変わる38度線・韓国レポート(1) 2002年11月11日  

10月25日から28日まで、「現代韓国の安保・治安法制の実証的研究」(代表・徐勝立命館大教授)の日韓共同研究プロジェクトで、ソウル大学で開かれたシンポジウムに参加した。わずかな4日の短期滞在だったが、大変充実した内容だった。シンポジウムでの議論や、国防大学院での陸軍中将や佐官クラスの研究者との安全保障論議については後に触れることにして、シンポジウム前後に行われたフィールドワークについて、何回かに分けて書いていくことにしよう。

太陽政策のパンフ  シンポジウム翌日は朝から抜けるような青空。気温はかなり低い。バスをチャーターして非武装地帯(DMZ)に向かう。ソウル市は非武装地帯からわずか47キロ。北朝鮮の重砲の射程距離内である。途中、建設中の高層団地群が見えた。戦争が起こればひとたまりもない。38線の間近に多くの人を住まわせるという計画自体、戦車が再び38度線を越えて行き交うことはないという前提に立っているとしか思えない。

  渋滞もなく、1時間足らずでオドゥサン統一展望台に着いた。漢江と臨津江の合流地点にあり、眺めはすばらしい。望遠鏡でのぞくと、北朝鮮の家や人々が見える。白いきれいな建物が並ぶが、この一帯は北朝鮮の宣伝村だそうで、金日成資料館や人民学校、対南放送基地などもあるという。このあたりこには、忠誠心の強い人や軍人以外は住めないだろうことは容易に想像がつく。

  臨津閣に向かう。食べ物屋やお土産屋が並び、遊園地のゴンドラまである。まさに観光地である。ただ、あらかじめパスポート番号を通知して事前に申し込みしなければならない。DMZに入る人数と、出てくる人数が一致しなければならないわけだ。一人ひとり、バスのなかで警備要員にパスポート提示を求められる。道路際には地雷注意の赤い三角マーク(これは万国共通)のほかに、黒いドクロマークもある。韓国兵の顔も厳しい。ベルリンの壁崩壊前に3度東ベルリンに入ったことがあるが、そのときの国境警備兵の鋭い視線を思い出した。

  1978年10月に発見された「南侵第3トンネル」に入る。長さ1635メートル。幅2.1メートル、高さ1.95メートル。地表から73メートルの地下に作られている。1時間で北朝鮮軍1個師団を侵入させられると解説パンフにある。どこも写真撮影は厳禁である。トロッコで下まで降りるようになったのはごく最近のことで、それまでは徒歩だった。ラッキーである。白いヘルメットをかぶって三人掛けの席に座り、ゴトゴトと音をたてて地下73メートルまで降りた。途中狭くなっているところもある。トンネルは、削り方がかなり粗い。背の高い人ならかがむほど。実際には1.95メートルもない。幅も心持ち狭く、ここを1個師団が1時間で通過できるとはとても思えない。1秒で1人が走り抜けるとして、3600人がやっとだ。トロッコで戻ると、次の客が全員白ヘルをかぶって待っている。子どもやカップルもいて、「テーマパーク」のノリだ。ここでは解説する兵士は、英語と日本語と韓国語に分けてやっている。MP(憲兵)の腕章をしているが、観光ガイドのような仕事がもっぱらである。
  お土産物を売る店では、北朝鮮グッズとしてお酒や食べ物などを売っているが、私のお目当ての「38度線グッズ」は2種類しかなかった。鉄条網一つは、DMZ鉄条網の断片である。朝鮮戦争50周年記念で、DMZから撤去されたもので、150625セット作られたうちの一つという。地元の坡州市長が、「本物です」と保証している。私のシリアルナンバーは002763。長さ18センチだから、鉄条網の全長は27.1キロということになる。貯金箱もう一種類は、板門店・共同警備区域(JSA)の韓国と北朝鮮の警備兵の貯金箱である。顔はどう見ても、「ヤンボー、マーボー天気予報」のノリだ(日本テレビ系が入らない方面はご容赦)。
  2000年6月15日の南北首脳会談以降、北朝鮮に敵対的な表現や映像などはめっきり減ったという。第3トンネル手前の展示館で見たDMZ解説映画にも驚いた。のっけから「朝鮮半島を南北に分断する軍事境界線。その両側に2キロずつ広がる非武装地帯は、野鳥をはじめとする自然の宝庫。世界に誇る貴重な動植物の楽園になっています」で始まる。北朝鮮を非難するイデオロギー的宣伝映画は、太陽政策を進める政府の意向で自然保護地帯ヴァージョンに差し替えられたという。展示館で、政府パンフレット「平和と協力を目指す太陽政策」を入手した。38度線の鉄条網が開かれ、男女の子どもが踊る写真が何とも微笑ましい。2000年9月18日の南北間鉄道連結着工式の日に撮られたもので、「鉄条網に咲いた赤いバラ」で始まる「ヨーロッパピクニック計画」(1993年NHKスペシャル)を彷彿とさせる。
  このパンフで特に印象に残るのは、経済分野の記述だ。「自由の橋」を渡る京義線の電車の写真の横には、「将来、TSR(シベリア横断鉄道)及びTCR(中国横断鉄道)と連結する。ヨーロッパとも連結可能」とある。「韓国は、休戦ラインから12km離れた北韓の開城に6500万平方メートル規模の工業団地を3段階に分けて開発することにし、今年中に第1段階の工程に着手する」。

  パンフに出ていた京義線の韓国側最北端、都羅山(Dorasan)駅を訪れる。兵士が各所に立って、写真撮影禁止を厳しく告げる。駅舎の中に入る。真新しい銀色の改札で駅員と並んで、三人の兵士が乗客をチェックしている。カメラのシャッターを切った。兵士の一人がキッと睨みつけた。やがて五両編成の電車は静かに出ていく。この路線は、今年4月11日から営業運転が始まった。1日3往復だ。やがて、半世紀にわたって分断されていた南北の鉄道を連結する工事が完成すれば、政府パンフにあったように、中国横断鉄道とシベリア鉄道を通って、ソウルとロンドンが結ばれる日も夢ではない。島国日本と違って、韓国が大陸の一角にあることを改めて実感した。
  なお、現在、非武装地帯(DMZ)周辺の地雷の撤去作業が行われている。この地帯には200万個の地雷が埋められているという。韓国側は非武装地帯周辺だけで100万個を敷設。朝鮮戦争当時だけでなく、キューバ危機の際にも大量に埋められた。対人地雷の犠牲者は1992年から98年で死者44人(うち民間人19人)にのぼる(『朝日新聞』1999年8月24日付)。北朝鮮はDMZから1キロ、韓国側は4キロに渡って地雷を敷設している。この点について、最終日に会った国防大学院教授(現役の陸軍大佐)は、「この地雷の敷設の仕方を見れば、北朝鮮がいかに攻勢的で、韓国が防禦的かがわかる」と胸をはった。北朝鮮には地雷除去技術がないので、韓国軍が地雷除去技術(英国製地雷除去装置MK-4) を援助するという。すごい変化である。「先生方は運がいいですよ。11月1日から地雷除去作業が始まるので、DMZ周辺は立ち入り禁止になります」と案内の方に言われた。
  朝鮮半島(韓半島)は、いろいろと困難は多いが、平和的な方向に着実に進んでいるという確信をもった。

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