在韓米軍地位協定の「現場」へ(2) 2002年11月18日

ウル大学でのシンポジウムのほかに、短期間にさまざまな人に会い、さまざまな場所に行った。第1日目、空港から直行したのは戦争博物館だった。国防省正面にそびえる、巨大な「護国の殿堂」(パンフより)。広場では伝統的な踊りや、流行の音楽に乗って女性兵士のバトン演技(ものは模造小銃)が行われている。ふと気づくと、私のすぐ後ろには若い兵士たち10数人寄ってきて、一様に目を輝かせて女性兵士の演技に見入っている。身長180センチの巨漢だが、顔は幼い。中学生もたくさん来ている。「軍隊に親しむ」ため、毎週金曜日に行われているという。米軍基地女性センター「トゥレバン」(米兵に被害を受けた女性の会)幹事の女性は、「こんな軍国主義的なところは来ません」と、私たちを案内するために初めてここを訪れたのだという。「6.25戦争」(日本では朝鮮戦争)の展示がやはり圧巻だった。学校の校庭で、学生たちが北朝鮮兵と死闘を繰り広げる展示は鬼気せまる。「海外派兵室」というネーミングに思わず足をとめた。韓国はベトナム戦争に参加して多くの戦死者を出すとともに、荒くれ部隊がベトナム民衆を殺して悪名を馳せた。それとPKOが一括して「海外派兵」として括られているのが面白い。

  博物館の隣が龍山米軍司令部である。徒歩で見て回った。首都の真ん中に巨大な米軍基地がある点では、横田基地を持つ東京と同じだ。路上には、先頭機動隊韓国の戦闘機動隊(警察だが軍隊的組織)がズラリと並び、通行人を威圧している。機動隊車両はコバルトグリーンで妙に明るく、よく見ないとそれとわからない。防護楯と鎮圧棒が剥き出しに置かれていた。そのまま車で、市内の合同法律事務所へ。「民主主義のための弁護士会」に所属する、李貞姫弁護士(女性、米国の学位取得)と李碩兌弁護士(男性)に話を聞いた。2人とも在韓米軍問題に詳しい。 米韓相互防衛条約が締結されたのは1953年だが、在韓米軍地位協定(SOFA) が締結されたのは1967年である。その間、米軍犯罪について韓国側は何もできなかった。67年以降も、米軍犯罪についての不平等性は際立つ。米軍の軍属や家族が犯罪を侵したときは、米軍が刑事管轄権を行使する。韓国側に専属管轄権がある場合でさえ、米国側が要請すれば韓国は管轄権を放棄する。刑が確定し、韓国の刑務所に収監中の米兵でも、米側の要請で本国に帰すことができる。公務中の犯罪は、第1次裁判権は米側にある。日本との違いで大きいのは、日米地位協定17条が、日本側が起訴した後に、米軍の被疑者を身柄拘束できるのに対して、在韓米軍地位協定22条では、判決言い渡しの後でないと韓国側は身柄拘束できない点である。李貞姫弁護士は、具体的な数字を挙げながら、在韓米軍地位協定の不平等性について説明していく。2000年の米軍犯罪の起訴率は7.4%という。最近、米軍基地問題について、一般民衆の関心が急速に高まっており、全国的にも基地反対運動や地位協定改定運動はかつてない広がりを見せている、と李碩兌弁護士はいう。9.11後にブッシュ政権が北朝鮮を「悪の枢軸」として挙げたことについて、韓国の民衆のなかに反発が起きているという。ブッシュ政権のイラク攻撃については、韓国世論は反対が圧倒的に強いという。米軍に対する怒りが大きく高まる契機となったのが、「尹グミ事件」である。

  1992年10月28日。東豆川にある米軍専用クラブ従業員だった尹グミさんが殺害された。性器にコーラ瓶が、肛門には直腸にかけて27センチもカサが突っ込まれ、全裸の遺体に白い合成洗剤の粉がまかれていた。目撃者の証言により、2日後に、米第2師団第25歩兵連隊のマークル・ケネス二等兵が逮捕された。94年に懲役15年が確定した。
  38度線からの帰途、事件が起きた東豆川の第2師団周辺を取材した。東豆川市は人口73000人。そこに米軍人1万人が常駐する。キャンプ・ケーシー入口には、この部隊の象徴であるインディアンの像が立つインディアン像。訓練を終えた車両が帰還してくる。重機関銃を搭載した高機動車も。周辺は「基地村」として、米兵の遊ぶ施設がまとまって存在する。ゲート前で地元市民グループが出迎えてくれた。一緒に基地村を歩く。米兵相手のバーや娯楽施設などが並び、ひと昔前の在日米軍基地周辺の雰囲気と似ている。基地村女性支援施設「ダビタの家」へ。キリスト教会の牧師が中心になって運営している。売春婦関係の調査を行い、詳細な資料を保有している。若き日の前読谷村長山内徳信氏によく似た風貌の牧師さんは、尹グミ事件の凄惨な写真を示しながら、基地問題への取り組みについて熱く語ってくれた。売春婦は韓国人が少なくなり、いまはロシア人300人、フィリピン人300人だそうだ。ロシア女性と一緒にマフィアもやってきて、ロシア人関係の犯罪も増えているという。基地街が犯罪の巣となる構造的問題を抱えていることを実感した。エイズも広まっており、牧師さんはエイズにかかった女性の面倒をみる施設も運営しているという。牧師によれば、尹グミ事件から10年後のいま、住民の基地への意識は変わってきたという。まず、基地は経済的に潤わない。周辺の店は他の地域の人が経営しているのが多い。住民は基地の周辺に追いやられており、住民は基地撤去を求めているという。聞き取りが終わると、牧師は私たちを尹グミさんが殺された現場の部屋まで連れていった。徒歩数分で着いた。凄惨な殺人現場の部屋。さすがに写真は撮れなかった。周囲から女性が出てきて、怪訝そうに私たちを見る。どうみても「客」になりそうにないなという顔をしている。目撃証言をした惣菜屋の横を通る。尹グミさんが殺された場所への狭い路地一本。ケネス二等兵はここでばっちり顔を見られたという。
  現地を訪問した日は、尹グミ事件10周年の追悼の催しが行われる日だった。それに参加するために市内に向かう。この近くでは、今年6月13日に米軍装甲車が女子中学生2人をひき殺す事件も起きている。狭い通学路に巨大な装甲車が入ってきて、中学生をひき殺したため、住民の怒りは特に大きい。農協前の通りには遺影伊グミさんと2人の中学生の遺影を掲げた祭壇が設けられている。通行人が次々に署名をしていく。中学生が数十トンの装甲車に押しつぶされて、脳漿が流れ出した凄惨な写真がカラーで展示されている。公道上だが、尹グミさんの残虐な写真もカバーをかけて、立ち止まってめくれば見られるようにしてある。遺体の写真をストレートに出す点は、日本では考えられない。
  女子中学生の事件は公務中の犯罪(業務上過失致死)のため、第1次裁判権は米側にある。だが、韓国政府は初めて、第1次裁判権の放棄を米軍に要求した。韓国側で裁判することを求めたのだ。だが、米軍が第1次裁判権を手放したことは一度もなく、この要求に応じる動きはない。市民の怒りは大きく、在韓米軍地位協定の改定要求となってあらわている。前述の李貞姫弁護士は、在韓米軍地位協定の改定要求として、(1) 裁判権の韓国側への移行、(2) 初動の段階で韓国警察が捜査権を行使できるようにする、(3) 起訴と同時に勾留可能にする、(4) 米軍人の過剰な保護を廃止する、(5) 上訴権を確保する、の5点を挙げていた。同弁護士は、在韓米軍は韓国民の「公共の福祉」のために駐留していない、と在韓米軍駐留の正当性がないことを強調する。なお、帰国後、自宅書庫の基地関係コーナーにあった徐勝監訳『駐韓米軍犯罪白書』(青木書店、1999年)を再読した。「軍事暴力文化、弱小民族に対する覇権支配に裏打ちされている〔在韓〕米軍基地の存在自体が犯罪である」という末尾の一文は、かつて読んだときは迂闊にも見落としていた。

  沖縄では、95年の少女強姦事件以降、日米地位協定改定の要求が高まり、県議会と県下全市町村議会で改定要求決議が挙がっている。ドイツでは統一後、NATO軍地位協定の改定が行われ、被疑者段階で米軍人の身柄拘束が可能となった。日米地位協定では、身柄拘束は起訴後であり、在韓米軍地位協定では判決(当然、有罪判決)が出た後である。韓国では、せめて日本並み、つまりに、起訴後の引き渡しを求めている。日本政府は起訴前引き渡しを求めて交渉をすることを断念。米側の「好意的考慮」に期待して、運用に委ねた。この問題についての本土側の関心は低い。今後、韓国の状態を改善するためにも、日韓の市民が手を結ぶ必要があろう。その意味で、沖縄と韓国の問題意識の共有は重要である。

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