韓国における政治腐敗に対する検察と特別(独立)検事の挑戦

−その成果と限界−

 

韓寅燮(ハン・インソプ:ソウル大学法科大学教授)

 

 

T.序論

 

 韓国の検察庁法第42項は、「検事はその職務を遂行するにあたり、国民全体に対する奉仕者として政治的中立を守らなければならず、付与された権限を濫用してはならない」と規定している。その間検察は、「政治権力の道具」として使われてきたことに対する国民的不信、検察権行使が偏頗的で不公正だという疑い、そして検察権行使に聖域が存在するという疑いを受けてきたのである。検察権行使に対する法制度的牽制がない状態で、検察裁量権を濫用してきたことに対する不信も少なくはなかった。「検察がしっかり立ってこそ、国がまともに立つ」、言い換えると、「検察を立て直さなければ、何も変えることができない」という世論が節目ごとに高まった。

 1998年以後の金大中(キム・デジュン)政権下においても、このような事情は改善されなかった。金大中政権は、上で指摘した政治検察、偏頗検察の代表的な被害者であった。だから、初めは検察改革の強い意志を表したりもしたが、まもなく検察がもっている権限をそのままにしながら政−検癒着を再強化することによって、検察を再び「権力の道具」にしようとした。その結果は、検察だけではなく政権次元で道徳性の危機を招いた。政治検察に対する極度の不信感は、韓国歴史上初めての特別検事制の立法化として表れ、結局は与党はもちろん検察首脳部の非理(以下、一般に不正と訳す)まで、特別検事によって捜査を受けるにいたったのである。

 2003年に登場した盧武鉉(ノ・ムヒョン)政権は、政権と検察間の癒着関係を解体しようとした。まず、検察改革を導く法務部長官を判事経歴のある人権弁護士の中から、それも若い女性を任命した。これは、法務部長官を常に検察高位幹部出身の中から任命してきた慣例に正面から背くものであり、年功序列的慣行にも反し、男性中心的組織体に対する挑戦でもあった。あわせて、任期が残った検察総長および高位職幹部たちのその間のふるまいに対して極度の不信を表すことによって、検察総長の辞任を促し、高位職幹部を大々的に交替した。このような一連の政治的イニシアティブに対して、検察は組織的な抵抗を見せた。それに対し大統領は、「平検事との対話」というテレビ討論を通して検察と正面から向かいあった。その結果は、両者間に心理的に取り返しがつかないほど気まずい状態を招いた。大統領と検察間の露骨的な気まずい関係は、今までの大統領・与党と検察の癒着関係または相互利用関係の清算を意味するものであった。大統領は検察を、「権力の道具」として利用しないことを宣言し、検察は大統領を通じて個人的・集団的利益を得る道を放棄して、本来の役割、つまり強力な捜査を通して自らの存在価値を認められねばならない道に追い込まれた。このような事態の進展は、検察の政治的中立を望み、巨悪に対峙する検察像を主張してきた市民の立場からは悪かろうはずはない。

 満16ヶ月が過ぎた現在の時点で、政治腐敗(political corruption)あるいは権力型腐敗(corruption by the powerful)に対する検察の役割はどうであったか。検察は、政治的道具化を放棄して権力型腐敗を統制する本来の役割を、どれほど忠実に遂行しているのであろうか。検察および法務行政に対する組織的、構造的改革は、どのようになされているのかという点を探ってみることにする。そして政治腐敗と闘争のために議論されてきた二つの方案、つまり特別検事制および高位公職者不正調査処の現在と未来に対して展望してみようと思う。そのことによって、政治腐敗に対する韓国の対応を、比較法的資料として提示できるであろう。

 

 

U.検察の大統領選挙(大選)資金捜査;その成果と限界

 

 大検察庁中央捜査部は2004521日、不法大選資金捜査結果を発表した。2003829日、大検察庁は「SK海運粉飾会計事件」の捜査から始まり、財閥企業から会計帳簿を押収して企業秘〔密〕資金の実態を捜査した。SK秘〔密〕資金捜査から大選資金100億ウォンがハンナラ党に手渡されたことを把握し、113日、検察は不法大選資金の全貌を暴くという「歴史的宣言」をした。その間、大統領選挙過程で与・野すべて、天文学的規模の不法資金を「慣行」のように造成し使われてきたが、検察が大選資金に直接メスを入れるのは初めてのことであった。

 大選資金調査過程では、次の事実が主に明らかになった。第一に、主要大選候補であった李会昌(イ・フェチャン)と盧武鉉陣営は、それぞれ大企業から不法資金を受け取った。おおよその総額は1000億ウォン。選挙一ヶ月前まで当選可能性が圧倒的に高かった 李会昌 陣営に大企業の不法資金が集中した。たとえばサムソンは370億、LG150億、現代自動車およびSKはそれぞれ100億ウォンなど四大企業の不法資金が720億におよび、明らかになった総規模(総額)は848億にのぼった。盧武鉉陣営もまた、サムソンから30億、SK10億、現代自動車66千万ウォンなど113億ウォンに達した。しかしながら、このように明らかになった金額は「証拠による最小限のもの」で、実際にはずっと多いであろうというのが衆論である。資金を受け取る方法は、車のトランクに現金をぎっしりとのせる方式から、ひいては現金をのせたトラックの鍵を渡す方法、車のトランクにのせて車から車へと受け渡す方法など、猟奇的な方法が暴露されて世間の人々の憤怒に油を注いだ。

 第二に、捜査過程において供与者である大企業側の人士だけでなく、政治家たちがぞくぞくと召還され拘束された。5月末現在、不法大選資金を造成し授受した嫌疑で現職国会議員23名(拘束7名)が司法処理され、その中には両陣営の中枢議員たちがあまねく含まれていた。大統領の最側近人士、後援者たちも、大選資金および個人資金授受の嫌疑でともに刑事裁判に回付された。また企業家たちの中では大企業最高位層3名が拘束起訴され、大企業の構造改革本部長など20余名が起訴された。検察は「右顧左眄せずひたすら法と原則にしたがって『出てくれば出てくるままに捜査する』という厳正な姿勢を堅持」したため、「聖域なき捜査」をしたと自己評価した。

 第三に、企業秘〔密〕資金捜査からはじまり、両陣営の大選資金の造成経緯を明らかにすることによって、捜査内容面において「慣行」と妥協しなかった。従来「政治慣行」という美名のもとで行われた、政治圏と企業間の多様な形態の巨額不法資金授受事実を明らかにした。企業、特に財閥総帥たちは便法相続、不当内部取引、粉飾会計、秘〔密〕資金造成などの弱点を持っているために政治的後援を必要とし、政治家の要求を拒絶することができなかった。このように、政治家に提供される不法政治資金は、非正常な方法で造られることによって企業の財務構造を不健全なものにする悪循環が繰り返されてきた。しかしながら大選資金捜査によって明らかになった政−経癒着の実態は、さらなる政治資金の募金と使用に対する構造的・意識的改革を遅らせることはできないことを明らかにした。

 大選資金捜査の効果は、即効性があり大きかった。第一に、中間捜査結果が発表された38日直後、国会の大統領弾劾訴追が発議された。従来、盧武鉉大統領は与・野すべての大統領選挙過程において、不法資金が造成されたことを認めながら、これを選挙改革の契機と看做さなければならないと力説した。あわせて、自らの陣営が造成した不法資金は相手側の不法資金の10分の1を超えることはなく、10分の1を超えた場合には「政界を引退」することを公言したりもした。ところが、「盧武鉉大統領側の不法資金授受規模は113億で、 李会昌候補側の不法資金823億の10分の1を超過し、7分の1に至っている」とする点も弾劾事由のひとつに追加された。野党のハンナラ党と民主党は、盧大統領の弾劾訴追案を39日に提出しながら、弾劾事由のひとつを次のように整理した。「( 盧武鉉大統領の)側近たちがぞくぞくと大選資金と当選祝い金の名目で不法資金を授受し、各種の賄賂と供応を受け、盧大統領はこれらの不正行為と共犯関係にあることが検察捜査で確認されたので、国政を遂行する法的・道徳的基盤を喪失した」。このような「権力型不正腐敗によって国政を正常に遂行できないという国家的危機状況を招き、これ以上、国を運営する資格と能力がないことが明らかになった」ということが、主要な弾劾事由として提起されたのである。国会が通過させた弾劾訴追案は憲法裁判所で棄却されたが、検察の捜査は大統領の弾劾まで引き起こす余波を巻き起こした。

 第二に、検察捜査は弾劾政局とともに4.15総選に大きな影響を与えた。もともと過半数を占めていた野党であるハンナラ党は、「チャッテギ(車一台分ごと〔不正資金の〕取引すること)」という汚名とともに、世論を無視した弾劾訴追によって少数党へと転落した。さらに重要なことは、慣行となっていた政治資金の不法化と与・野党政治家の拘束事態は、4.15総選から、「お金がかからない選挙、きれいな選挙風土」を造りだすのに重要な転機と作った。企業も総選挙で選挙資金を提供する必要がなくなり、「金銭選挙」の事例がめっきり減ることによって、ようやくお金が選挙に重要な影響を与える段階を克服できるようになった。

 第三に、過去、司正型捜査は政権初期に、主に過去政権の担当者たちや、政権の反対派をねらったりしたが、政治的中立を維持した検察は現政権の主要政治家および大統領側近をも同時に標的にし、それによって大統領の最側近がぞくぞくと拘束される事態が生じた。検察は、「聖域なき捜査」をしたと自己評価した。実際、大統領の最側近の拘束事態に直面し、大統領自らが「目の前が真っ暗」で、「信任評価」を受けると言うほどの衝撃的な事態は、検察の捜査によって生じたことである。したがって、今後とも捜査に聖域はなかろうという期待は、政治腐敗を予防するにあたって肯定的な兆しになると考えられる。

 しかしながら、検察の捜査意志と力量を評価するにあたって、相当な問題が露出したことも事実だ。第一に、衡平性の論争が明確に除去されなかったという点である。野党と関連した巨額の不法資金の規模と授受形態は、早くから明確にされたが、いわゆる「生の権力」に対する捜査は遅々として進まず、算術的な均衡だけでなく捜査の実質においても不十分だったという批判が提起された。主に企業家の陳述に主に依存する捜査方式では、いまだに現政権から憎まれないでおこうという企業の姿勢を克服するのは難しく、したがって相対的に野党の不法資金より与党の不法資金の実態を明らかにするのが難しい要因もある。しかしながら結果的に見ると、検察が公正な捜査意志をもったとしても、野党に不利な結果を招くことになる。大選資金捜査の結果、野党が負った政治的被害が与党よりもずっと大きかったので、検察の「中立的」捜査が「偏頗的に」影響を受けたという点を認めざるをえない。

 第二に、はたして「聖域」がなかったのかという点である。まず盧武鉉大統領に対して検察は、「検察なりの結論はあるが、現職大統領の職務上、安全と免責特権を認め、現在捜査しないことが望ましい」と明らかにした。また、 李会昌大統領候補に対しては、「不法大選資金募金と使用過程に介入したという証拠がない」として立件しなかった。しかしながら、不法大選資金の募金と目的が大統領選挙に使おうとするものであり、選挙で最も悩ましい資金造成の方法と内容について、大統領候補者が「知らなかった」「責任を取る問題ではない」というのは、極めて苦しい言い逃れのように思える。 李会昌候補は、検察の中間発表直後、記者会見で、「ハンナラ党の大選資金の最終責任は本人にあり、自らがすべての責任をとって監獄に行く」と、盧大統領も去就を自ら決断するように圧迫を加えた。大統領は「在職中、刑事上の訴追をうけない」(憲法第84条)という条文をあげ、大統領の犯罪関与自体を捜査しないということが適当かどうかは疑問である。したがって現職大統領は、検察捜査の矢面に立たない結果になったことは、残念なことではある。

 もう一つの「聖域」地帯は、大企業の総帥である。拘束起訴された大企業総帥は、政治資金提供嫌疑以外にも、企業の本質的な不正である業務上横領や背任の嫌疑が適用された事例である。それに反し、単純に「政治資金」のみを提供した嫌疑では、どの企業家も拘束されなかった。さらに検察によって起訴された企業家の中から、「財閥総帥」はすべて抜けている。100億ウォン以上の不法政治資金を提供しても、財閥の総帥たちは立件されず、彼らに対しては直接捜査すらしなかった。そのため、検察が「政治権力からの独立」は確保したが、「経済権力には屈服」したという批判さえ出た。それについて検察は、大企業総帥に対して決して「目こぼし」捜査をしたのではなく、捜査技術上の問題、証拠確保上の困難などで不立件、不起訴などの結果が出たにすぎないと抗弁した。さらに、企業家たちに対する処理方向を巡ってさまざまな見解があるが、「検察捜査が長期化すれば、企業の投資や消費者の消費心理が極度に萎縮し、この事件の捜査が経済に深刻な悪影響を及ぼす」としつつ、「検察権の行使においても、全体の国益が考慮されなければならない」という見解を明らかにした。結局、検察権の公正で厳正な行使も、無条件に証拠だけを見て、捜査に乗り出すという捜査至上主義ではなく、その国家の経済事情など全体の国益を考慮しなければならないとすることによって、検察捜査の中立性の実体に対し新らたな疑問が投げかけられた。

 このような限界と批判にもかかわらず、今回の大選資金捜査は検察に大きな教訓を残した。それは、今までの政治検察の汚名をそそぎ、「検察捜査の独立と中立」を確保する道は、どのような制度や環境より、検察自らの非常な覚悟から出発することを悟らせたという点である。法と原則にしたがって歩む検察の本然の姿勢によってこそ、その間の不信をぬぐい、検察に対する信頼を回復する捷径であることを知らされた。検察が政治から独立し、政治的腐敗に対して正面から挑戦するとき、清潔な政治風土と企業の透明性を高めることのできる決定的契機を作くれることも確認されたわけである。今後、検察の捜査力量が集中しなければならない分野が権力型腐敗、金融経済犯罪などであることを悟らせたことで、将来、検察捜査の望ましい方向を示唆した意味もすくなくないであろう。

 

 

V.政治腐敗に対する捜査主体としての検察−特に大検察庁中央捜査部を中心に

 

 韓国における権力層、高位公職者、企業家の不正腐敗に対する捜査は、警察ではなく検察が担当して来ており、その中でも各地方検察庁の特別捜査担当部署(地検特捜部)によって管掌される。そのうち、国家的(社会的に)重要性をもった事件は、大検察庁中央捜査部(中捜部)が担当する。権力型不正事件は、政治的に敏感で社会的に大きな波紋を呼び起こす事件であるため、国民の関心と注視の対象となる。特に執権勢力または反対勢力と関連した事件の場合、捜査の中立性、公正性に対する論争を引き起こすことになる。

 大検中捜部は、権力型不正事件に対する直接捜査機能を担当する。中捜部は「司政の中枢機関として全国の検察の司政捜査業務を指揮」し、「膨大な捜査力量が必要な事件、高度の保安・迅速な意思決定および関係機関との緊密な協調が必要な事件を直接捜査」するところであると自己評価した。特に「検察総長が命じる犯罪事件および関連事件を直接捜査」するところで、大検察庁に設置された唯一の捜査機関である。このように、中捜部は検察総長の直接指揮、統制を受けている。最高検察庁の直接捜査機能の保有は、特異な機能として外国ではその例が少ない。韓国の大検察庁は、傘下の検察庁に対する指揮、監督を与えられた機能としながらも、重大事件に対する直接捜査機能を担当する特色をもっている。中捜部は、検察総長が完全に掌握し、総長がその捜査結果に対して直接責任をとるようになっており、中捜部捜査による波紋は、検察総長と検察全体に直接およぶことになる。これまで、検察の国民的信頼度の低下は、まさに中捜部事件の処理に対する国民の評価による点が少なくない。

 このような中捜部のあり方は、それなりの長所と短所を持ち合わせている。長所といえば、重大な事件に対して検察の全力量を動員し、処理することによって真相が明らかにされ、責任者が処罰されることを望む社会の要求に直接応じることが出来る点である。また、捜査力量を結集することによって短期間に最大限に効率よく捜査をできる点もあげることができる。一方、短所というと、中捜部の捜査と関連して検察総長は圧力と影響力に直接さらされざるをえない点である。総長に政治的圧力に勝てるという所信と力量がない場合、検察が「権力の走狗」に転落せざるをえない。また検察の指揮部署が捜査に直接たずさわることになると、それに対して牽制や統制をできる上級の指揮部署がないので、偏った捜査になる場合これを矯正できず、捜査の公正性と平衡性を大枠で評価することができないという問題点がある。さらに、中捜部の捜査結果と国民の信頼を得ることが出来ない場合、検察全体の信頼度が墜落して、検察は「99%うまくやっても、1%の失敗のために、100%ダメなような評価を受ける」とその無念さを吐露したりもした。

 このような問題点を勘案し、現在の中捜部の直接捜査機能を廃止し、地方検察庁単位の特別捜査部に権力型の不正および経済犯罪を捜査させるようにする方案が有力に論じられている。現在、ソウル地検特捜部は権力型不正の操作機能の相当部分を担当しているが、それ以外にも、捜査は地方検察庁で担当するのが検察構造上、適当であるという点もある。具体的には、従来、大検中捜部で担当した事件は、ソウル地検特捜部で担当するという方案である。これは東京地検特捜部の例のように、相当な経歴をつんだ検事を中心にソウル地検の特捜部を構成し、金融・企業会計・税務・コンピューターなどの専門人力を拡充して経済分野の専門捜査力量を大幅に強化する方案が提示されている。ただし検察最高指揮部署である大検と中捜部が直接、強力に前面に出ることを望む国民情緒が一方にあり、中捜部の廃止が、ただちに権力型不正に対する捜査の弱体化を招くのではないかという憂慮もある。最近、大検中捜部が主導した大選資金捜査において相当なレベルで国民の信頼を回復した状況で、検察総長自らが、中捜部廃止論は最近の中捜部捜査を通して被害にあった人たちが、検察を無力化させようとする意図であると反発したりもした。しかしながらこのような問題は、今後、権力型不正に対する捜査機能の合理的再編という角度から接近しなければならず、情緒的な接近によって解決することではないという批判も少なくはなかった。このような論難の中で、これから先、大検中捜部の直接捜査機能が廃止され地検特捜部に移管されるかどうかは見守らなければならないが、中捜部が廃止されないとしても、やがては中捜部の役割は著しく縮小され、大部分の腐敗捜査は地検特捜部によって遂行されるものと予想される。

 

 

W.特別検事の役割

 

 権力型腐敗や重大な国民の疑惑事件に対する検察の態度に対する不信は、特別検事制の導入主張へとつながった。特に「政治検察」によって一方的に被害を被ると主張してきた野党、検察の政治化を批判してきた市民団体は民主化の初期から特別検事制の導入を主張してきた。金大中政権(19982003)は、何十年間、狙い撃ちの捜査および公安勢力から被害を受けてきたので、特別検事制の導入を強力に主張し、大統領選挙公約でも特検制導入が含まれていた。

 しかし政権を執るなり、金大中政権は特検制反対論にまわり、これまで与党であった野党は特検制賛成論へとまわった。これは、それほどまでに検察権が与党の政治的道具になりえることを与野党すべてが認めていることを意味する。韓国においえて特検制導入をめぐる議論は、すなわち検察の政治性を測定できるバロメーターとしての役割をもつわけである。

 市民団体は、権力型不正に対する全国民的な疑惑を消し去って不正をなくすために、既存の検察ではない特別検察の導入をたゆみなく主張してきた。一方、検察は一貫して特検制の反対論を繰り広げてきた。検察は、捜査の効率面で特検は費用がかさみ、効率が悪く、憲法上の三権分立原則に反して違憲であると主張してきた。しかしながら、1999年、検察総長および大検の公安部長が職務に関連した疑惑事件が発生すると、検察はこの事件を捜査し、問題なしと結論づけた。しかしこのような検察の調査は、同じ機関内部で事件を捜査するときに生じる利益衝突(conflicts of interest)問題、および捜査の公正さに対する対外的な信頼をまったく確保することができないため、結局は特別検事法の制定によって疑惑を消さざるをえない状況におかれた。そうして、「韓国造幣公社、労働組合のストライキ誘導および前検察総長夫人に対する洋服ロビー疑惑事件真相究明のための特別検事の任命などに関する法律」という長い名称の法律が制定された。この二つの疑惑事件について特定し、一時的に、検察ではない特別検事を任命して捜査するというものであった。特別検事の任命は、国会議長が大統領に任命要請をし、大統領は大韓弁護士協会に候補者推薦を依頼し、大韓弁護士協会が2倍数の候補者を推薦すると大統領はその中の一人に特別検事を任命するという順序を規定していた。特別検事は特別検事補をはじめとした捜査陣を構成し、60日の法定捜査機関を経て公訴提起如何を決定することになる。

 このようにはじまった特別検事制は、その後にも国民からの疑惑が集中し、検察捜査の公正さが疑わしい一連の事件に対しても個別法律を制定して発動された。これまでの特別検事の発動実績は、〈表1〉のとおりである。

 

表1.特別検事の発動および処理結果〉

 

事件

法律名称

(制定日) 

主要疑惑対象者

特検の処理結果

@「洋服ロビー賄賂」事件

韓国造幣公社労働組合ストライキ誘導、及び前検察総長夫人への服での賄賂疑惑事件真相究明のための特別検事任命などに関する法律(1999.9.30

前検察総長夫人、青瓦台法務秘書官、

大企業総帥夫人など

前職検察総長、

大統領秘書官拘束

Aストライキ誘導疑惑事件

大検公安部長、造幣公社社長

嫌疑無し

B李ヨンホ株価操作・横領事件、及び政・官界ロビー疑惑

株式会社GG代表李ヨンホの株価操作・横領事件及びこれと関連した政・官系ロビー疑惑事件などの真相究明のための特別検事任命などに関する法律(2001.11.26)

株価操作、横領に関与した企業家、大統領と親密な政・官人士、検察の庇護疑惑を受けたソウル地検長及び検察総長

大検の捜査結果と確実に異なる新たな事実を明らかにし、関連者拘束、公訴提起

C南北頂上会談関連 対北朝鮮送金疑惑事件

南北頂上会談関連対北朝鮮秘密送金疑惑事件などの真相究明のための特別検事任命などに関する法律(2003.2.19)

金大中政権下の大統領秘書室長、統一部長官、現代商船代表

南北頂上会談を成し遂げる代価として北側に1億ドルを提供することにし、現代を通じて送金した事実が明らかになる。対北朝鮮送金の規模の総計は5億ドル。対北朝鮮協商の主役、現代側人士拘束起訴される

D大統領側近の権力型不正事件

盧武鉉大統領の側近、崔ドスル・李クァンヂェ・梁ギルスン関連権力型不正疑惑事件などの真相究明のための特別検事任命などに関する法律(2003.12.6)

大統領側近、大統領秘書官など

検察捜査結果以外の別途特別な事実は明らかにされなかった

 

 韓国における特別検事の発動については、次のような特徴が見受けられる。まず、特別検事制は一般法ではなく、個別事件に対する処分的法律の形態で成案された。これは、与党側で、一般法の形態で特検の常時的な発動可能性を非常に憂慮したからである。そのため、特別検事の捜査範囲も法律で詳しく規定されることによって、一つの疑惑事件の捜査過程で明らかにされる新しい疑惑を継続して追求していく可能性を遮断した。しかしながら、実際に捜査過程で明らかにされる事実をもとに国民世論を背負って、ある程度の拡張は不可能ではなかった。第二に、特検は検察一角の憂慮とは異なり検察捜査の不十分な部分を探し出し、新しい事実を明らかにしたり、根拠のない疑惑を解消するのに大きく寄与した。これは権力型不正の捜査において捜査技法や力量に負けず劣らず、重要なのは捜査意志であることを立証して、検察だけが捜査ができるという神話を覆した。もちろん、特別検事は、検事および検察庁の捜査官たちを特検補および捜査チームに派遣させたので、捜査技法上の補完はなされた。しかしながら、最も重要なことは公正かつ厳正に捜査をするという意志を持った特別検事の存在が有用であることを悟らせたことである。特検の個々の捜査結果に対する批判はこれまでも提起されてきたが、特検の捜査によってそのような疑惑が継続性のある政治争点ないし社会的疑惑として残ることを遮断できた点は、政治的安定に一役買ったと見られる。第三に、個別立法を蓄積していくことによって、特検の与えられた用途が自然に明らかになった。大統領の側近疑惑、与党が関与したロビー疑惑が一つの類型であるならば、検察高位層が関与した疑惑は別の類型に属する。このような疑惑は正規の検察によって信頼性をもって解消されにくいため、特検が必要なゾーンが明らかに存在することを立証したわけである。第四に、特検に対する初期の憂慮、特に権力分立に反して違憲であるという論拠が、特検の活動過程において杞憂であることが明らかになって、ほとんど勢いがなくなる状況におちいった。検察も「国民からの疑惑が提起された政治的事件」に対して「法務部長官がすすんで特別検事の任命を要請」するという方針[1]を明らかにすることによって、検察の特検制無用論および違憲論がこれ以上、有用性をもたないことを自認したわけである。

 一時的な処分形態ではあるが、特別検事制が一つの捜査機関として根付くことによって最も強い刺激をうけたのは、検察であった。検察はこれ以上、自らの捜査が最終的なものとなりえないことを認めざるをえなかった。検察の捜査が不十分であったり、国民からの疑惑をうけたりする場合、すぐさま特別検事制という世論をひきおこし、特検が新しい嫌疑事実を明らかにする場合、検察の信頼度に致命的な打撃を加えられることを痛感するようになった。特検ができてからは、検察捜査が最終的なものではないという考えがひろまったため、捜査に対する責任感と負担を検察が感じるようになったのである。〈表1〉のBの場合には特検が多数の新しい犯罪事実を究明したが、Dの場合、新しい事実がほとんどでなかった。一連の特検事件を経験した検察側から、特検による新事実が出てこないように、検察が抜本的捜査をしたためであると言える。かなりの負担をかんじるであろう大選資金捜査において検察が信頼を回復するだけの捜査実績を残すことが出来たのは、特検の影も大きな役割を果たしたと言える。このように韓国における一連の特検制の実行経験は、検察捜査の公正性と信頼性の回復のための刺激剤となった点に、大きな意義を見いだすことができるであろう。今後、特別検事制は依然として発動可能性はあるが、その可能性の顕在化如何は、権力型不正もしくは検察関連の不正に対する検察捜査の信頼度にかかっているともいえよう。もちろん特検制自体を制約するための各種の限定的条項も制定されてこそ、すでに「韓国の憲政と司法の現実に不可欠な構成要素にまで内蔵された」特別検事制の長所が、かげりなく光を発することが出来るわけである。

 

X.高位公職者非理(不正)調査処新設論難をめぐる葛藤

 

 権力型不正と公職者腐敗に対する、より根本的な対案として、総合的で体系的な対策が必要であるという論議は、1990年代に市民社会から強力に提起された。その一環として、韓国の代表的NGO「参与連帯」は腐敗防止法案を立法請願した。この法案は、腐敗統制に対する総合的内容を含んでいる。このような努力の結果、腐敗防止法は2001年に制定された。その内容には、腐敗防止を統括する機構として大統領直属の「腐敗防止委員会」(以下、「腐防委」)を設立すると共に、腐敗申告者保護および褒賞、国民の監査請求権保障などの規定が盛り込まれている。民間団体が提案した他の方案、例えば、公職者倫理やマネーランドリング(不正資金洗浄)防止などに対しては、他の法律にその内容が反映されているか、反映する予定である。腐敗防止を担当する機構として、「腐防委」が「腐敗防止に必要な法令、制度などの改善と政策の樹立・施行などのために大統領所属下」に設置される。しかし、「腐防委」に調査権や捜査権は与えられない。

 民間団体が最も重視するのは、高位公職者非理調査処(以下、「高非処」とする)の新設であった。「高非処」は、高位公職者の公職関連犯罪に対して、特別検事と特別捜査官を置いて、独立的で厳正な調査と捜査が可能にしたものである。しかし、国会を通過した腐敗防止法は、捜査機能を持った「高非処」ではなく、腐敗防止のための政策的、法的改革をする機構として規定している。このような形態の「腐防委」は、微弱な権限からくる執行力の不在、腐敗嫌疑を捕捉しても、直接処理できない問題点を持っている[2]。「腐防委」の権限が、このように縮小されてしまったのは、強力な捜査機関の誕生を悦ばない執権者の意思と、捜査権、起訴権を独占しようとする検察の強力な意志があったからだ。

 2002年に入って、大統領選挙キャンペーンで「高非処」は再び争点になった。辛基南(シン・ギナム)議員ほか28人の議員の連名で「高位公職者非理調査処設置法案」が提出され、盧武鉉候補は大統領選挙で公約としてこれを掲げ、今回の総選挙では、与野が共に同じ主張を繰り返した。選挙で勝利した執権党は具体的検討に入り、それに従い「高非処」の設置および権限付与の是非は実現可能な争点として浮上した。

 「高非処」の具体的な方案に対しては、毎日のように新たな争点があらわれているので、その前途を予測し難い。政府が提示している「高非処」は、大略、次のような構想を持っている。まず、「高非処」は、「腐防委」傘下、あるいは「腐防委」の附置機構であり、大統領傘下にはあるが、処長の任命は立法府の同意を得るようにして独立性の保障をするようにする。次に、「高非処」の捜査対象としては、高位公職者(具体的には1級以上)、国会議員、警察高位職、判検事など、4500名程度の公職者と、場合によっては、その親戚の不正が含まれる。第三に、「高非処」が捜査権を持つのは当然であるが、起訴権までをも持つべきだとする主張と、起訴権は検察によって統一的に行使させるのが望ましいとする見解とに分かれている。第四に、「高非処」を新設する場合、高位公職者の捜査は「高非処」だけに担当させねばならないという見解(専属管轄権)と、「高非処」はもちろん、検察も従前通りに当然、高位公職者の捜査を担当できる(競合管轄権)という主張が対立した。しかし、「高非処」の専属管轄を認める場合、「高非処」と検察の競争を誘導して権力型不正に対して、徹底した例外なき司正を行わねばならないという趣旨にもとり、検察を無力化しようという陰謀だという反発に逢着するので、現在、両機関の競合管轄を認めねばならないという方向に整理されつつある。

 「高非処」の新設をめぐって、政党間、機関間の論争が極めて熾烈な実情である。野党は、「高非処」が独立性の保障を与えられず、大統領の直属司正機関へと変質し、権力型の不正ではなく、立法府と司法府を統制する手段へと変質する事を憂慮している。検察は、ようやく政治的中立性を確保し権力型不正を捜査できる時点で、検察を無力化しようとする陰謀であると反発している。一方、「高非処」の新設を10年以上、主張してきた「参与連帯」は、「高非処」が「腐防委」から独立した機構でなくてはならず、「高非処」に大しては、検察に捜査指揮権を与えず、独立的な捜査権と起訴権を付与すべしと主張している。起訴権は、事実上、捜査の方向、強度、対象を左右するので、起訴権を持たない「高非処」は、結局、検察の指揮・監督を受ける存在に転落する事を憂慮しているからである。その代わりに、「高非処」は処長、次長を特別検事で任じ、彼らをして捜査指揮および起訴を担当させれば、法的にはなんら問題が無いと主張している。要するに、「高非処」は、権力型不正捜査で確認された特別検事の肯定的効果の制度化、権力型不正捜査の公正性と効率性の達成、そして検察の不正に対して検察自ら捜査できない利害関係の衝突問題などを解決できる制度的な装置として、積極的な意味を持ちうると主張している。

 結局、「高非処」の新設が必要であるとする主張が勢いをえるのは、検察捜査の政治的中立性および捜査意志に対する国民的不信が、依然として強いということを意味している。たとえ、大統領選挙資金捜査で、ある程度信頼の土台を築いたとはいえ、検察の政治的利用可能性に対する疑いが払拭されていない。特別検察制度に対する要求や検察の起訴独占主義に対する反対などは、すべて検察改革が、より構造的、体質的に進められねばならないという事を意味する。

 

 

Y.おわりに

 

過ぎし数十年間、韓国の政治と社会は、極めてダイナミックに変化してきた。政治的腐敗、権力型不正も依然として大きな争点となっており、国民的関心が集まっている。選挙資金と関連した政治腐敗に限ってみるなら、腐敗の規模は急速に縮小しており、政治環境もしだいに「清潔で透明な」方向に進んでいる。それは、政権交代と政治環境の変化が、従来のように不正を隠蔽するのが難しくさせ、ますます促進させている。それに従って、従来、「慣行」のように思われてきた腐敗に対しても厳正な処罰が行われている。

 他方、巨悪を掦抉する検察の意志と力量は常に批判を受けてきた。そのような国民的な批判と不信が、一連の特別検事の制度的実践と高位公職者非理調査処の新設要求としてあらわれてきた。特別検事自体も、数年前までは、実現可能性が薄いように思われたが、韓国の政治の波乱と変化は、何回もの特検を稼動させてきた。同じく、現在、実現が難しいように思える高位公職者非理調査処も国民と政界の合意が得られれば、どのような形態であろうとも、制度化できるであろう。そして、特別検事や高位公職者非理調査処のような代替的捜査機関の存在可能性は、検察の政治的中立と捜査意志を促す契機として作用していることも確かである。しかし、いかなる代替的方案が考案されても、腐敗捜査の枢軸は検察が担うしかないので、腐敗統制機関としての検察の中立は、極めて重要な課題である。

 検察の位相定立において、最も重要なことは、大統領と検察の関係設定であった。現在の大統領は検察の特定の捜査方向を左右することもできないし、法務部長官も具体的捜査に対する指揮監督権を行使していない。検察もまた、大統領に制度的に期待する利益がなくなったので、両者が緊密であったパイプも無いように思える。したがって、検察は、自らの独自の捜査を通じて、自らの存在価値を国民に立証しなければならない。今ひとつ意味のある変化は、検察首脳部が事件の縮小や封鎖が難しくなったという点である。これは、韓国の民主化の流れが、検察組織にも浸透し、首脳部の命令をそのまま従っていた時代が過ぎ去った事を意味している。盧武鉉政権の政権運営方法の特色は権力と言論、権力と検察の関係を極めてギクシャクとさせていくことにある。権力層と検察のギクシャクした関係は、国民には返って良いことであって、権力層にも長期的には望ましい影響を与えるであろう。検察権は弱体化したが、かえってその本領である捜査権の忠実な行使を通じて、何時にもまして強い検察になる事ができたのは、極めて逆説的ではあるが、真実である。