武器輸出3原則等も消える? 2004年8月30日

とも忙しい夏休みである。締め切りを過ぎた原稿に追われるのは毎年のことだが、今年は大学の制度がいろいろと変わった結果、いつになく学内の仕事が多い。落ちついて仕事のできる時間が少なくなっていく。「競争」と「世間の眼」に追われて、大学は最も重要な「ゆとり」、もっと言えば「アバウトな時間」を失いつつあるように思う

  話は一気に変わるが、58年前の今日、憲法草案を審議していた第90帝国議会で、幣原喜重郎(前首相)は、次のように演説した。「武器の進歩、破壊的武器の進歩、発明というものに伴い、戦争の惨憺たる残虐なありさまが心のうちに映じてくると、初めて戦争放棄という議論が行われているのであります。原子爆弾というものが発見されただけでも、戦争論者に対して、よほど再考を促すことになっている」(貴族院1946年8月30日)。
  日本国憲法が武力行使・威嚇までも放棄した背景には、武器の頂点に立つ核兵器、それを使ったヒロシマ・ナガサキの体験があったことは前々回に述べた。武器の進歩という点で言えば、第一次世界大戦も武器の革命的進歩をもたらした。戦車、航空機、毒ガス。この三つだけでも、戦争の様相をまったく変えてしまった。当初は、空中戦といっても石をぶつけ、ピストルを撃ち合っていた。機関銃を搭載したはいいが、自分の翼を撃って墜落する飛行機もあった。まもなく、プロペラと機関銃を連動させ、プロペラが回転している間から弾が飛び出す仕組みを開発。空中戦の質が変わった。さらに、飛行機に爆弾を積んで、敵の「銃後」を爆撃。ゲルニカ、重慶、ドレスデン、そしてヒロシマ・ナガサキへと続く「戦略爆撃」の誕生である(前田哲男『戦略爆撃の思想』現代教養文庫版参照)。
  前述のように、武器の頂点に核兵器がある。それは、幣原が言うように、武器を用いて平和をつくる発想に根本的再考を迫るものだった。だからこそ、武器を輸出したり、軍事技術を安易に他国に移転したりすることを規制することには合理性がある。幣原演説の約20年後に、佐藤内閣のもとで、「非核3原則」と「武器輸出3原則」が決められた。当時、米国のベトナム戦争に日本は後方支援基地として全面的に協力していたから、そのイクスキューズという側面もなかったわけではない。佐藤元首相は非核3原則の「功績」で、ノーベル平和賞を受賞した。一方の手で戦争に協力しながら、他方の手でノーベル賞を受ける。この矛盾も、時代を反映している(ノーベル平和賞の胡散臭さには、ここでは立ち入らない)。小泉首相は、「戦争いろいろ、軍隊いろいろ、憲法もいろいろです」という発想で、イラクに自衛隊の戦闘部隊を派遣した。もし佐藤元首相が生きていたら、おそらく仰天していたに違いない。
  では、「武器輸出3原則」とはどういうものか。一度MDと併せて書いたが、この機会に繰り返し 述べておく(「武器輸入」についてはこちらも参照)。武器禁輸政策に関する首相の国会答弁を整理した政府統一見解である。①共産圏諸国、②国連決議により武器の輸出が禁止されている国、③国際紛争の当事国またはその恐れのある国について、武器輸出を認めないというものだ。その後、1976年に三木内閣が政府統一見解として、3原則対象地域以外についても、憲法および外為法の精神にのっとり武器の輸出を慎むという形に強化された。この三木内閣の統一見解を加えて、「武器輸出3原則等」と呼ぶ。
  この「武器輸出3原則等」は、1983年の中曾根内閣の時に、米国に対する武器技術の供与に限って、この「武器輸出3原則によらないこととする」とされた(対米武器技術供与についての官房長官談話、1983年1月14日)。武器輸出3原則等の空洞化が始まる。
  ところで、武器輸出規制の重要な法的根拠となるものが外為法である。「外国為替及び外国貿易法」48条1項は、「国際的な平和及び安全の維持を妨げることとなると認められるものとして政令で定める特定の地域を仕向地とする特定の種類の貨物の輸出をしようとする者は、政令で定めるところにより、経済産業大臣の許可を受けなければならない」と定める。「政令」である「輸出貿易管理令」(内閣の命令である「政令」)の別表1は、1~16項を列挙する。1項「武器」、2項「原子力関連貨物」、3項「化学兵器関連貨物」、3項の2「生物兵器関連貨物」、4項「ミサイル関連貨物」、5~15項「通常兵器関連貨物」。1項「キャッチ・オール規制」。これは、1~15項のリストの対象品目になくても、大量破壊兵器などの開発等に使用されるおそれがあるものを輸出規制するものだ。なお、技術の提供に関しては、同法25条1項と外国為替令(政令)で、「貨物の設計、製造又は使用に係る技術を特定の地域において提供することを目的とする取引」について同様の規制を加えている(詳しくは、浅田正彦『兵器の拡散防止と輸出管理――制度と実践』有信堂、2004年7月新刊を参照)。
  こうした規制枠組も、その時々の官房長官談話などを通じて、「規制緩和」を続けている。83年にその先鞭をつけた中曾根内閣と、武器輸出3原則等の見直しをはかる小泉内閣はともに、言葉の最悪の意味で、この国の平和のかたち・枠組を変えてしまった内閣として歴史に残るだろう。中曾根氏がやったことを小泉首相が「完成」させている。中曾根型「戦後政治の総決算」のなかで残っている最大のものは、「憲法改革」(改憲)だけだ。 「終戦記念日」を前に、『朝日新聞』企画報道部から原稿を依頼された。テーマは「武器輸出3原則等の見直し問題」である。前期(春学期)試験の答案採点のあいまをぬって慌ただしく書き上げたが、その過程で新聞を調べていて、河野衆議院議長の言葉が一番印象に残った。衆院議長が経済界の主張に批判的コメントをするというのは異例である。7月22日付の『東京新聞』(共同通信21日配信)によればこうである。「河野洋平衆院議長は21日午前、都内で講演し、日本経団連が武器輸出三原則の見直しを求める提言をまとめたことについて『もっと武器を輸出できるようにしようとの提言が出てくるのは、安易に看過できない』と経団連の姿勢を強く批判した。さらに、『経済界だけの話なら経済界の人に反省を求めたら良いが、政界と連動して(見直し提言が)出てきたとしたら非常に由々しき問題だ』と指摘した」。異例の発言の背景には、政治がこれまでの仕組みを安易に壊していくことに対する危機感があるだろう。「武器輸出3原則等」に関しては、三木内閣の時にこれを強化する政府見解が出されたこともあって、河野氏としては彼が尊敬する三木元首相の仕事へのこだわりがあったと推測される。
  下記に『朝日新聞』紙面に掲載された拙稿を転載する。一つひとつの局面で「言葉」を残しておくという仕事は、どんなに忙しくてもやらなければならない。そう思って、これを書いた。

      

武器輸出見直し論――本音に屈せず禁輸継続を


 「だって、ほしいんだもん」。玩具売り場に座り込み、おもちゃをねだる子どもの言葉ではない。以前、ある会合で私よりはるかに年配の人が口にした言葉である。大勢で相談していた時だから、その一言で周囲はかたまった。
 いま、この国の様々なところで、こんな「本音の突出」ともいえる光景が目につく。経団連の武器輸出3原則の見直し「提言」も、装備予算減少や技術開発の必要性を理由に挙げてはいるが、本音は「国内ではもうからないから」だろう。政治家がこれに軽やかに応ずる。救いは、河野衆院議長の「もっと武器を輸出できるようにしようとの提言が出てくるのは、安易に看過できない」との発言ぐらいである。
 この国の半世紀は、憲法9条に基づく厳格な平和主義の規制を緩和し続けてきた歴史である。半世紀前、「自衛のための必要最小限度の実力は合憲」という政府解釈で「軍隊ではない」自衛隊が発足した。それこそ重大な「規制緩和」だったが、野党の批判やアジア諸国への配慮などの力学が働き、海外派兵禁止、専守防衛、防衛費国民総生産(GNP)1%枠、徴兵制違憲解釈、集団的自衛権行使の違憲解釈など数多くの「周辺規制」が生まれ、軍事に関する「本音の突出」をなんとか抑制してきた。
 60年代、佐藤内閣のもとで確立した非核3原則と武器輸出3原則もそうした規制である。べトナム戦争の後方支援基地として対米協力しつつも、これらの規制がこの国を「平和国家」として押し出してきた。だが、83年、中曾根内閣のときに、米国向けについて武器輸出3原則等の重大な「規制緩和」が行われ、今回原則そのものに正面から手をつける段階に立ち至ろうとしている。
 3原則でとくに重要なのは「国際紛争の当事国」向け規制だ。「国際紛争を助長することを回避する」(01年10月5日官房長官談話)との趣旨を徹底すれば、イラク戦争にみられるように、「先制攻撃戦略」を鮮明にした米国こそが実は国際紛争の最大の当事国ではないか。ミサイル防衛(MD)開発を円滑に進めるために3原則を見直し、米国に武器技術を移転していいものだろうか。
 そもそもMDは冷戦後の軍需産業に巨大な需要を生み出す「打ち出の小づち」なのである。日米の武器商人たちの「本音の突出」に付き合って、原則に手をつけてはならない。 世界平和にとって真に必要なのは、包括的武器輸出禁止条約である。地域紛争が泥沼化していく背景に、紛争地域への武器流入があるからだ。とはいえ、国連常任理事国の5大国だけで世界の武器輸出額の大半を占める皮肉な状況のもと、現実は厳しい。警察官と武器商人が同一人物では紛争はなくなるまい。それでも、武器輸出規制を求める世界世論を広めることは重要だ。武器輸出3原則見直しはそうした方向に逆行する。
 中曾根内閣以来、平和国家の「周辺規制」が一つずつ外されてきたが、ここでまた一つ外し、憲法9条本体の規制撤廃にまで進むのか――。あられもない本音に屈せぬ議論がいま、求められる。

付記:『朝日新聞』2004年8月14日オピニオン面「私の視点」(ウィークエンド)掲載