屁理屈から無理屈へ 2003年12月22日

権の最高機関」である国会における憲法論議は、きわめて重要な意味をもつ。
   今月、これに関連した書物が2冊、編(著)者から送られてきた。浦田一郎他編『憲法答弁集:1947-1999 』(信山社)と前田哲男・飯島滋明編著『国会審議から防衛論を読み解く』(三省堂)である。前者は、憲法制定以来の政府解釈の集大成であり、憲法問題を深く考える上で有益である。後者は、イラク派兵を前にした現在、特に報道関係者が座右において、政治家たちの発言をチェックする際に使ってほしい好著である。その「あとがき」にこうある。「国会における質疑討論とは憲法に関する国会議員の『知的水準』が測られる場であり、同時に国民の『憲法意識』もそこに反映される」「防衛論議には『国民の生存と安全』がかかっているがゆえに、質問者の考え方や舌鋒の鋭さも聞いておかねばならない。率直に言って、国会議員の論争力はPKO国会時とくらべても格段に低下したように思う」。
  まったく同感である。予算委員会などを舞台に、各党の論客が白熱した論戦を展開し、国会中継がけっこう視聴率をとった時代がかつてあった。そうした国会論戦を通じて、政府の有権解釈も形成されてきたことは見逃せない。

  例えば、「戦力」と「自衛力」の区別がある。憲法9条2項を素直に解釈すれば、自衛のためであれ何であれ「戦力」を保持することはできない。政府も、「自衛戦力合憲論」の立場はとっていない。1952年3月10日の参院予算委で、吉田首相(当時)はその数日前に行った戦力容認答弁をこう訂正している。「自衛のためでも戦力を持つことはできない…憲法の改正を要する」と。1954年12月以来、政府は、憲法9条2項が禁止する「戦力」の定義として、「自衛のための必要最小限度の実力を超えるものをいう」としてきた。「自衛力合憲論」である。2004年は、政府がこの解釈を打ち出してから50周年「記念」の年になる。「自衛力」は合憲だが、それを超えるものは「戦力」となり、したがって違憲となるというのが政府解釈である。だが、自衛隊がれっきとした「戦力」であることは、30年前の長沼一審判決(札幌地裁)が認定した通りである。それでも、政府は、自衛隊は「自衛力」であって「戦力」ではないという立場をとり続けている。
  普通の人の感覚からすれば屁理屈と感じられるだろう。だが、半世紀以上にわたって、日本が自衛隊を使って直接戦争の当事者になることはなかったという現実もまた重い。半世紀前の「自衛力合憲論」という「屁理屈」をベースにして、「専守防衛」、徴兵制違憲解釈、集団的自衛権行使の違憲解釈などが生まれ、今日まで妥当してきた。「憲法の枠内」という言い方の基本は、「自衛のための必要最小限度を超えれば違憲となる」ということだから、「必要最小限度」を超えるような装備(大陸間弾道弾、戦略爆撃機、攻撃型空母など)は持てないし、「必要最小限度」を超える自衛隊の活動(集団的自衛権に基づく活動)はできない。
  では、「必要最小限度」とはどの程度をいうのか。それを超えれば違憲の「戦力」となるというが、それを測る基準は何か。政府は、国際情勢と兵器の水準を挙げてきた。国際情勢が緊迫し、相手国の兵器水準が高度化すれば、「必要最小限度」も上がってくるという理屈である。そのため、空自の作戦機を例にとれば、発足当初のF86セイバーと、現在のF15イーグルがともに「必要最小限度の実力」ということになるわけだ。F86とF15とでは、幼稚園児とプロレスラーくらいの差があるのに、ともに合憲とされる所以である。

  こうした政府解釈は、冷戦が終わってしばらくして、鋭く問われることになる。およそ半世紀前、参議院が「自衛隊の海外出動を為さざることに関する決議」(1954年6月2日) を行うなか、自衛隊は「わが国を防衛する」ことを主たる任務として発足した。だが、湾岸戦争後の掃海艇派遣(自衛隊法99条の無理な解釈による)を皮切りに、1992年のPKO等協力法により、自衛隊の海外派遣ルートが次々に啓開されていった。今から見れば、この時の国会審議が重要だろう。この時展開された「屁理屈」が、イラク派兵を前にしたいま、改めて確認される必要がある。この点で、前田・飯島編著『国会審議から防衛論を読み解く』は、問題ごとに論点をピックアップしていて便利である。

  「海外派遣」と「海外派兵」、「指揮」と「指図」、「PKO」と「PKF」、「武器使用」と「武力行使」といった区別が、国会の審議を通じて明確にされていった。「武力行使の目的をもって、武装した部隊を、他国の領土・領海・領空に派遣する」行為が「海外派兵」である。武装していない施設大隊を、道路工事の目的で外国に送ることは「海外派遣」である。「海外派兵」ではない。こういう答弁が続いた。特に重要なのは、「武器使用」と「武力行使」の区別である。自己または自己と共に現場に所在するわが国要員の生命・身体を防衛することは、自己保存のための自然権的権利というべきものだから、そのために必要な最小限の「武器の使用」は、憲法9条1項で禁止された「武力の行使」にあたらない、というのが政府の立場である(1991年9月27日政府統一見解)。上官命令により、統一的に武器を使用すれば武力行使になるという配慮から、この時は、上官命令による武器使用は否定された。つまり、隊員が個々の判断で武器を使うのが原則とされていた。だが、そうした個々の隊員の判断を上官が「束ねる形で武器を使用することはあり得る」という答弁があらわれた(1991年9月25日・衆院PKO特別委、池田防衛庁長官)。

  一般の感覚すれば、自衛隊は軍隊である。だから上官命令以外に武器を使用することはあり得ない。確かにこれが軍事的合理性にかなっている。だが、自衛隊は軍隊ではない。「…自衛隊を、今後とも軍隊と呼称することはいたしません。はっきり申しておきます」と断言したのは佐藤首相だった( 参院予算委1967年3月31日) 。わが国が攻められ、防衛出動が下令された後に初めて、自衛のための武力行使が可能になる( 自衛隊法88条) 。
  だから、海外での自衛隊の活動に際しては、ぎりぎり個々の隊員の判断のところで、軍隊の活動ではないという「屁理屈」が編み出されたわけである。この軍隊になりきれない部分を、いわば「矛盾」として批判することはたやすい。しかし、その矛盾は、憲法9条との緊張関係のなかで歴史的に生まれたものである。その矛盾の解決形態は、政府にとっては、憲法改正を別にすれば、自衛隊のなし崩し的軍隊化の道だろう。1998年にPKO等協力法24条が改正され、上官命令による武器使用が可能となった。さらに2001年の改正で、「自己の管理下に入った者」を守るためにということで、個々の隊員の「自然権的権利」から、しだいに武装集団の組織的な武力行使の方向に転換しつつある。しかし、憲法が存在する以上、武力行使は許されないという理屈はぎりぎり保持されている。だから屁理屈が必要になってくるのである。

  小泉内閣になってから、首相や閣僚による、憲法軽視の発言が続いている。とりわけ小泉首相の口からは、驚くような軽口が次々に飛び出してくる
  「多くの国民が自衛隊は戦力だと思っているのは、常識的に考えてそうだと思いますね」(衆議院武力攻撃事態特別委2002年5月7日) 。事務方は飛び上がった。歴代首相のうちで初めて、自衛隊は戦力であると言い切ったからだ。だが、マスコミの追及は鈍かった。「首相がそれをいっちゃぁ、おしめぇーよ」の世界だ。半世紀にわたる自衛力合憲論を捨て、自衛戦力合憲論をとろうとしたのか。小泉首相にそこまでの決意も度量も読みもないだろう。「瞬間タッチ断言法」のなせる技である。
  「どこが非戦闘地域でどこが戦闘地域かと今この私に聞かれたって、わかるわけないじゃないですか」(7月23日、党首討論)という首相発言もひどい。周辺事態法をめぐる国会審議の頃から、「武力行使の一体化」はできないという立場で、一体化しなければOKという伏線で、憲法9条の規制緩和がはかられてきたが、テロ特措法で「外国の領域」が入って以来、「戦闘地域」と「非戦闘地域」の区別論が中心になった。1999年の周辺事態法までは、ぎりぎり「わが国」に軸足を置いていたが、テロ特措法とイラク特措法により、その軸足が離れたといえる。「わが国を防衛する」自衛隊が、自衛隊法の本則(3条)の変更なしに、いわば「他衛隊」と化しつつある。
  しかも、戦闘地域ではないが、テロの危険は否定できないという理由で、テロリストに対する「正当防衛権」行使も云々されている。そもそも正当防衛(刑法36条) は自然人に帰属するのであって、組織的・系統的な活動を行う部隊等が、自然人のように正当防衛権を行使するのではない。国家の暴力装置たる自衛隊の組織的な武器使用こそ、武力行使そのものである。小泉首相&CO. は、「屁理屈」さえ放棄して、「無理屈」の世界に入りつつあるようである。

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