土崎空襲と「誤爆」の論理 2002年9月2日

い夏の盛り、8月15日前後に、テレビに登場するお決まりの映像がある。原爆投下のシーン(きのこ雲が明瞭な長崎の映像が多い)に続き、「朕深ク世界ノ大勢ト帝国ノ現状トニ鑑ミ…」という「玉音放送」をバックにして、焼け野原の東京の映像が流れる。そのため、原爆投下のあと、すぐに「終戦」になったというイメージをもつ人は少なくない。だが、8日にはソ連が対日参戦。9日にはソ連軍の大部隊が「満州」になだれ込み、「中国残留孤児」を生み出す惨状が展開されていた。その時、関東軍の高級軍人たちは、「朝鮮国境を死守せよ」という命令により、民間人を置き去りにして遁走した。沖縄では民間人の犠牲を強いる泥沼の戦闘が継続していた。南方での戦闘停止はさらに後だ。15日正午に天皇の「玉音放送」ですべてがきれいに終わったわけでは決してなかった。
  米軍は、日本のポツダム宣言受諾が確定したのに、「終戦」前日の14日、「消化試合」あるいは「在庫一掃」よろしく、軍事的に無意味な爆撃を行っていた。まず、14日正午前から山口県の岩国駅鉄道操車場を爆撃(115機)。午後1時過ぎから光海軍工廠(167機)、同じ時刻に大阪砲兵工廠(161機)をそれぞれ爆撃した。動員された若い女性たちが多数死んだほか、目標を外れた1トン爆弾4発が京橋駅に落ちて、上下線ホームに到着したばかりの満員電車2列車(4両編成)を直撃。200名以上の死者を出した。さらに、夜10時半頃から翌15日未明にかけて、B29 130機が秋田市土崎港周辺を3波にわたり空襲している。投下された爆弾は1万2000発。死者92人。日本石油秋田製油所が目標だったが、住宅地にも爆弾が降り注いだ。さらに15日深夜0時半頃からは、埼玉県熊谷市と群馬県伊勢崎市が空襲されている(93機)。その帰途、B29の一部が神奈川県小田原市に残弾を投下。作戦を終了した。何ともビジネスライクな殺戮である。
  米軍側の記録によると、陸上爆撃はこれで終わりなのだが、第313航空団による下関海峡などに対する機雷投下作戦は14日夜から行われ、15日深夜2時8分に終了となっている。これらは、米軍マリアナ基地の『作戦任務要約』『作戦任務概要』に掲載されている(小山仁示訳『米軍資料・日本空襲の全容』東方出版)。
  米軍は空襲前に警告の伝単(ビラ)を撒布したことはすでに触れた。秋田市にも同種のものが撒かれた。秋田の土崎空襲について、「終戦」前日というフレーズにひかれて、佐々木久春編『証言・土崎空襲』(無明舎出版)を『秋田魁新報』のサイトで知り入手した。のべ100人の証言が集められているが、そこにこういう発言が出てくる。「明日終戦だっていうことは、前の日〔注・13日〕聞いたわけなんです。それに空襲あるども思わないし……」(松沢文子)、「…十三日に私のどころに電話がかかってきたんです。それが、もう日本は戦いに敗れて降参したんだどこういう電話なんだ」(加賀谷保吉)等々。一家6人が犠牲となった佐野喜代さん(76歳)は、「もっと早く、12時間だけ早く終戦の結論が出ていたら」と、「怒りとやるせなさが胸にこみあげました」と語る(「広報あきた」2000年8月25日号)。なお、土崎を爆撃した米第315飛行隊では、この日、ポツダム宣言受諾と戦争終結の情報が飛び交い、いったん飛行中止の指示があったが、なぜか「続行」命令が下ったという。そのことを元隊員が証言している資料を、57年間「なぜ、14日だったのか」にこだわり続けている市民グループが入手した(『秋田魁新報』8月15日付)。
爆撃写真  私も最近、米軍の一次資料を入手した。航空写真の現物で、太刀洗飛行場(福岡県)への空襲(1945年3月27日)の際に撮影したものだ。少し拡大したものを見ると、目標周辺に隙間なく爆弾が落ちていることがわかる。3枚目を見ると、地上の日本軍機がかすかに見える。超高空から爆弾を落とせば、爆弾は目標をそれる可能性が高くなる。当然、周囲の民間施設にも被害が出る。超高空から狙いを定める側にとって、目標周辺の犠牲は「誤差」の範囲内になる。この時、近くの立石国民学校の児童の上にも爆弾が落ちた。終業式帰りの生徒たち30数名が死亡した(「頓田の森の悲劇」)。これも「誤差」の問題にすぎないのだろうか。

  今回のアフガン戦争でも、一般市民に多数の犠牲者が出ている。7月1日、米軍は結婚披露宴を爆撃して、新郎新婦の親族など40人以上が死んだとされた。米軍は現場の証拠隠滅工作を行ったとされ、国連はそのことを含め報告書にまとめたが公表されなかった(『朝日新聞』8月1日付)。なお、『読売新聞』8月29日付は、非公表とされていた報告書を抜いた。それによると死者の数は80人以上。当初の倍である(爆弾ではなく、機関砲とロケット弾だったという)。こうした場合、「誤爆」という表現がされる。フレンドリー・ファイヤー(友軍攻撃)とは、よく言ったものだが、そもそもアフガニスタンへの「空爆」それ自体が最初から目標を外れた「構造的誤爆」だったのではなかろうか。
  ジュネーヴ条約第一議定書(1978年)51条4項は、無差別攻撃を禁止している。無差別攻撃と見なされるのは、「予期される具体的かつ直接的な軍事的利益に比して過度の付随的な文民の生命の損失、文民に対する危害、民用物に対する損害、又はそれらの組合せを生ぜしめると予想できる攻撃」も含まれる。目標を事前に十分調査して、民間人に犠牲が出るのを極力避けることは攻撃側の義務とされる。国際刑事裁判所の発足により、民間人に大量の犠牲者を出すような「空爆」が起きれば、その軍事作戦の立案者も、承認した政治家も、作戦を遂行した軍人も、「民間人の犠牲が出ることを知りながら攻撃をしていた」ならば、戦争犯罪に問われる(A・クラプハム教授〔ジュネーヴ国際関係大学院〕『毎日新聞』8月3日)。これまでも、またこれからも、世界一の爆撃能力をもつのは米軍である。国際刑事裁判所の発足をあの手、この手で妨害する理由が透けてみえてこよう。

  さて、爆撃機を保有して、他国の大都市を爆撃した経験のある国はそう多くはない。米国、英国、日本、ドイツ。日本は中国の都市重慶に対して執拗な爆撃を行い、多数の市民を殺した。ドイツはピカソの作品「ゲルニカ」で描かれた爆撃をはじめ、英国本土への空襲などを行った。英国もドイツの都市空襲に参加した。だが、都市を爆撃し、一般市民を殺傷するという「履歴」だけで見れば、米国は世界一である。「戦略爆撃」という発想そのものに、自分だけ安全圏にいて、高い空の上から相手の都市を任意に標的に選んでいく傲慢な姿勢が感じられる。常に「落とす側」の目線をキープし続けてきた米国。9.11を経験してもなお、「落とされる側」の気持ちを理解できないこの国は、「先制攻撃」を叫ぶことで世界から孤立し、さらなるテロを呼び込もうとしている。

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