因縁の対決というのがある。ワールドカップのイングランド・アルゼンチン戦(6月7日・札幌)の話ではない。カシミール地方をめぐるインドとパキスタンの対決である。両国は核武装をしており、「最高の備え」をもつ国である。その「備え」がいま、世界の「憂い」を増大させている。両国が核兵器を使えば、1200万人が死ぬと予測されている。悪夢である。両国の意地の張り合いに任せていれば、戦争になる可能性がある。
ところで、両国の因縁の対決の根っこには宗教的対立があるとされている。インドはヒンズー教徒が8割を占め、パキスタンはイスラム国である。2つの宗教の間には、次のような違いがある(森本達雄「インドの苦悩と世界の希望」『軍縮』1993年4月号)。多神教的なヒンズー教に対して、イスラム教はアラーのほかに神を認めない「絶対的一神教」である。ヒンズー教には偶像崇拝が不可欠なのに対して、イスラム教徒にとって、それらはただの石ころにすぎない。ヒンズー教が楽器や歌を伴うにぎやかな礼拝儀式を特徴とするのに対して、イスラム教は静粛をむねとするので、ヒンズーの儀式は騒音に聞こえる。ヒンズー教が厳格な一夫一婦制をとるのに対して、イスラム教では4人までの妻を認める。ヒンズー教徒が神聖視する牛をイスラム教徒が食い、イスラム教徒が忌み嫌う豚をヒンズー教徒が食す。一見、対立は不可避のようでも、ヒンズー教徒とイスラム教徒が隣り合って生活するところはたくさんある。宗教が違うから戦争になるというのは飛躍がある。ただ、政治指導者が、そうした民衆レベルにある宗教的な感情を利用して相互の不信を煽れば、それが大きな対立に発展する芽はある。国連の平和維持活動(PKO)の古典的なものは、「国連インド・パキスタン軍事監視団」(UNMOGIP)で、その開始年は1949年1月。半世紀以上も活動しているが、紛争はなくならない。今回はパキスタンが核兵器保有国となってから初の本格的対立なので、より高度な仲裁が必要となっている。
因縁の対決と言えば、ちょうど10年前の4 月にボスニア紛争が始まった。92年4月6日、サラエボが突然戦場となり、3年間にわたり泥沼の戦争が続き、5万の命が失われた。未だに200万の地雷が埋まっている。最近、「サラエボ世代 バルカン戦争10年」という評論を読んだ(die taz vom 5.4.2002)。子ども時代の一部を防空壕で過ごした若者たちの分析である。普通に生活し、インターネットをつなぎ、「世界社会」の一員たろうとしている彼らは、戦争を生み出した古いイデオロギーとは無縁だ。狂信的なナショナルなイデオロギーは力を失ったものの、いまなお存在している。サラエボから数キロ先のセルビア人地域には、戦争遂行者のカラジッチやムラジッチが潜伏している。でも、サラエボの若い世代は、年輩者のような怒りによる対応をしない。顔の見える距離での戦争を体験した人々にとって、「備えあれば憂いなし」という言葉は無意味だ。チトー時代からの全人民武装(軍事装置の分散)という「備え」が底無しの内戦を生んだのである。
因縁ついでに、もう一つ。いまから20年前の1982年4月2日。アルゼンチンが、大西洋上の英領フォークランド諸島(→こちらもどうぞ)を占領し、領有を宣言。英国との本格的紛争に発展した。フォークランド紛争である。でも、フォークランド紛争は回避できたと言われている。81年5月に最初の警告を発したのは一人の男だった。英国外務省中南米局長。彼は、8月に英国が話し合いに応じなければ、アルゼンチンが軍事行動に出る可能性が高いとする情報機関の分析を首相に提出していた。だが、サッチャー首相は話し合いをせず、アルゼンチンの行動を待った。そして、サッチャーは迅速に動き、戦争をしかけた。その結果、両国あわせて1000人近くが戦死した。誰もが「まさか戦争になるとは」と思いながら、実際に戦争に突入していった。前線の兵士も、まさか本当に撃ち合いになるとは思いながら、死んでいった。当時、英国が誇る豪華客船「キャンベラ」も有事徴用され、兵員輸送船として英国と現地を往復した。この客船の「出陣」は英国人に感慨を覚えさせた。炭鉱ストが続き、福祉政策の見直しなど、国内的に不人気だったサッチャー首相にとって、戦争は国民の気持ちを一つにする最も効果的な手段だった。何千キロも離れた南の島とはいえ、「大英帝国の威信」が踏みにじられたのだと煽り、その解決のために軍隊を投入する。驚いたのはアルゼンチンだ。まさか、本当に英国軍が攻めてくるとは思っていない。そこで両軍の最前線では、「不本意な戦闘」が行われ、多くの命が失われた。3カ月の戦争は、経済的どん底にあったアルゼンチンに決定的なダメージを与え、インフレは年率100%を超えた。英国も直接戦費だけでも5億ポンドを支出。その後も負債を背負いこんだ。皆が不幸になった。この戦争こそ、不人気政治家が人気挽回のためには「備え」を使って何でもするという見本だろう。パームビーチ郡の票の数え直しで、村長選挙なみの接戦で辛うじて「当選」したブッシュ大統領もまた、不人気挽回のため、あえてテロリストを泳がせていた可能性がある。いま、アメリカでは、FBIの捜査官の有力なテロ情報を黙殺したブッシュへの非難が高まっている。いずれ、「やっぱり」という事実が出てくるだろう。
完璧な「備え」があっても、ペンタゴンへの自爆テロを防げなかった。むしろ、過剰な「備え」が紛争につながる。哲学者カントは『永遠平和のために』で、なぜ常備軍を全廃するかの理由として、「費やされる軍事費の増大で、ついには平和の方が短期の戦争よりもいっそう重荷となり、この重荷から逃れるために、常備軍そのものが先制攻撃の原因となる」ことを挙げている。重要な指摘である。
ところで、2002年札幌、イングランドとアルゼンチンの「因縁の対決」が、フォークランド紛争が終結してから、ジャスト20年後の今週6月7日に実現する。オリンピック中継にもワールドカップにも全然関心がなく、家族のなかで一人浮いている私も、6月7日札幌での一戦だけは注目することにしよう。