国際法違反の予防戦争が始まった 2003年3月24日
3月20日午前11時半すぎ(日本時間)、ブッシュ・ドクトリンに基づく対イラク「予防戦争」が開始された。国連安保理決議もない、一見きわめて明白に国連憲章違反の侵略行為である。第一撃はフセイン大統領の殺害を狙ったものだという。超ハイテク兵器を使った、一国の元首の暗殺。ブッシュはこれを「神の意思」という。当初は「9.11テロ」との関係を強調し、次に「大量破壊兵器の脅威」を前面に押し出し、最後には、フセイン体制転覆(体制転換)が直接の目的とされた。米国に都合の悪い政権は、武力で取り替えるという宣言にほかならない。「イラクの自由」作戦という名称も、傲慢無恥の極致である。
3月初旬、ドイツ国防政務次官のW・コルボウが、「ブッシュは独裁者だ」と発言して物議をかもしたことがある。保守野党からは直ちに罷免要求が出された。しかし、本人は3月10日に訂正発言をして、米国の「一面的な決定の独裁」について語っただけだと反論した(Frankfurter Rundschau vom 11.3.03) 。「独裁者」(Diktator)ではなく、「独裁」(Diktatur)といったまでだ、と。ブッシュをヒトラーになぞらえたとして法相を辞任した人がいたが、この国防次官はなかなか腰が座っている。ブッシュ政権は独断と独善、独行と独走、独演と独占のオンパレード、まさに独裁というにふさわしい。コルボウは間違っていない。
1648年のウェストファリア講和条約は、30年にわたる宗教戦争に終止符を打った。国家が暴力を独占し、国家主権をもつ国民国家が誕生した。それ以降、国民国家の連合体が二度の世界大戦を経て、国際連合という形で登場した。その国連による集団安全保障システムが、ブッシュらによって大きく傷つけられた。ブッシュが昨年9月に出した新戦略に基づく「予防的自衛」「先制自衛」の路線の具体化である。こうしたやり方は、国際社会の非難を浴びている。米国内でもニューヨーク市議会までが戦争反対決議をしている(3月12日)。孤立しているのは米国ではなく、ワシントンの中枢部である。「ネオコン」(新保守主義者)の「ギャングスター」「石油マフィア」「キリスト教原理主義者」に乗っ取られたホワイトハウスこそ、世界で一番危険な「ならずもの」の巣窟であり、「大量破壊兵器の使用」に関して明白かつ現在の危険の存在する地域であり、「平和に対する脅威、平和の破壊又は侵略行為」(国連憲章39条)の震源地ではないのか。
ここで、「ブッシュの戦争」を正当化する議論を紹介しよう。コール政権の閣僚も務めた憲法学者R・ショルツ教授の「予防戦争は正当たりうる」という論稿である(Die Welt vom 12.3.03)。かつて基本法コンメンタールの編者にもなったショルツはいう。
ヨーロッパでは、米国が安全保障政策を根本的に転換し、従来の抑止的・対応的な危険防禦のかわりに、予防的危険防禦ないし「予防的自衛」(preemptive self defense)のコンセプトを打ち出したことが見過ごされてきた。核・生物化学兵器などの大量破壊兵器がテロリストによって使用される危険に対して、戦時国際法の古典的な手段、特に抑止的な自衛や武力行使の原則では十分ではない。国際的な安全保障環境の変化により、効果的な予防が必要となる。効果的な予防は軍事的選択肢を含む。これは攻撃(侵略)戦争の原則的禁止と無関係である。なぜなら、ここで重要なのは防衛だけであって、攻撃(侵略)ではないからだ。軍事的予防措置は最後の手段をなし、その限りで比例原則の一般留保に服する。軍事手段の発動の前に、政治的・外交的危険防禦のあらゆる手段がくる。これが十分でない場合に、軍事的予防攻撃の権利が開かれていなければならない。軍事的措置は原則として国連安保理の授権を必要とし、国家の単独行動は補完的にのみ考えられる。個別的・集団的自衛権は性質上、正当な予防的自衛措置の枠内にある。国連もNATOも、このことを早急に受け入れなければならない、と。
ブッシュ・ドクトリンの正当化論だが、かなり無理がある。国連憲章51条は自衛権について、2つのハードルを設けている。1つは、武力攻撃の「現在性」(現に武力攻撃が行われたこと)の要件である。将来の危険や「おそれ」だけでは不十分であり、51条から予防的措置を引き出すのは困難だろう。2つ目は、憲章が、自衛権行使の場を、安保理が適切な措置をとるまでの間に限定していることである。攻撃がまだ行われていないのに、それ以前の段階で、国家が単独行動を予防的に開始することは、51条と整合しない。結局、予防的自衛措置が自衛権に含まれるという解釈は、国連憲章51条からは出てこない。したがって、「国際環境の変化」を理由に憲章の要件を緩和することは、憲法改正における「解釈改憲」にならっていえば、「解釈改憲章〔国連憲章〕)を指向するものといえよう。国家の単独行動を補完的にではあれ正面から承認せよと強く迫るショルツの言説は、ドイツ連邦政府が米国の行動に厳しい姿勢を取りつづけていることに対する、保守派のリアクションの一つではある。ただ、論理的にもかなり無理があり、とうてい支持できない。
トップページへ