参議院選挙で問われたこと 2004年7月12日
先月末、札幌で学会報告をした帰りのタクシーのなかで、聞き覚えのある声が聞こえてきた。運転手さんに方向転換をしてもらった。街角で「あの声」の持ち主が熱弁をふるっている。「北海道からの反乱」というノボリ。政策よりももっぱら「情」に訴えている。タクシーを待たせて、彼の写真を数枚撮る。憲法50条の「議員の不逮捕特権」について語るときの「資料」にでもと思ったのが甘かった。カメラに気を取られているうちに、気がつくと候補者が私の前に笑みをたたえて迫ってきた。アッと思う間もなく、彼の手が私の手をガッチリ捉えていた。やや冷たい手だったが、握力は強かった。
それから10日ほどたった7月8日の朝、SBC(信越放送)の「Jのコラム」に出演した。生番組なので電話出演である。テーマは「参院選の争点」。これまで3回出演しているので、ぶっつけ本番、生放送だ。女性アナウンサーは、「年金問題やイラク多国籍軍問題などいろいろな重要な争点がありますが、先生はどのようにお考えですか」と聞いてきた。私は、「今回の選挙は、参議院の存在そのものが隠れた争点です」と答えた。アナウンサーの声に明らかに動揺が走った。想定していない答えだったからだろう。私はこう述べた。参議院は、衆議院が決めたことをただ追認するのではなく、もう一度考え直すように仕向けるという意味で「国権の再考機関」だ。3年に一度の議員の半分入れ換えという形で、衆議院と参議院の緊張関係だけでなく、参議院内部の構成上の違いもつくり出し、微妙に国政上の修正をはかることができる。89年の参院選で与党が大敗したのは、消費税導入に対する国民の怒りの反映だった。貴族院のような民意抑制機能ではなく、日本の参議院は「民主的二院制」であるゆえに、このような民意の多様な反映を可能にする。〔82年の選挙法改正以降〕政党化が進み、本来の参議院の役割が果たされていない。71年の河野参院議長の参院改革のなかに、参議院は「理の政治」を追求し、強行採決はしないという確認をしたが、年金法改正案は参議院厚生労働委員会で強行採決された。今度の選挙は、89年と同様の事態が起こることが注目されると同時に、参議院の存在そのものが問われる選挙になるだろう、と。アナウンサーは納得した声になって番組は終わった。それでは、実際の選挙結果はどうだったのだろうか。
この原稿を書いている11日午後11時20分現在、大勢がほぼ判明した。自民党は改選議席を下回り敗北。民主党が大きく躍進した。民主党は、年金問題などに関連して、国民の怒り、不安、不満の受け皿になったと見られる。だが、投票率は上がらなかった。56%前後。戦後3番目の低投票率だった2001年参院選とほぼ同水準である。ある県の選挙管理委員会はPR用に仮面ライダーを登場させ、「トーッ」と蹴り上げると、ショッカーが「ヒョーッ」とのけぞって「トーッ、ヒョーッ」(投票)キャンペーンをはった。こうした涙ぐましい啓発活動にもかかわらず、有権者の多くは投票所に向かわなかった。これは日本の憲法政治にとって由々しき問題だろう。1971年参院選の59.2%が「驚異的低投票率」として、当時の河野謙三参議院議長は危機感を抱き、参院改革の必要性を説いた。今回の投票率は、その「驚異的低投票率」よりも低かった。ちみなに、私の手を握った候補者は落選した。
さて、今回は、『月報司法書士』(日本司法書士会)連載中の「憲法再入門Ⅱ」から転載することにしたい。タイトルは「参議院はいらない?」である。参院選直後ということで、参議院のそもそも論を確認してもらう意味を込めて。
参議院はいらない?
◆「こんなものいらない」
かつて大橋巨泉氏が司会をした「巨泉のこんなものいらない!?」という番組があった(日本テレビ系)。挑発的な切り口で、世の中にあるものの存在意義を改めて問うという趣向である。それにあやかり、憲法上の制度や仕組みにつき、「○○はいらない?」というアングルから述べていこう。タイトルを見て「オヤッ」と感じられる方もあると思うが、しばらくお付き合いを願いたい。第1回目の「こんなものいらない?」は参議院である。本号が読者のお手元に届く頃には、3年に一度の恒例行事、この機関が全国的に注目される時期にあたるだろう。
◆衆議院のカーボンコピー?
学生を連れて、千代田区永田町1丁目7番地1号を見学したことがある。50畳の天井をもつ中央塔を境に、向かって右側が参議院である。議事堂内を歩くと、衆院と参院ではいろいろと違いのあることに気づく。参院の場合、旧貴族院の名残が随所に見られる。特に天皇の「御休所」の豪華さ。入口は一枚の徳島県産大理石(時鳥)で作られており、天井は総刺繍。10年近くかかる総うるしの柱が4本も飾ってある。
建物だけでなく、組織や仕組みも見事に二つに分かれている。例えば、参院採用の職員は決して衆院に配置換えされることはなく、参院職員で定年を迎える。このように両院はそれぞれ独立しているのだが、法案が成立するまで同じような審議を二度もするので、「参院は衆院のカーボンコピーのようだ」という言い方がされてきた。でも、この例えは古くなっただろう。若者にとっては、昔のカーボンコピーよりも、電子メールを送る時に、関係のアドレスを付加するときに使う「カーボンコピー(CC)」機能の方を想起するだろう。
何事も能率性と効率性、費用対効果が重視されるご時世である。慎重審議で同じことを繰り返す二院制は確かに分が悪い。「税金の無駄遣いだ」との素朴な声から、迅速で効率的な国家政策の立案を主張する立場から「参議院不要論」も唱えられている。
◆二院制の意義
二院制とは、議会を二つに分けるのではなく、立法権を二つの独立した機関に分けることと理解される。では、なぜ二院制なのか。フランスでは、一般意思が単一ならば、それを代表する議会も単一であるべしという考えが強かった。だから、民主主義の原理からは当然には二院制の制度設計は出てこない。各国議会が加盟する「列国議会同盟」によれば、183 カ国のうちで、二院制を採用するのは68カ国という(2003年現在)。 二院制は民主主義の要請というよりは、「議会による専制」を予防するための権力分立的発想がベースにある。ただ、二つの院が相互に抑制しあう関係になるためには、第二院の選出母体や選出方法などを、第一院とは違ったものにする必要がある。英国の貴族院のようなタイプから、ドイツの連邦参議院のような、州政府の首相・閣僚からなるタイプなど様々である。日本のように第二院が直接選挙で選ばれるタイプはむしろ珍しい。日本国憲法は、二院制の採用をするとともに(42条)、両議院が「全国民を代表する選挙された議員」から構成されると定める(43条)。「民主的二院制」とされる所以である。
参議院の存在理由としては、①民意の多角的な反映、②第一院の多数派による専断を防ぐ、③任期が長く、解散がないという形で急激な政治変革を回避できるなどが挙げられる。なお、ドイツでは最近、連邦憲法裁判所長官が連邦参議院を「上院」(Senat) に変えるよう提言した(Die Welt vom 10.4.2004)。州政府代表からなる連邦参議院が同意しないと法律は成立しない。これを「執行的連邦主義」と批判しつつ、州の住民に直接選挙されるか、あるいは州議会から選出される議員によって構成される「上院」モデルを主張したわけだ。二院制にも、様々な制度設計が考えられる。
◆参院改革の方向
河野謙三議長時代(1971~77年)に参院改革が提起された。71年参院選が59.2%という「低投票率」だったため、河野議長は議員全員に書簡を送り、参院改革を訴えたのだ(「河野書簡」)。参院に「多数決主義の政治」に対する「理の政治」を期待し、そこに国民のなかの慎重、熟練、耐久の要素を代表させるという思いが込められた。政党に縛られない、自由な議論を行う場も期待された。だが、参院の政党化は進むばかりである。82年に参院に比例代表制が導入されるや、参院の政党化は完成形態に到達した。そして94年、衆院に小選挙区比例代表制が導入されて以降は、衆参両院の選挙の仕組みは実質ほとんど同じになった。私は、参院の制度に手をつけるより前に、まず衆院の選挙制度を改善することから始めるべきだと思う(実現可能性はないが、中選挙区制と非拘束名簿式比例代表制の組み合わせがベター)。その上で、参院の独自性を強めていくわけである。
参院議長の私的諮問機関の有識者懇談会意見書は、参院を「再考の府」と位置づける。首相指名権の返上、衆院の再議決要件の見直し等々。さらに「全国民の代表」(憲法43条)を改め、参院議員を地方代表とする意見も出されている。参院を地域代表制に純化することは憲法上問題あるが、地方代表的要素をより強化する制度設計は検討に値する。参院には「国権の再考機関」という機能を加え、国の政治の方向と内容にバランスをもたせる工夫といえる。
いま、国民の政治不信はますます深刻化している。このままいけば、参議院のみならず、国の政治全体に対して「こんなものいらない」という気分が高まるだろう。民主主義にとって実に危険な兆候である。
(『月報司法書士』2004年6月号所収)
【付記】韓国連載第3回「子どもたちにどう伝えるか――韓国で考える(3) 」(タイトル変更)と第4回「日本大衆文化の統制と開放――韓国で考える(4-完) 」(仮題)は、次回以降に掲載します。ご了承下さい。
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