全国各地の古書店が集まって年に数回、東京のデパートで「大古書市」を開く。毎回、分厚い目録が送付されてくる。8月初旬、新宿で行われた「大古書市」。旭川から神戸までの有力古書店が出した品々は垂涎の一言。100万円単位の古資料、戦前の憲政資料や軍事・警察資料、明治18年の判決言渡書の原本などもある。
私の目にとまったのは、衆議院議員投票所入場券(明治35年)と貴族院「公衆傍聴券」(明治28年)だった。目録の品はだいたい抽選になる。これまでも数多くの「難関」を突破してきた。15年前、某古書店の抽選では、今は故人となった著名推理作家と競って、治安維持法下の特高警察資料を当てたこともある。
会場で抽選結果を聞くと、私が当選していた(^〇^)。
売り場の方が言うには、この日の朝、古書店主らの間でも話題になった品だそうだ。紙切れ1枚とお札2枚。これで一体いくらするなんて、家族には「言えやしない、言えやしないよ」(アニメ「ちびまる子ちゃん」の野口さんの口調で)。
2年前にボンのフリー・マーケットで、ナチス親衛隊(SS)ヒムラー長官直筆の秘密文書を入手した時のことを思い出した。これらの「紙切れ」は、私が死んだら、研究室や自宅書庫に山をなしている他の戦時資料とともに、家族には厄介な「ゴミの山」と化す。だから、その「処分」に関して、今からしっかり遺言しておくことにしよう。
さて、件の入場券だが、第7回衆議院議員選挙の時のもので、個人名が墨で記入してある。約100年が経過しているので、実名で紹介する。京都府南桑田河原林村字向原尻(現在、京都府亀岡市)綾野竹次郎。名簿番号は18番。投票所は河原林村役場。明治35年(1902年)8月10日午前7時より午後6時まで。投票管理者は河原林村長・桂文夫。村長公印も押してある。この時の有権者は「直接国税10円以上納める25歳以上の男子」である。
第一回衆院選挙は1890(明治23)年。当時は「直接国税15円以上」だった。15円と言えば、高額納税者だ。有権者総数は450852人。全人口の1.13%だった。選挙に行くのはお金持ちという時代である。この時の投票率は、議会制度史上で最高の93.91%だった。
1900(明治33)年の選挙法改正で、「直接国税10円以上」に5円引き下げられた。1902(明治35)年選挙に適用され、有権者総数は982868人と、倍になった。それでも、人口比で2.18%である。投票率の方は少し下がって88.39%だった。この時、選挙に棄権した11万4110人のうちの一人が、綾野さんだったわけだ。なぜ彼が選挙に行かなかったのかは知るよしもない。だが、棄権したからこそ、いま私の手元に、彼が持っていた投票所入場券があるわけである。
投票所入場券は、当時の人々から見れば、まさにステータス・シンボルだった。ちなみに、1920(大正9)年選挙では直接国税3円以上に引き下げられ、有権者は人口の5.50%になった。納税額による制限が外され、普通選挙が導入されるのは、1925(大正14)年の普通選挙法の制定を待たねばならなかった。この時、治安維持法も同時に制定されているのだが、実は普通選挙法のなかにも仕掛けが作られた。選挙運動制限の3本柱、すなわち事前運動禁止、戸別訪問禁止、文書図画制限である。庶民の代表が議会に進出するのを阻止せんとする意図が読み取れる。
なお、この時の選挙運動規制は現行公選法に引き継がれ、憲法上の問題を引きずっている。特に戸別訪問禁止(公選法138法)については、下級裁判所の段階で違憲判決が複数出されており、大変疑問な規制である。
さて、この普通選挙法に基づく最初の選挙が、1928(昭和3)年に行われた。納税額による制限はなくなったものの、25歳以上の男子に限定され、女性には選挙権がなかった。この時の有権者は人口の19.98%だった(ちなみに投票率は80.36%)。
1945年の公職選挙法により、ようやく20歳以上の男女が選挙権を有することになった。1946年、戦後最初の総選挙の時、有権者は人口の48.65 %だった(投票率は72.08%)。なお、2001年7月の参院選時の有権者は人口の79.7%。投票率は58.83%(比例区)である。有権者が人口の1%台の時は、ほとんどの有権者が投票に行った。その後は一貫して漸減していき、今日では50%前後に落ち込んでいる。
今回の参院選で投票に行ったのは、全人口の45.8%である。小泉人気に支えられた驚異的勝利と言われているが、自民党の比例区の得票率は36.2%、有権者比で20.8%(絶対得票率)、対人口比では16.6%である。議会多数派とは、有権者の5人に1人の支持でも形成可能ということだ。与党が「国民多数の支持を得た」と言っても、額面どおりにはとれないだろう。
なお、貴族院傍聴券も興味深い。「傍聴人心得」には、服装は「羽織袴又ハ洋服ヲ著スヘシ」「帽子又ハ外套ヲ著スヘカラス」とある。後者は、琉球大学の高良鉄美教授が常に(学会報告の時も)帽子をかぶっておられることと関連している。薄汚れた、小さな紙切れとはいえ、そこから色々なことが見えてくる。
〈付記〉「わが歴史グッズの話」は「雑談」とともに、適宜掲載していく。