2003年度水島一年ゼミ感想レポート
一年で何かが変わった(感想です)
僕が水島ゼミを履修したのは、シラバスの「後期が終わる頃には、以前と違う自分を発見するかも」という言葉に惹かれたからです。法律のことなど何一つ知らなかった4月、1年後に自分の中で何かが変わっていることを期待して水島ゼミを選択しました。そして、今、1年前と比べて何か変わったことはあっただろうか、と振り返って考えてみると、それは、「悩む」ということができるようになったことだと思います。僕は今まで、物事に対して安易に結論を出していたように思います。例えば、僕の班は前期の発表のテーマに死刑問題を選んだのですが、その時にも僕は最初から死刑反対で、死刑に反対する本を調べて、それをレジュメにまとめて発表しようとしていました。しかし、班の中での議論を重ねて、自分とは視点の違う様々な意見を聞いていくうちに自分の考えが揺らいできました。ゼミの討論で、みんなから疑問や問題点を指摘されると、自分の考えは果たして本当に正しいのだろうか、とますます悩むようになりました。そして、発表の次の週の授業でビデオを見て、実際の犯罪被害者の声を聞く、とうとう自分が死刑に反対なのか賛成なのか、全く分からなくなっていました。その時、僕は必ず答えのある高校までの勉強になれていたせいか、分からないということが非常に嫌でした。しかし、先生が授業の中で「法律の勉強に答えはない」「無知の知が大切だ」と言われたのを聞いて、気持ちが楽になりました。安易に結論を出すのではなく、悩み続けることが大切なのだということを学びました。あの時、僕はまさに「無知の知」を体験したのだと思います。
1年間のゼミを通して印象深いことは、何よりも発表の前に班員と協力して準備を進めたことです。班員で図書館に集まって議論をしているだけでアカデミックな気分になり、自分が大学生になったということを実感できました。議論をしている中で様々な意見があり、こういう考え方もあったのか、と今までの自分がいかに偏見に満ちていたかを思い知らされました。僕の班には中国からの留学生がいたのですが、彼女からは中国の事情や日本との 違いを教えてもらい大変興味深かったです。こういう出会いもゼミならではのものだと思います。
また、発表するということも非常に良い経験となりました。小学校から高校まで振り返ってみると、発表の機会というのはほとんど無かった様に思います。簡単そうに見えることですが、人前で発表するというのはこんなにも大変だったのか、と思わされました。時間が足りずにうまくまとめられなかったり、言いたいことが伝わらない、思ったとおりに話せなかった、ということばかりでした。これから発表の機会というのはどんどん増えていくと思いますが、ゼミでの発表は自分を見つめ直すきっかけとなりました。レジュメの作り方や発表方法を学び、そして司会を体験できたことは一生の財産になると思います。
先生は最後の授業の時に大事なこととして、3つのことを挙げられました。それは、「弱き者、隅におかれし者へのまなざし」「好奇心」「旅心」です。水島ゼミには、この3つが全部詰まっていたと思います。これからも、この3つを胸に秘めて頑張ろうと思います。
1年間、ありがとうございました。
一年間のゼミの感想
この一年、法学演習に参加した後の自分と入学当初の自分とを比べてみると、明らかに変わったような気がします。年 2 回の発表の下調べ、レジュメ作りは大変でしたが、発表を終えた後には、充実感がありました。また、議論を通じて、新しい疑問も生まれてきました。法学演習は 1 年間で終わってしまいましたが、議論をして初めて生まれてきた疑問を忘れずに、常に心に持ち、考えつづけていこうと思います。
また、法学演習の中での先生のトークや、議論のなかでは、毎回のように、論題について自分では気づくことのできなかっ た視点に気づかされ、驚かされました。そうしたときの自分は、ゾクゾクと鳥肌が立ち、喜びや驚きが入り交じったような今まで感じたことのない気持ちになりました。
議論以外にも、裁判所の見学や、六法の引き方、読み方など他の科目では触れることができないことに触れることができました。法学演習は、自分にとって、法律を近づき易いものに変えるきっかけになったとも思います。
法学部入学前の自分と大きく変わったと感じているところは、疑問を持つ心の大切さを知り、一つのテーマに対して色々な光の当て方ができるようになった、ということです。
これからも、法学演習を通して体験した新しいことを知る喜びや、疑問を持つ心を大切にしていこうと思います。一年間の法学演習はとても中身の詰まった充実したものであり、なにより自分自身にとって、新鮮なものでした。
一年間ありがとうございました。先生の法学演習は、参加していてとても楽しく、 1 回ごとに必ず新しい発見のある授業でした。
一年法学演習 水島ゼミをおえて
まずは今年一年のご指導ありがとうございました。先生のお話、弾劾裁判所の見学、そしてそれぞれの発表。楽しかったこと、辛かったこと山ほどありますが、本当に水島ゼミで学べたことを誇りに思っています。その中で私が感じたことを私見ながら述べさせていただきたいと思います。
この通年の授業では目に見えるほどの成長がありました。本当は五班の自分がこう変わったと説明するのが一番いいのですが、それよりも客観的に見て他の班の成長、特に四班の伸びが素晴らしかったと感じたのであえてそちらについて述べます。前期の四班は匿名報道について発表していましたが、実は内容はよく覚えていません。ただ、確かあっという間に報告も終わり、討論も論点が良く分からぬまま終わってしまったと思います。一言でいえばぱっとしない発表でした。
しかし、後期の発表はまるで見違えるようなものでした。ゆとり教育についての発表では、自分の塾講師としての体験や、留学体験からその是非を説いたり、自分の卒業した高校の先生にゆとり教育が実際の現場ではどのように行われているのかを調べてきたりと報告と討論で 90 分では少なすぎるような充実した内容でした。聞く方がどのような点を知りたがっているか明確に示し、またはそのゆとりの矛盾点を分かりやすい実体験を交えて話すことはその後の討論がやり易くなるだけでなく、聞いていて面白いものでした。
これは確実に前期の発表で何かをつかんだからでしょう。聞く方のことを考え、討論を盛り上げなくてはいけない。これにはどの班も苦労したでしょうが、四班からはどの他の班よりもそのことを考えている気持ちが感じられました。確かに前例のない状態で初めからあれだけの発表をした一班は立派です。しかし、一度失敗したことをばねにより良いものを作りあげた四班はもっと立派であると思います。ただ、それは前期の失敗があったからこそ乗り越えられたものでしょう。通年でなければそこに気づくだけで生かすことも出来ずただ終わってしまう。それだけです。
これまで私たちが高校まで学んできたことは、先生から受け取ることの一方通行がほとんどでした。それは大学に入っても変わらない部分があります。しかしこれから先、受け取ることよりも、自分を表現し、人々を引きつけるものを伝えられる能力が確実に求められるでしょう。この一年間大教室でマイクを使った先生方から学んだことも大切ですが、法学演習で発表し 90 分持たせることの難しさを知れたことも大切な財産です。聞く 90分より話す 90分のほうがどれだけ長いことか。
発表を一年で二回行うことは確かに辛かったです。しかし、その分前期の失敗を後期に生かせたという自信はどの班も得ることが出来たでしょう。この成長は通年だからこそ得られるものだと確信しています。法学演習は一年を通して、じっくりと表現力を養うべきであると私は思います。
最後に自分のことについて述べさせてください。水島ゼミの最後の授業で先生はズシッとのしかかるような大切なことを話してくださいました。その中で、最も私は「本当に強いものは常に弱いもののことを考えなくてはならない」という言葉に考えることがありました。先生のおっしゃるとおり私たちは学生のなかでは早稲田の学生という強者でしょう。そして同時に経済大国である日本人という強者でもあります。世界は不平等です。これは紛れもない事実です。先進国ではダイエットが問題となる中、途上国では餓死するひとが大勢います。ここで強者である自分が何もしないでいいのか。そんな葛藤が昔からありました。別に社会主義的な平等を支持しているわけではありません。競争は確かに必要なものであると思います。ただ、そんな競争といったレベルを超えたある種弱いものいじめに近いものが世界には数多く存在しています。あるものは生まれた国の貧しさから、あるものはその宗教から、そしてあるものはその人種から競争の場にすら生まれながらにして立てない大勢の人たちがいます。そういった個人の力ではどうしようもない不平等には、その恩恵をうける私たちも立ち向かうべきであると私は思います。そして、偽善と呼ばれようとも少しでも弱き人たちへ手を差し伸べようとする人たちの中に私は人間の素晴らしさを感じるのです。
決して世界的なものでなくてもいいでしょう。たとえば、私はもう一つ一般教養科目のゼミで弓削先生からジェンダーについて学んでいました ( ちなみに、そこには水島ゼミ四年のKさんもいらっしゃり、特にホモセクシュアルについて意見を聞かせていただき考えさせられました ) 。例えば、女性というだけでも弱者になりうる状況がまだまだありうるのです。そこで強者である男性だからといって甘んじていては何も変わらないでしょう。
自分に都合のいいことはそのままにしておきたいのは人間の性です。ただ、そこに虐げられている人たちが存在するのであれば目を向けなくてはならないと私は考えます。それは決して、自分の得にはならないかもしれない。しかし、自分のためにはなると思います。これからも常に自分の立場からだけ物事を見ていくのではなく、周りの人たちの立場にも立っていろんなことを学んでいくつもりです。
長くなりましたが、先生の授業では単に知識だけではなく、もっと本当にためになることを得られたと思います。本当に一年間ありがとうございました。