大阪の女性司法書士からの熱いメール

大阪司法書士会の○○と申します。
私は、DV問題への取り組みから、女性の権利に関する仕事に重点を置いた活動をしていまして、昨日の講演もとても楽しみにしておりました。素晴らしい、勇気の出るお話をありがとうございました。

実は、私は高校時代から4半世紀ちょっと、バファローズのファンをしておりまして、6月13日の合併会見以来、ネットや掲示板の情報を頼りに、署名をしたり、集会に参加したり、デモに行ったりと、反対運動に参加してまいりました。17日夜も、前泊のホテルでニュースやネットで選手会の情報を集め、ほとんど眠れない夜を過ごして、先生の講演に参加をしておりました。

選手会が、労働者としての権利の声を上げた、そのことを人権のテーマとからめた先生のお話を伺いながら、会場で涙が止まらなくなりました。あとで、大阪の仲間から「今日の話は、あんたのための講演やったなあ」と言われてしまいました。私も、本当にそう思いました。

先生は、選手のことだけをお話になりましたが、私は、私たちファンには「応援権」があると思っています。私は、熱烈ファンに比べればたいしたファンではないですが、それでも、このチームの活躍は日々の活力の支えでしたし、このチームのいない人生というのは考えられないことです。子どもが高校を卒業したら、大阪ドームに仕事帰りに通えるようになると、楽しみにしておりました人生設計も台無しになりました。同職の仲間は、私に同情をして、冗談で、幸福追求権の侵害だ、とか、もしかしたら生存権の問題かも、という者もおりますが、私は、これも大げさではないという思いでおります。

プロ野球のチームは、それぞれが過去の選手の闘いの歴史があり、その選手たちが育てた現在の選手たちが今を闘い、この選手たちがまたこれからの世代の選手を育てる。ファンは、この「時間の流れ」も含めて、今の選手たちの集団を応援し、地域の風土の中でファンとともに作り上げたチームカラーを楽しんでいるのです。たとえチーム名が変わろうとも、この選手たちと裏方のスタッフの集団が残っていれば、ファンは彼らの応援を続けることができます。しかし、この選手たちを、他のチームと混ぜ合わせるとか、他のチームでバラバラにもらうから、客はそのどこかを応援しろ、という経営側の論理は間違っています。これは文化の破壊です。

かつて、南方熊楠は、熊野の森の木を伐採するために神社を合併させようとした法を、住民(氏子)の心のよりどころを失うことになると撤廃させたそうです。 この運動がなかったら、熊野の森が世界遺産として登録されることもなかっただろうといいます。プロ野球のチームも、これに似た性格のものだと思います。

球団経営ができなくなった企業は、責任をもって、経営ができる企業に球団全体を売却して撤退をする。これが、プロ野球チームを持っている企業の本当の責任ではないでしょうか。それができないチームがでてきたら、他のすべての球団で支えるというのも、リーグを創ってリーグ戦、日本シリーズという形をファンに見せ続けてきたプロ野球界としての責任ではないでしょうか。

しかし、ファンには、公設・私設の応援団はあっても、選手会労組のような組織がありません。個別にファンが球団に抗議をしても、返事すらないそうです。選挙で国政を変えることはできますが、署名すら無視する経営者に、私たちファンが声を届ける手段がないのです。
選手会は、労働者としてだけではなく、私たちファンのこのような思いも含めて闘ってくれています。古田選手の涙は、私たちファンのこの思いが届けきれないことに対する無念の涙であったのだと思います。

どうしても、チームを解体されるのが2球団だけのことなので、ファンのこの思いがなかなか理解してもらえず、メディアもとりあげないのですが、先生があれだけの熱弁で選手会の行動を理論構成されていましたので、私たちファンの権利についても、何かの機会に是非、分析していただけましたらと思い、メールをさせていただきました。ぶしつけをお許しください。