が考えついた最も愚かな制度」ということになる(『朝日』5月16日付)。民意の反映という面でも、リーダーシップの強化という点でも、首相公選制を導入したら前進するというものでもない。実際、中東和平で強いリーダーシップが求められたイスラエルで、96年に首相公選制が採用されたが、今年3月、わずか5 年で廃止されてしまった。国民が2票を持った結果、首相選挙では中東和平などの大テーマで投票し、議会選挙では、地元や支持母体の利益を代表する政党に入れる人が多かった。99年選挙では15会派が議席を獲得したが、第一党の労働党でも、120議席中わずか23議席だ。議会の多党化は進む一方である。結局、今年3月、イスラエルは、首相を国会で選ぶ方式に戻った。かつて日本で「首相公選運動」が盛んになったのは1962年から64年の間だった。当時の週刊誌は「首相と恋人は、自分で選ぼう」と、この運動を紹介したそうだ。40年前もムード的な議論だった。政治を極限にまで貶めた「前に首相をやっていたあの男」の派閥の会長だった小泉氏。マスコミをうまく操縦して、8割以上の驚異的な支持を得ることに成功した。やることは全部やるという全力疾走モードだ。この国に民主主義にとって本当に求められているのは、首相公選制の怪しげな議論にのることではなく、小選挙区制導入で歪んでしまった選挙制度を改めることだろう。
※なお、参考として『新聞研究』(日本新聞協会)568号(1998年11月号) 所収の「『信頼は専制の親である』 ――リーダーシップ」もご覧ください。