人気があっても任期で辞める意味  2004年12月6日

子・F・不二雄の漫画に「パーマン」というのがある。そこに「コピーロボット」というのが出てくる。自分と瓜二つのロボットで、いろいろと代わりをやってくれる。鼻のボタンを押すと人形に戻ってしまうのが難点だが、都合の悪い時に代役をもってくれるので実に便利である。このところ、真面目にこれが欲しくてたまらない。クリスマスの夜、枕元にこれが置いてある、という夢をごく最近みた(ホント)。
  同業者はみんな同じ気持ちだと思うが、いま何が一番ほしいかと問われれば即座に「時間」と答えるだろう。ほとんど休みなしの生活をしていて一番つらいのは、原稿書きのまとまった時間がとれないことである。原稿書きには、素材の仕込みの時間、文章になるまでの助走の時間、のってきたら集中する時間が必要である。さまざまな予定のために時間が細切れにされる結果、せっかく興がのっても冷めてしまう。こうして失われた時間を「かたち」にしていけば、単行本の何冊分に匹敵するだろう。これではいけないと思いつつも、「コピーロボット」ができるのを待ってもいられない。というわけで、ここまで書いてきた意図はもはやおわかりと思う。この間、重大な事件やコメントすべき出来事がたくさん起きているが、今週は新稿を書き下ろす時間がとれなかった。そこで、いま連載中のものをここにUPすることをお許し願いたい。
   『国公労調査時報』という耳慣れない月刊誌に、この10月から「水島朝穂の同時代を診る」という連載を始めた。その事情については、連載第1回(同誌2004年11月号)の冒頭、次のように書いた。少し長いが引用しよう。

 増田れい子さん〔元・毎日新聞論説委員〕からの強い依頼により、本欄を担当することになった。気品のある文章を紡ぐ名エッセイストの後がつとまるかどうか不安だが、おつきあいをお願いしたい。…繁忙の一途をたどる大学に勤めながら、研究、教育、校務のほかに、こういう仕事を休みなく続けるのは正直きつい。すでに月一回の雑誌連載を抱えていたので、多忙を理由に最初はお断りした。だが、増田さんの決意は固く、この欄を是非私にと一歩も譲らない。増田さんとは、87年に出版した本について『毎日新聞』紙上で熱い書評をいただいて以来のおつきあいである。「『直言』のような気持ちで書いて下さい」の一言で心が決まった。激動する「時代」をともに歩みながら、憲法の視点からいろいろな問題点を提示して、読者と一緒に考えていきたい。年に一度の健康診断が必要なように、この国の病める現状に「憲法診断」を。それが「同時代を診る」のこころである。

  というわけで、同誌12月号の連載第2回を転載することにしたい。同誌は書店などでは入手困難と思われるので、ここにUPする意味もあると思う。脱稿したのは米大統領選挙の一週間前である。ブッシュが再選されないことを祈る思いで執筆した。ブッシュ再選が現実のものとなったいま、「ブッシュ3選」のための改憲という悪夢も、今後の展開次第では、まったくないとは言えないかもしれない。加えて、この連載ではベラルーシ(旧白ロシア共和国)の国民投票について書いたが、お隣のウクライナでは、大統領選挙の結果をめぐって、国内が真っ二つになる事態が続いている。「任期」(憲法の規定)と「人気」(国民の支持、「民意」)の間に存在する緊張関係の問題は、理論的にもしっかり詰めて論ずる価値があるように思われる。

 

任期と人気の関係

水島朝穂

 ◆7年前の「直言」と「新聞を読んで」

  筆者は、NHKラジオ第一放送「新聞を読んで」(日曜日午前5時32分)のレギュラーをもっている。東京と大阪のさまざまなジャンルの人々が毎週一回担当するから、3カ月に一度の割合でまわってくる。すでに25回やっており、放送内容はすべて私のホームページで読むことができる。番組では、担当週の新聞各紙を丹念に読み、そこから自分なりにテーマを選び、12分ほどにまとめて話す。初めて担当したのは1997年4月26日。その時のメインテーマは、「ペルーの日本大使公邸人質事件強行突入」であった。偶然だが、ホームページ「直言」第1号のテーマも「日本大使公邸人質事件」(97年1月14日)である。ラジオではその「終幕」を語ることになった。あの時、フジモリ大統領は防弾チョッキを着用。派手な陣頭指揮のパフォーマンスを行ったが、投降した無抵抗の女性ゲリラまでも殺害するなど、その後政権の暗部が次々に明らかとなった。フジモリ大統領はテロ撲滅の名のもとに強権政治を継続。ついには、民間人殺害の疑いで、ペルー当局から訴追されるに至った。現在、フジモリ氏は日本に事実上政治亡命しており、ペルー当局から身柄引き渡し要求も出ている。そのフジモリ氏が大統領時代にやったことの一つに、大統領任期の延長がある。自らの任期に関する憲法条項に手をつけて、いい終わり方をした権力者は少ない。フジモリ氏も、国を追われ、国に追われる身となった。

 ◆任期とは何か

  そもそも任期とは何だろうか。一般に、「期間を限って一定の公職に選任された者がその地位にある期間」とされる。日本国憲法は、衆参両院議員と下級裁の裁判官についてのみ任期を明示する(それぞれ4、6、10年)。選挙により地位に就く議員や長の場合、一回の選挙による委任には「賞味期限」がある。一定のサイクルで有権者のコントロールを働かせることで、権力の私物化や腐敗を防止しようという制度設計である。ただ、続けて選挙に出ることまでも制限すること、つまり再選の制限や3選禁止といったことは、どのように説明できるだろうか。人気のある政治家がいて、長の選挙に立候補すれば当選確実というのに、一定の当選回数を理由に、立候補を禁ずる。これは純粋に民主主義原理からは説明できない。3選以上は権力腐敗が進行する可能性が高いという政治的経験則をもとに、権力腐敗と濫用を抑制するという立憲主義の観点から説明するほかない。立憲主義の核心は権利保障と権力分立にあり、権力の制限とチェックが要請されるからである。
  
もっとも、直接権力を担当しない議員に対する再選制限は存在しない。かつてフランスで議員の連続の再選を一回だけに制限する仕組みが採用されたことがある(1791年憲法)。代表者が選挙権者(有権者)の影響を受けないようにとの「純粋代表制」の徹底と言える。だが、今日では議員が任期到来時に再選を求めることを通じて、選挙権者の効果的なコントロールが期待されている(樋口陽一『注解・憲法Ⅲ』)。実際の憲法ではどうなっているか。
  
アメリカ合衆国憲法修正22条は、「何人も2回をこえて大統領の職に選出されてはならない」と定める。3選禁止規定である。27の州で知事の3選を禁じている。中南米の諸国では、独裁政権が相対的に多いということもあって、大統領職の2期連続就任が禁じられてきた。ペルーの旧憲法も2期連続を禁止していた。
  
フジモリ大統領は1992年4月、70%を超す高い支持率をバックに、左翼ゲリラ対策の名のもとに憲法を停止。翌93年末に新しい憲法を制定した。新憲法では、それまで禁じられていた連続再選が一度に限り認められることになった。ところが、驚いたことに、2期目に入ったフジモリ大統領は、「現行憲法公布以前に始まった大統領の任期は、憲法の大統領再選規定に該当しない」という「真正憲法解釈法」(1996年)を制定させて、実質的な3選を狙ったのである。野党は「3選出馬は憲法違反」と反発して憲法裁判所に提訴。裁判所は政治の圧力のなかで揺れた。国会は、違憲の主張を貫いた判事3人を罷免。憲法裁判所は機能停止に追い込まれた(『朝日新聞』2000年2月25日付)。こうしたフジモリ政権のやり方に対しては、米国政府も「非民主的」と非難したほどである。

 ◆人気があっても任期で辞める

  フジモリ氏に続いて、大統領の任期に手をつけた権力者がいる。旧ソ連邦のベラルーシ(旧白ロシア)大統領で、「欧州最後の独裁者」と言われるルカシェンコ氏である。1994年から大統領の地位にある。1996年、最高会議(議会)との対立から、国民投票によって憲法を改正して最高会議を廃止した。その上で、二院制の議会を新設。大統領に権限を集中する一方、大統領の任期を2年間延長した。ヨーロッパ各国は、こうした権威主義的な政治手法に反発。大使を召還した国もあった。2期目の任期が切れる2004年10月、ベラルーシ憲法の3選禁止条項を削除する憲法改正国民投票が行われた。この10月18日、中央選挙管理委員会は、投票率89.7%、賛成票86.2%の「圧倒的な賛成で承認された」と発表した(『朝日』2004年10月19日)。ベラルーシの独立系団体の「出口調査」によれば、改正賛成は48.4%にとどまったという(共同通信・同日)。こうしてルカシェンコ大統領は、2006年から5年間の大統領職を目指す。3選されれば、17年の長期政権となる。
  
「人気があっても任期で辞める」というのが、立憲主義から導かれる一つの帰結である。国民の高い支持(人気)を追い風に、任期に関する仕組みを恣意的に変更することは、国民投票という「民主的」方法を利用した立憲主義の空洞化につながりかねないだろう。 翻って日本を見てみると、地方自治体では、以前から知事の多選批判が存在した。そうしたムードを受けて、長野県の田中康夫知事は「3選禁止条例」を県議会に提案したが、否決された。次いで、埼玉県の上田清司知事が、知事の任期を連続3期12年までとする「多選自粛条例」を議会に提案。8月2日の可決・成立した。この種の条例が成立したのは全国初という。議院内閣制をとる日本の場合、自分の人気には気をつかう首相が、その任期について変な色気を出せないのがせめてもの救いか。
  
余談だが、4年前にブッシュ大統領が誕生したとき、クリントン前大統領は、《私が出馬したらブッシュを破っていた。3選禁止の憲法修正22条は、平均寿命が延びた今は改正されてもよいのではないか》と漏らしたという(『朝日』2000年12月7日)。

2004年10月25日稿)
〔『国公労連調査時報』第504号(2004年12月号)連載第2回より〕

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