子どもたちにどう伝えるか――韓国で考える(3) 2004年7月19日

世大学の講演は午後からなので、午前中は、ソウル大学留学中の水島玲央君(早大大学院生)の案内で、西大門刑務所歴史館を見学することにした。いつも車で移動するが、この日は地下鉄に乗った。車内では、携帯電話を使って大声で話す人が目立つ。私の正面や隣でほぼ同時に数人が話し始めたのには驚いた。思わずシャッターを切った。いずれ韓国でも、電車内での携帯使用は抑制されるだろうから、「歴史的記録」としてここに残すことにしよう。
  さて、西大門刑務所歴史館は、最初から最後まで重苦しい気分にさせられた。日本の「歴史教科書問題」に対応して1987年に開館した独立記念館(天安市)では、さらに激しい展示が行われているという。今回は西大門刑務所歴史館を素材にしながら、この種の施設の展示や公開の仕方について、「受け手」(特に小さな子どもたち)への配慮という観点をも交えながら述べてみたい。なお、私の視点は、「新しい歴史教科書をつくる会」などのそれとは当然異なる。個々の指摘からではなく、最後まで読んでから判断して頂きたいと思う。
  この日、私が見学した時間帯が平日の午前ということもあって、年輩者は少なく、ほとんどが小・中学生、高校生、そして幼稚園児だった。 「日本の侵略により奪われた国を取り戻すために独立運動を行い、殉国した愛国者たちの高貴な魂を偲び、先烈たちの自主独立精神をかみしめる生きた歴史教育の場である」とされたところに、次々と子どもたちがやってくる。あまりにたくさんの子どもたちがくるので、正直驚いたほどだ。館内では子どもたちの笑い声がたえない。走り回ったり、ふざけあったり、携帯で写真をとりあったり…。どこの国でも、子どもが集まる場所は同じような風景が展開される。日本でも、教師の側は社会科実習のつもりでも、子どもたちはピクニック気分だろう。天気がいいこともあり、旧刑務所の庭は子どもたちの楽しそうな笑い声が飛び交っていた。だが、実際の展示物は目をそむけるものばかりである。日本統治下で行われた暴虐の数々は、打ち消すことができない「傷」として存在する。こうした事実から目をそむけることなく、これと真剣に向き合う必要があることは当然である。
  刑務所全体が歴史館となっており、「現場体験学習」と銘打ち、「殉国先烈たちの自主独立への強靱な意志、そしてその苦痛をよる身近に感じることができるように「工夫」されている。「拷問、裁判、収監、死刑などを直接・間接的に体験してみる体験場」もあり、「拷問室」では「爪差し拷問、箱拷問、電気拷問を体験」できる。爪の間に刃物を差し込む拷問で悲鳴をあげる女性の蝋人形は鬼気せまる。狭い拷問室内では、女子中学生たちが、「ピースサイン」をして携帯で写真をとりあっている。私が「電気椅子」に座って「体験」しているとき、数名の女子中学生が拷問室に入ってきた。私は彼らに席を譲ろうと動いたところ、女子中学生たちは、私を指さし一斉にキャーッという叫び声であげて後ずさりしたのだ。案内の院生に聞いたところ、どうも私が椅子から突然動いたので、びっくりしたのだという。
  裁判所の法廷を再現したコーナーもある。死刑判決を言い渡す裁判官の憎々しい表情。その上の壁には日の丸が掲げてある。実際の裁判所の壁には日の丸はなかったはずであり、明らかにこれは誇張である。パンフには、「日帝の拷問と弾圧に獄中生活の実状を展示しており、観覧客が直接体験できるように壁棺と独房を再現し、また、死刑場の切開模型を立体的に展示しています」とある。処刑場は鬼気せまる
  女性教師に手を引かれた幼稚園児たちがゾロゾロと入ってきた。園児たちはしっかり手を握りあって、「ヒーッ、ギャーッ」という被拷問者の悲鳴が流れる拷問室に恐る恐る入っていく。その後ろ姿を見ながら、いたたまれない気持ちになった。女性教師が子どもたち何らかの説明をしている場面は一度も見なかった。過去の日本が行った蛮行を「教える」というよりは、恐怖を体感させることに主眼が置かれているようだ。まだ十分な判断能力のない幼稚園児への「教育」の方法として妥当なのか。疑問に思った。
  少し階段をのぼると、隔離舎がある。なかをのぞくと、独居房が3つ並んでいる。ハンセン病の囚人を隔離していたという案内板がある。そこへ、3人の女子中学生が笑い声をあげながらやってきた。一人が案内板を見るや、「ワーッ」と何かをいい、3人は踵をかえすように一斉に階段を降りていった。そして、下から登ってくる仲間に向かって、一人が大きく手を広げ、笑いながら何かを叫んでいる。そして全員がワーッと叫びながら駆け降りていった。案内の院生に聞いたところ、「おっかない。ゾッとする」と叫んだとのことで、階段を登ってくる仲間には、「おっかないよー」と言ったという。中学生たちは館内や庭を駆け回りながら、死刑場や拷問室などの展示を見ているが、彼らに教師がじっくり解説をしたりする場面をついに見なかった。特に、ハンセン病の隔離舎のところでは、中学生たちはハンセン病に対する偏見をあらわしてしまっている。教師は、この隔離舎こそ、差別と抑圧の集中的表現であることを伝えるべきではないか。なぜなら、ハンセン病の患者は、日本国内の日本人でも過酷な差別と偏見のなかにあったのであり、ここは日本が不当に逮捕した人々を残虐に扱うなかで、さらに差別と偏見でハンセン病患者を選び、ここに押し込めたのだから。ただ「おっかないよー」と言って笑うのを許していたのでは、「体験教育」になっていない。
  特に違和感を覚えたのは、たくさんの幼稚園児たちの姿である。彼らはまとまった歴史の授業を受けたわけではないだろう。そもそも無理である。にもかかわらず、恐ろしい拷問シーンや悲鳴を執拗に「体験」させるのは、受けての子ども側にとって果してプラスになるだろうか。北朝鮮や中国などでも、子どもたちに対して同種の教育が行われている。私はあえて言うが、日本の行った行為に対する怒りやその断罪は当然としても、それを幼稚園児に対してまで、ショック療法的手法で行うことには疑問を感じざるを得ない。対象者の年齢に応じて、きちんとした歴史的背景の理解を伴って、過去の厳しい現実も教えていく配慮が必要なのではないだろうか。

  実は同じことは、日本における平和教育についても言えることである。広島大学で憲法や「戦争と平和」の総合講座も担当し、『ヒロシマと憲法』(法律文化社)や『ベルリンヒロシマ通り』(中国新聞社)といった著書も出版してきた私としても、現在の平和教育のあり方についてはいろいろと意見を持っている。つかこうへい作品「広島に原爆を落とす日」上演との関連で行われたシンポジウム(中国新聞社主催)でも、率直に自分の意見を述べた。以下、雑誌『世界』(岩波書店)誌上において、シンポでご一緒した岡村俊一氏(演出家)と語り合ったときの発言を、少々長いが引用しよう(水島・岡村対談「『伝え方』を考える――『広島に原爆を落とす日』をめぐって」『世界』2001年9月号)。

水島:戦争を伝えるという場合、ディテールはくせものです。心が伝わらなければイメージだけが先行することになる。いまはホラー映画など怖いものがたくさんありますから、ケロイドの写真をみたからといって、それで子どもたちが「原爆が悪い」と考えるほど単純ではありません。年少の児童がまず「怖い」と感じるし、「オバケみたい」と口に出すのも自然な反応です。でも平和教育のなかでは、そんなことは言ってはいけないと先生が言うから、気持ちを整理できない子どもたちが生まれる。
  だから、平和教育はもっと柔軟で、相手の年齢や実情に合わせたものでなければならないと思うのです。おじいちゃんが死んで、体が冷たくなって、夏なんか遺体から死臭がするというような体験もない、核家族化で育った子どもたちに、「カニが死体を食べる」とか「死体に蛆がわく」といった場面を見せても、気持ちが悪いだけで、「愛しい人がこんな姿になってしまった」とは思いません。人間がむごたらしく殺されることの非合理性を、怒りをもって考えられるのは、それなりの段取りが必要だと思う。押しつけ的なショック療法や、そこから導かれる結論が子どもたちにはじめからわかってしまっているような教え方では、うまくいかないと思います。
  …被爆者を集団でとらえるのではなく、一人ひとりの生きた、かけがえのない人間として描けば、原爆投下がどれだけひどいことだったか、よくわかります。戦争の残虐な写真やフィルムも見せたり、悲惨な話を聞かせたりすることだけが平和教育なのではない。人間的共感と豊かな想像力こそ、平和教育の前提でなければなりません。いま、押しつけ的平和教育からの脱却が求められていると思います。…

  韓国やアジア諸国で戦前の日本の行為を糾弾する記念館などが建設されるようになったのは、80年代の歴史教科書問題や首相の靖国公式参拝などを契機にしている。観光客のなかには、乏しい歴史認識によって、アジア・太平洋地域の「戦争の傷痕」が残る地域で、現地の人々の心を傷つけ、時には反感をかっていることは残念なことである。そうした不幸な対立をなくすためにも、日本の市民はもっとアジアと日本の歴史を学ぶことが必要だろう。さらに、そうした問題について率直に語り合う機会を増やしていくことだろう。その一つのささやかな試みとして、昨年、戦後補償に関連する小さなシンポジウムを企画した。水島朝穂編著『未来創造としての「戦後補償」――「過去の清算」を越えて』(現代人文社)はそのまとめである。中国人留学生や在日コリアンの若い世代がこの問題と誠実に向き合い議論しながら、お互いを尊重し合いながら、ともに未来を創りあげようという方向で議論を進めていった。ヒロシマ・ナガサキも沖縄も、韓国も中国も東南アジアも、若い世代を含め、市民のレヴェルで議論を深め、戦争や平和に関する記念館の展示の仕方や、子どもたちの世代への「伝え方」の工夫や配慮の問題に至るまで率直に話し合うことが求められているのではないか。

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