2004年度水島一年ゼミ感想レポート
1.授業について
演習中心のため授業は数回しかなかったが、毎回驚きと発見があった。その中でも特に印象に残ったものが二つある。 一つ目は、警官が刃物を持った男を射殺した事件に関する三種類の新聞記事を比較・検討した授業である。この授業で私は新聞が主観的な一面を持つということを知った。しかも、朝日・読売といった全国紙にも考えられないような誤報や記事内容の相違が見つかり、今まで受動的・一方向的に受け取りがちであった新聞の情報に対し、常に批判的な眼差しを向けることの重要性を痛感した。またそのためには、数種類の新聞記事を比較することが有効であることも学ぶことができ、新聞で興味深い事件の記事に出くわすと、図書館で他紙の記事をチェックする習慣がついた。これは私にとって革命的な変化であった。そもそも問題意識をもって新聞記事を読むことすら私はしていなかったからである。しかしこの授業のおかげで、新聞を「主体的に」読み、「客観的に」分析する能力が、徐々にではあるがしかし確実に身に付いてきているように思う。
二つ目は、映画「 twelve angry men( 十二人の怒れる男 ) 」である。この映画を通して、人が人を裁くということの重みを再認識させられたように思う。そしてこれは法曹を目指す私にとっては特に意義深いことであった。人間である以上、誤りはつきものである。しかし、人を裁くからには、可能な限り論理的かつ客観的に思考して結論を導かねばならない。そのためには、わずかでも疑問に感じたことやおかしいと思ったことはそのままにせず、厳しく真理を追究する態度が求められる。また、陪審員制などによって複数の市民の目が裁判に反映されることも、その一助となるのではないだろうか。以上がこの映画を観て感じたことである。余談だが、「 What's your name? 」は名台詞だと思う。
他にも、様々な裏話や先生の恋愛術などが聞け、非常に面白い授業だった。
2.フィールドワークについて
最初に地方裁判所へ行った。人生初の裁判傍聴である。ごくありふれた普通の人が手錠をかけられ、裁かれているのを実際に目の前で見ると、犯罪というものは身近で起こっているものなのだなということが肌で感じられた。また、裁判官の質問に検察官があわてていたのも印象的だった。やはり一人でいくつもの事件を処理しているためなのだろうか。それにしても、人物関係くらいはきちんと把握しておいてもらいたいものである。
次に訪れた裁判官弾劾裁判所では、六法を開くなど貴重な体験ができた。(あの六法は二度と開かれることがないのだろうか。)裁判官弾劾裁判所は絶対に必要だと思うが、経費が年間一億数千万というのは少しかかり過ぎではないだろうか。聞けば年に一度も裁判が開かれていないのに使途不明な多額の予算が組まれているとのこと。民主主義的な制度なのだから、透明性を持った健全な運営をしていってもらいたいものである。
3.演習(ゼミ)について
正直かなりきつかった。テーマを設定しても、単純に YES か NO かに分かれるようなものはなく、たいていは多数の論点をもち議論が複雑に入り組んでいて、挫折することも何度かあった。また班員の意見が分かれ、なかなかまとまらないこともしばしばあった。こいう演習の難しさというのは実際にやってみてはじめて分かるものではないだろうか。その意味でも、演習を早いうちに経験できてよかったと思う。また、共に頑張ってきた班の人たちとは何か絆のようなものができた。この関係を大切にし、今後も助け合っていきたい。
4.最後に
半期という短い間だったが、その分濃縮された素晴らしいゼミになったのではないだろうか。 2004 年度水島一年ゼミ出身であることに誇りをもって、今後も頑張っていきたい。
前期限りの短い演習だったけど・・・
私は、この前期限りという短い一年法学演習のなかで数多くの貴重な経験ができ、今後の自分にとってプラスになるものをたくさん得ることができた。振り返ってみれば、最初にこの授業を取ろうと思ったキッカケは先生の講義要項であり、学期の終わりには「法的センスを磨く」ことにより違った自分を発見できるかもという言葉に惹かれたからであった。その言葉通り、私はこのゼミを通して様々なことを学び法的センスを磨くことができた。それは、発表を準備する過程や授業で他のグループの発表を聞き討論をした時であったり、または先生の話を聞いた時、あるいはフィールドワークをした時など様々な場面を経ることによって学習できたのだ。
まず始めに、グループ学習を振り返ってみるとする。私たちの班は、一回目は「著作権」で二回目は「裁判員制度」を発表した。私たちは、仲良くコミュニケーションが取れ、良いチームワークであった点が非常に恵まれていた。しかし、計画性が今ひとつ無かったが為、直前の一週間で集中的に終わらすと言う形になってしまい、時間が足りないと言うことで調べたいことがすべて出来なかったのは残念であった。また、家守君が途中から抜けるということもすごく残念であった。ところで、私が、このグループ発表を通して学んだことは、自分の意見をとことん主張するということの大切さである。私は、今までどちらかと言えばあまり押しが強いタイプでなく自分の意見をちゃんと主張してこなかった所があった。だからこそ、このグループのみんなが自分の意見に自信をもってちゃんと主張する姿に感銘を受けた。お互いが自分の意見を主張しあって初めて良いものができるのだと痛感した。
次に、授業での他のグループの発表を振り返ってみる。どの班も非常に興味深いテーマについて調べてあり、私の知的好奇心が毎回くすぐられた。なかでも、三班の発表には衝撃をうけた。非常に上手に面白い発表の構成をつくり、そして鋭い論点を通じてわれわれに色々なことを考えさせる。また、彼らの足を使って物事を調べるという姿勢は非常に勉強になった。三班のような、人を惹き付ける発表をこれからは目指していきたいと強く感じた。
最後に、フィールドワークを振り返ってみる。裁判傍聴から始まり、法務省の展示室そして弾劾裁判所を見た。裁判の傍聴は、私にとってこれが2回目であったが、僕にとって非常に新鮮なものであった。図ったように泣いた被告人を見てこれは常習ではないかと強く疑った。何が真実なのかが分らない状態で判決を出さないといけないのは大変であろうと感じた。弾劾裁判所は立派な造りであり、裁判長の席に座らせて頂けたことはとても思い出になった。立派な造りからは、司法の中でのこの弾劾裁判所の意味の大きさを感じる事ができた。また、この弾劾裁判所における小さな論点、「残業費」、「1億3000万円」などの一般の人には決して知ることの無いことを知って問題意識が持てたことを嬉しく思う。
このように、水島先生の一年法学演習を受講することによって様々な経験を経てたくさんのことを学ぶことができて非常に嬉しいと思う。一年の初めにこのような経験ができたことは今後の勉強に大きくプラスに作用するだろう。「法的センス」を磨く場を我々に与えてくれた水島先生に感謝を言いたい。私は、飲み会での先生の「一つのことを深く深く勉強しなさい。」という言葉が強く印象に残った。私はこれからの長い大学生活のなかで、なにか一つ大きなものを見つけてそれに深く励み、知的にも人間的にも面白い人間になっていきたい
一年ゼミ前期を終えて
前期を通してゼミをやってきて、水島先生の伝えたいことが僕に伝えられたような気がします。
第一に、浅倉むつこ教授もおっしゃっていた様に自分の知りたいこと、興味あることは足を使って実際にそれを見ると言うことです。今までそんなものがあるのか程度でしか考えていなかったことが、実際の存在、すなわち弾劾裁判所という存在を目で確認することで、そのイメージを具体的に感じ取ることが出来、今まで文字でしか持てなかったイメージと比較して考えれば、明らかに今現在持つ弾劾裁判所に対するイメージは違い、より社会の実態を身近に感じることがこの体験を通して出来るようになりました。自分の目で実際に見るということの大切さを肌で感じました。これを知る、感じることが出来たことが、本ゼミで一番の収穫の事柄であったかもしれません(浅倉むつこ教授にインタビューしたことで、より一層その重要性がわかってきたのも事実であります、まさに運命で
す)。
第二に、プレゼンテーションです。一番最初の授業でプレゼンをやるとの話を聞いたとき、一瞬戸惑い、こんな名前すら知らない人達と良いプレゼンなど出来るはずないと勝手に思っていました。しかし今ではうちの班員は、共に戦場で戦った戦士のように、何度も夜を共に明かしたことによる友情で結ばれています。最終プレゼンでは皆試験が近づいているにもかかわらず、最大限の努力をもってこのプレゼンにいどみました。僕に至っては、何にも知らない統計学を担当させられ、丸二日かけてその統計学の文献を読み漁り、理解に努め、また何にも知らない映像の編集を担当させられ、徹夜の日々が続きました、あと判決文の担当も・・・これらのことは本当に自分のためになったのでしょうか?結論は、とてもためになった、と言えると思います。なぜなら今では、映像の編集してくれ、統計学って何か教えてくれ、という問いに対応出来るからです。プレゼンを準備するために僕たちがしたことは、決して無駄にはならないこと、むしろものに対する価値観が多様になると言うメリットがあること、それが今ではプラスに「生きている」と感じます。プレゼンの仕方一つをとっても、班員皆で徹夜で練習したり、直すべきとこを指摘し合ったりしたことで、今ではプレゼンをすることがとても楽しみになり、自信がついてきました。
最後に、最初の授業から、実は、一週間の授業の中でこの授業は一番面白いと感じていたのですが、今改めて思うと、本当に多種多様な知識が得られる授業であり、絶対に面白く勉強の出来る授業であると他の人に主張できる授業であったと言えます。
本当に楽しい授業どうもありがとうございました。
一年ゼミを終えて
水島先生こんにちは!!
前期導入教育科目の演習の授業が始まって早くも4ヶ月が過ぎてしまいました。スタートしたばかりの頃は何が分からないかが分からず、とにかく不安でいっぱいでした。中でも材料集めや段取り、論点はどこに置くかなどを班員みんなで集まってガーデンハウスで話し合ったことが印象的であり、最も大変だったと思います。本1冊読み切っても、ネットでたくさん検索しても、情報としてこれで十分というのはなく、本番のあの壇上での緊張感はどんなに調査の課程を踏もうと押さえられませんでした!!調べれば調べるほど1つに多くの答えがあったり、出て欲しい情報が出てこなかったりで、最初の報告会ではその曖昧さがもろに出た気がしました。しかし、段を踏むことで2回目の報告会へ向けての取材では以前より徹底追跡することができたと思います。班内で死刑賛成派・反対派に分かれて討論をしてみたときには、まだまだ不明解まところが多いことにゾッとしたと同時に、ゼミのみんなの前で発表する前にこうやって意見をぶつけ合うことをやって本当に良かったとも感じました。
最後に3班の街中インタビューの手伝いができたことは私にとってとても良い収穫でした。これにより取材というものをより一層探求できたと思います。目で追って読み、知識として頭で理解していくことも大事であり、また、目で見、耳で聞き、実際に現状にふれる取材も相手を説得させる上でとても重要な材料となるということに気づきました!!さらに、このインタビューをしていて思ったことは、まんべんなくあらゆる人に聞いてみるべきだということです。例えば、4人組の、見るからに原宿でお買い物が似合いそうな女の子たちは、実際自分たちが女の子限定のサービスを受けたことがある、あるいは知っているために女性の方が有利だと言っていました。しかし一方で、若い20代のカップルは自分たちが実際に仕事をしていることから男性有利な社会だと言っていました。このように同じ日本という社会に生きる人でも置かれた境遇や経験が違えば見方も全然違う事を実感しました。
今の世の中、弁護士にしても極道の道から改心した大平光代さんをはじめ、弁護士の数だけ弁護の仕方がある時代です。一般常識だと思っていたことも考えようによっては覆されることも可能になります。そんな現代をインタビューを通して直に感じることができたと思いました。また、あえて言えば街中で映像まで撮るという私達の行動に同意してインタビューを受けてくれた人には本当に感謝です。普通、街で声をかけられても知らないふりをするのが一番安全で妥当なはずです。私は最近このように声をかけられると信じていいのか、信じて悪いのか(特に話し方からしていかにも人の良さそうな人からの声がけ)に一瞬悩み人間不信になりそうな時もありました。とにもかくにも、余談ですが、好意をもってしてあげたことが最悪の結果を招きかねないような矛盾した世の中についても考えさせられましたと感じています。
それから、つい最近「正義は勝つ」というドラマを見ました。この最終回で織田裕二演じる主人公の弁護士は最後に判決で「真実を見失ってはいけない」と言っていました。真実を見失わないためには、やはり明確な事実と冷静な判断と法律を上手に使うことが必要ではないかと思います。なんだか今、半端な気持ちで取り組みたくないという気持ちでいっぱいです。報告会は緊張はしたものの、同時に好奇心でも満たされていました。はじめのこの授業で先生は好奇心について話されましたよね?大きな可能性を大事にしたいです。そのためにも(弾劾裁判所等の見学に関する感想はこの間送った通りなのですが)やはりまた近いうちに霞ヶ関の裁判所に傍聴しに行きたいと思っています。
いろいろな意味で、前期に水島先生のゼミで学んだこと、発見したことは本当に今の私にとって大変プラスになっていると思います!後期の期間には、「12人の怒れる男たち」の少数派として自分の信念を貫き通した一人の男のように、冷静に物事を見ることのできる精神を養っていきたいです。