自衛隊の準機関紙『朝雲』を定期講読するようになってから24年になる。一般の自衛官より私の方が読者歴は長いだろう。自衛隊の各種演習・訓練、部隊の活動やイベントから人事情報まで、情報は盛り沢山である。8月26日付のトップ記事は夏の高級幹部異動。防衛大学校(防大)14期の森勉が陸上幕僚長に発令された。1947年生まれ。自衛隊トップに「団塊の世代」が就く時代になった。
かつて自衛隊の最高幹部は、陸軍士官学校(陸士)や海軍兵学校(海兵)末期の卒業者、一般大学卒によって占められていた。だが、しだいに防大卒が多数を占めていく。まず海自は、海兵76期の長田博(1986年就任)、東京水産大卒の東山収一郎(1987年就任)に続いて、1989年に防大一期の俊英、佐久間一が第18代海上幕僚長になった(91年に統幕議長)。初の防大卒の幕僚長である。陸自は、陸士61期の中村守雄の後に一般大学卒の二人が続いた後、1990年に防大一期の志摩篤が第22代陸幕長となった。空自は、青山学院大卒の米川忠吉に次いで、防大一期の鈴木昭雄が同年、北部航空方面隊司令官から第20代空幕長に就任した。元号が「平成」に変わった直後から、防大一期のトップクラスが「陸の志摩、海の佐久間、空の鈴木」という形で、三自衛隊の幕僚長の座を占めた。そこで思い出したのが、防大一期で志摩に次ぐ俊英・源川幸夫(東部方面総監で退官)のことである。旧軍出身者の幹部と異なり、「焼け跡派」の彼らは「はじめに日本国憲法と日米安保ありき」の世代で、米軍の合理的発想がより徹底している。源川は、日米共同作戦態勢の強化に積極的にコミットした。なお、源川とはRCC(中国放送)の討論番組でご一緒したことがある。12年も前のことだ(1992年3月15日)。冷戦終結間もない頃だったが、私が「ソ連なきあと北海道に戦車師団を置いておく必要はあるのか」と第7師団長経験者の源川に問うた。彼はその縮小の可能性を否定せず、柔軟な思考の持ち主という印象を受けた。
防大一期の幕僚長誕生から15年が経過し、彼らの多くがすでに古稀を迎えた現在、前述のように防大14期の「団塊の世代」が幕僚長になった。自衛隊の高級幹部すべてが「戦後生まれ」となるのも時間の問題だろう。ということは、「『戦争を知らない子どもたち』を知らない子どもたち」の世代が一線の幹部になるということだ。戦争も「焼け跡」も60年安保もベトナム戦争も知らない世代にとって、91年湾岸戦争の「トラウマ」が「敗戦」体験であり、いまイラク戦争の「戦中」気分という若い幹部も少なくない。政治家たちも同様で、「戦争」や「軍事的なるもの」への抑制や「ためらい」がなくなった世代である。「戦後60年」という言葉の重さを改めて思う。
私は、『朝雲』よりも1年早く『軍事研究』の定期購読を始めた。自宅書庫には、その後に古本屋で補充した創刊号(1966年4月号)からの13年分と合わせて、38年分がぎっしり詰まっている。写真左上が創刊号、右下が最新号(2004年12月号)である。創刊後の一時期、正確には1973年7月号から1979年2月号まで、表紙の題字の下に「戦争のあらゆる要因を追求して人類恒久の平和を確立する」という言葉が掲げられていた。まるで「平和研究」誌である。軍事を語ることにそれだけイクスキューズが必要だったのだろう。
ところで、この雑誌で毎号まっさきに読むのがイエローページ、「市ヶ谷レーダーサイト」である。防衛庁が六本木にあったので、長らく「六本木レーダーサイト」といった。筆者は「北郷源太郎」。小名孝雄(『軍事研究』創設者)のペンネームと言われている。この人物は、北海道で『北方ジャーナル』というブラックジャーナルを主催。憲法学の世界では周知の「北方ジャーナル事件」の当事者である。この事件で最高裁判所大法廷は、「人格権としての名誉権」を基礎として、権利侵害を予防するための差止め請求権を承認し、これにより表現行為(この場合は雑誌という出版物)に対して差止めを行うことを一定の条件のもとで許容するという注目すべき判決を出している(1986年6月11日)。「市ヶ谷レーダーサイト」は、その小名の経験とセンスを遺憾なく発揮して、将官人事の動向から次期幕僚長候補、内局の人事異動まで異様に詳しい。
小名が執筆した(と思われる)11月号「市ヶ谷レーダーサイト」(以下「サイト」と略す)の表題は、「石破前長官の遺したものを考える」である(『軍事研究』2004年11月号147頁)。『朝雲』(2004年9月30日付)は、2002年9月30日、石破が第一次小泉改造内閣に防衛庁長官で初入閣してから、2004年9月28日午前9時40分すぎに防衛庁講堂で離任の挨拶をするまでを伝え、これに「激動の729日」という見出しをつけている(あと1日で730日=2年だった)。「サイト」は、その石破の「729日間」の意味を探っていく。
まず、小泉改造内閣を、「小泉の小泉による小泉のための内閣」と批判する。その内閣のもとで防衛庁長官を務めた石破については、「軍事オタクで玄人裸足の知識を持つ石破茂」として、こう総括する。「歴代長官の中で傑出した人物であったことは断言できる」。その根拠として、「まず一つには、軍隊が心から好きだったこと」を挙げる。「彼ほど自衛隊を愛していた長官はいない。匹敵するのは中曾根康弘氏くらいしか思い出せぬ。…この国では、軍隊・軍事が好きだということが、マイナスにこそなれプラスにならないという馬鹿げた風潮がある。…軍事マニアの政治家は、石破氏に引き続いて堂々とカミング・アウトしてもらいたいものである」と注文をつける。実際、民主党の中堅・若手代議士のなかからもカミング・アウトがどんどん出てきそうで、何とも不気味ではある。
さらに「サイト」は、「もう一つ石破氏が長官として抜きんでていたのは、その実績=仕事量である」として、防衛計画大綱見直しと中期防策定を進めるなか、発足以来懸案の「有事法制」を成立せしめ、対ゲリラ・コマンド充実[特殊作戦群の新編]やミサイル防衛研究開発へ端緒を開き、武器輸出三原則見直しの発言もし、自衛隊初の海外派兵〔!〕という難事にも手を着けたことを紹介する。何よりも石破なくして語り得ないのは、自衛隊の統合幕僚組織と参事官制度の見直しを一気に進めたことであるとして、「前向きの仕事でこれほどの実績を残せた長官はかつていないのではなかろうか」、それぞれが外圧や内圧の政治情勢の結果という面もあるが、これらは「石破でなければ実現しなかった」。「サイト」は石破をこう持ち上げる。
確かに、この時期、このタイミングで石破が防衛庁長官にならなかったら、自衛隊の海外派兵から「有事法制」まで、このテンポと内容では進まなかったに違いない。「有事」関連7法案、イラク特措法、武器輸出3原則見直し、「国民保護」法制もそうだが、「サイト」も指摘するように、統幕組織と参事官制度の見直しは決定的であると私も思う。一般には関心は低いが、これは従来の防衛庁・自衛隊の「かたち」を大きく変えていく契機となるだろう。それはなぜか。
歴代長官は、防衛庁内局(背広組)と制服組とのバランスを意識したが、石破は制服の言い分でもって内局を説得し、内局の思考を制服化することに力を注いだ。実際、長官になるずっと前から、石破と制服組との交流は活発だった。女性秘書も「軍事オタク」という点では石破といい勝負と週刊誌でも紹介されている。6年前、自民党安保調査副会長時代の石破と、議員会館の彼の部屋で対談したことがある(双論98「日米新指針――際限なき対米協力に道」『中国新聞』1998年4月27日付掲載)。元気のいい女性秘書にもその時会っている。その後、石破とは、2002年4月26日のテレビ朝日の「朝生」でご一緒した。その5カ月後に防衛庁長官になった石破は、何の気負いも衒いもなく、制服の主張を正面から主張していった。心の底からの「軍事好き」が滲み出るので、内局の参事官たちも、従来とはかなり異なるタイプの大臣に戸惑ったことだろう。
一般に、政治家が大臣になると、事務方のトップである事務次官を頂点とする役所の機構の上に座る自分に孤独を感ずるという。その孤独に耐えて、政治家がどのように処していくかで評価が分かれる。事務方に完全コントロールされる大臣(ほとんどこれ)、事務方を無視して、わが道を行き、最終的には事務方の長に「相討ち」で辞任させられた大臣(田中真紀子外相)、官僚機構の特性をうまく使って資料を見つけ出して得点を稼いだ大臣(菅直人厚生相)等々、さまざまである。だが、防衛庁長官の場合、事務次官、官房長、局長たちの「内局」(背広組)と、自衛隊制服組との実質的な二元構造の上に座るわけだから特別である。国家行政組織法や防衛庁設置法などの仕組みからすれば、法的には、内局を通じて制服を指揮することになる。「普通の長官」ならば、参事官制度の上に乗っかって、「大過なく」在任期間を全うすることだけを願う。だが、石破は違った。徹底して、この仕組みを変えようと動いた。「石破的刷り込み」は2年かけて、ジャーナリズムや国民の間にも広まった。憑かれた目つきが気になって、話の内容に気が向かない。しかも彼は非合理なことは言わない。彼が主張するのは、軍事的合理性を基準とした制度改編である。従来の自民党主流の政治家たちは、選挙民の平和を求める気分や非戦感情を測定しつつ、他方で周辺諸国を過剰に刺激しないように、「憲法の枠内」というイクスキューズを多用しながら、軍事的合理性の突出を抑える政治的味付けを施そうとしてきた。「専守防衛」や「防衛費GNP1%」、集団的自衛権行使の違憲解釈など、すべて軍事的合理性から見れば「不合理の極み」である。だが、官僚・軍人と政治家を区別するのは、国民感情やら周辺諸国との関係といった「アバウトな要素」をも組み込んでいくバランス感覚である。軍人や官僚の専門的、合理的判断だけが突出すれば、失うものも少なくない。高度の政治判断という形で、最終的に選挙で民主的正統性を与えられている政治家に期限付き(任期)でそうした判断を委ねる。「曖昧な日本」もそうした政治判断の蓄積の結果であり、それ自体は批判的に分析・総括される必要があることは言うまでもない。宮沢型の解釈改憲コースがいいと言っているわけではないのである。
小泉内閣になって、あまりに本音の突出が激しい。「集団的自衛権を持っているのに、行使できない」という内閣法制局の解釈の矛盾をつき、「おかしい」「不合理だ」「すっきりしたい」という直球的な物言いで、そうした戦後的な「曖昧な日本」の部分を切り捨てようというのである。石原慎太郎式の物言いだったら、内局もキレただろうし、周辺諸国の反発も特大級になる。だが、石破流のやり方は功を奏して、ついに内局の参事官制度にまで政治の手が入った。
軍政と軍令という言葉があるように、軍の運用(作戦)は軍令事項であるから、制服組のトップである参謀総長、統合参謀本部議長、統合幕僚会議議長といったミリタリーのトップが長官を補佐する仕組みが通常である。戦前日本の場合、閣僚である陸・海軍大臣は内閣総理大臣と同格であり、総理大臣は「同輩中の首席」にすぎなかった。天皇の国務大権を内閣が「輔弼」する。天皇が統帥大権を持ち、軍令面については陸軍参謀総長と海軍軍令部長(後に総長)が「輔翼」するのである。内閣総理大臣は軍令事項にコミットすることはできなかった。統帥権の独立である。政治の関与を否定して、ひたすら軍事の論理が突出していく。戦後はこの仕組みが徹底して否定された。まず、憲法で軍隊(戦力)存在しえないことになった(9条)。軍隊や戦力にならざる「自衛力」のみが合憲であるという建前が作られた(1954年以来の政府解釈)。警察予備隊として発足して以来、自衛隊となったいまも、組織の「かたち」としては「普通の軍隊」ではなく、警察の「残滓」を無数に残している。「普通の大臣」ならば、官僚たちの意向を斟酌して、そこまで踏み込め(ま)ないできたのを、石破は、「普通でないのはおかしい」と素直に、率直に主張して、軍事的合理性に合わないものを一つひとつ取り除いていった。彼は、その能力と主観的意図以上に、この国の50年かけて作られた枠組みを動かしたのである。その際、石破の主張が決して好戦的軍国主義者のそれではなく、「普通の軍隊」の軍事的合理性の主張である点を見落としてはならないだろう。
この国の場合、憲法9条の徹底した平和主義と実質的な軍隊の存在という乖離があまりに激しかったために、「普通の国」のように、シビリアンコントロールがきちんと定着してこなかった。この国のシビリアンコントロールというのは文官の内局優位の仕組みに矮小化され、「日本型文官スタッフ優位制度」(古川純)となってきた。議会の軍事統制の仕組みも未熟である。だから、長年の内局の「過剰な介入」に対して、制服のフラストレーションは極点に達していた。小泉的政治手法と、石破というまたとない大臣を得て、一気に「普通の軍隊」化がはかられているのである。その結果、軍事的合理性が過度に突出する危険が大きくなっている。このことが問題なのである。
田中角栄は利益誘導の「田中型政治」を定着させ、金脈問題で転落した。だが、戦争中に下士官だったこともあり、角栄の軍隊嫌いは有名だった。自衛隊観閲式も嫌がった。また、海部首相(当時)は、90年の湾岸危機の時、ブッシュ(父)大統領から自衛隊を派遣するのか否か、「イエス・オア・ノー」と問われて、思わず「オア(or)」と言ったとか言わないとかを云々されるほど迷い、優柔不断な態度をとった。だが、いまの小泉首相は、米国の先制攻撃戦略の方向に「イエス」しか言わない。12月14日(イラク派兵期限)という時点で、これまでの政策を再考し、ここで条件を付けるなり、あえて自衛隊を撤退させるなりすれば、世界にどれだけのインパクトを与えるか計り知れない。加藤紘一、亀井静香、古賀誠といった政治家たちの自衛隊イラク派遣延長慎重論は、やや遅きに失したとはいえ、戦後保守のギリギリのバランス感覚の発露と言えるだろう。だが、小泉はそうした意見を一顧だにせず、12月14日の自衛隊イラク派遣期限の延長を決めるだろう。このあまりに単純明快、独断専行、猪突猛進な小泉型政治こそ、この国の平和と安全保障を危うくする最大の脅威になっているとは言えまいか。いま、政治家は、大局的視点から、いかに「ノー」を言うかが問われている。
今や近過去となった石破時代。その負の遺産は、この国が長年持ってきた「軍事的合理性」への危惧と抑制の意識と仕組みを変え、軍事をも選択肢とする「大国」への道を進めたことだと思う。「軍事好き」の政治家がトップになったときの怖さと危なさは、今も昔も変わらないことを知るべきだろう。