毎年のゴールデン・ウィーク(大型連休)は、私にとっては「連続不休週間」で忙しい。今年はとくに大変だった。5月2日6時から和歌山市内で講演。翌早朝5時25分発の列車で大阪に向かい、伊丹空港から始発便で札幌に飛んだ。JALとJAS の「統合」で、関西空港から札幌に向かう午前の早い時間帯の便が4月から廃止されたためだ。和歌山からの移動時間は、関空なら30分ですむが、伊丹だと2時間以上かかる。ダブル・ブッキングでヘリ移動した役者に比べれば、はるかにスケールは小さいが、私にとっては大変だった。航空会社も、銀行の合併・統合と同様、利用者のことなんぞ眼中にないという証である。
思えば、私が憲法記念日に講演をするようになったのは、1986年の釧路講演が最初だった。33歳だった。これを皮切りに、毎年5月3日は日本のどこかで講演するのが常となった。87年札幌、88年なし(ドイツ滞在)、89年札幌、90年なし(広島大学赴任直後のため)、91年なし(ドイツ在外研究)、92年広島、93年大分、94年東京(全国憲講演会)、95年山口、96年なし(全国憲事務局として、講演会のロジ担)、97年東京&富山、98年山梨、99年なし(ドイツ在外研究)、2000年広島、2001年徳島、2002年岡山、そして2003年和歌山&札幌となる。正月の直言で「まだ一度も講演していない12県を優先しながら…」と書いたら、それを出した翌日に和歌山の弁護士から電話がきた。「和歌山はまだのはずですが…」と切り出され、即決した。その後、ある県から来年5月3日の講演予約が入った。残りは10県となった。
毎年、憲法記念日で焦点となるテーマがある。今年は、イラク戦争と北朝鮮問題、それに「有事法制」問題であった。……と、ここまでは、札幌から戻ってすぐに書いた文章である。この続きを書かないうちに、5月15日、「有事」関連3法案が衆院で可決されてしまった。「今日は何の日」と問われれば、5.15事件(1931年)と沖縄本土復帰(1972年)の日、変わったところで「ストッキングの日」となろう。これに、「日本の平和のかたちを決める重大法案が、あっけなく衆議院を通過した日」が加わった。衆院の出席議員の9割が賛成した。憲法記念日から2週間もたたないうちに、自民党と民主党の特別委筆頭理事による修正協議が一気にまとまり、そのまま採決となったものだ。合意後の修正案についての実質審議は行われなかった。札幌講演の主催者は民主党系の団体だったが、「有事」関連3法案には反対の立場が強かった。私の話にも大いに共感してくれた。北海道の民主党関係者にはそういう人々が多い。だから、民主党執行部がこんなにも簡単に賛成にまわったことについて、地方の関係者のなかには落胆している人が多いのではないか。民主党執行部は、法案に基本的人権保障が盛り込まれたことを「成果」だというが、これまでの反対から賛成に転換した理由としてはあまりにも不十分である。弁護士出身議員も多いはずで、本当にそれで納得できるのだろうか。これでは、撤退を「転進」と言い換えた旧日本軍と変わらない。大変残念である。以下、『毎日新聞』の依頼で緊急執筆した論稿を転載する。2003年5月19日付朝刊オピニオン欄「論点」に掲載されてたもので、お読みになった方も多いと思う。この欄は3人の論者が登場するが、今回は拓殖大学教授の森本敏氏、作家の麻生幾氏と私だった。
戦争加担の危険法案 水島朝穂(早稲田大学教授)
この法案の成立は、3つの意味で、日本の憲法史における重大な汚点となるだろう。
第1に、戦争と武力行使・威嚇を放棄した憲法のもとで、具体的な戦争加担の仕組みを立ち上げることになるという点である。イラク戦争に見られるように、日米安保条約の締約国たる米国は、自衛権の発動とはならない段階でも武力行使に出る、国連憲章にも安保条約にも違反する先制攻撃路線に転換した。その米国が、北東アジア地域において先制攻撃に着手したとき、日本は「武力攻撃予測事態」を認定して、対処措置を前倒しで開始する。その場合、この法律の「備え」としての性格は、純粋な「楯」ではなく、「矛」の一部ともなりうる。その「矛」の機能を、自治体職員や、業務従事命令の対象となる職種の人々、指定公共機関に働く人々などが強制される恐れがある。民放連や海員組合などが強く反対しているのは、一般市民よりも、そうした事態への切迫感が強いからだろう。
第2に、一国の安全保障政策の内容と方向を決定する重大法案が、与野党の筆頭理事2人により急遽まとめられた修正案に基づいて、実質審議もなしに可決されたことである。昨年7月、民主党は「有事」関連3法案の問題点を10項目にまとめ、「法案の出し直し」を求めていた。そこでは、「周辺事態」との区別が曖昧なことや、米軍との関係が不明確で「政府の恣意的な判断によってわが国を武力紛争に巻き込む懸念がある」などの諸点が的確に指摘されていた。今回の修正合意では、民主党がこの1年余の間に鋭く追及してきた本質的な問題点はどこも解決していない。賛成に転じた理由として、基本的人権保障の明記を挙げるが、疑問である。憲法学の観点から言えば、一般の法律に「基本的人権の尊重」を明記したからといって、人権保障が充実したと考えるのはあまりに楽観的にすぎよう。戦後制定された違憲の疑いが強い法律には、必ずこの種のイクスキューズ(言い訳)の条文が付加されるのが常だからである。反対から賛成に転じた説明も不十分だ。これでは、節操なき「転進」ではないか。
第3に、アジアと世界の人々に誤ったメッセージを発信してしまったことである。北朝鮮の核開発問題など厳しい現実はあるが、この地域の平和と安定のためには、韓国や中国などと密接な外交的連携を保っていくことが大切である。「日米同盟」一辺倒で対応するのではなく、アジアに軸足を置いた協調的集団安全保障体制(欧州のOSCEタイプ)を立ち上げる方向で努力すべきだろう。いま、米国の先制攻撃路線を支える「有事」システム整備に突き進む日本の姿は異様に映る。イラク戦争における英国の役割を、北東アジアで行うというメッセージにもなりかねない。二院制の本来の任務からすれば、参議院においては慎重な審議が期待される。参院民主党は、昨年7月の10項目の線に立ち返って十分な審議を尽くし、法案の「出し直し」を求めるべきである。
(『毎日新聞』2003年5月19日付「論点」)