本年最初の「雑談」シリーズである。今年も、「食のはなし」や「音楽よもや話」を含めて、本来の「直言」のなかに不定期に入る「雑談」シリーズ(多忙期の埋め草)にもお付き合い下さい。これから入試・学年末シーズンのため、内外情勢の緊迫化にもかかわらず、場違いの「雑談」が何度かUPされることをご了承下さい。
さて、「ながら族」という言葉がある。「あることをしながら、同時に別のことをする“ものぐさ”な態度」というのが一般的理解かもしれない。いま、この言葉は死語に限りなく近づいているように思う。なぜなら、「一億総ながら族化」とも言える状況が生まれているからである。例えば、昔は「夕食のときはテレビを消そう」と言われたものだが、いまはテレビをつけないと食事ができないという人も少なくない。
音楽を聴きながら仕事をする。これは私もやる。「ながら視聴」というのは別に悪いことではないと思う。ただ、私にとっては、ブルックナーの交響曲の「ながら」はできない。これを流しながら原稿書きを始めても、結局聴く方に集中してしまい、仕事にならない。間違ってもバーバーの「弦楽のためのアダージョ」などは避ける。ベトナム戦争を描いた映画「プラトーン」のバックに流れた音楽だが、官能的すぎて原稿や思索に適さない。ワーグナーの楽劇「トリスタンとイゾルデ」の前奏曲と「愛の死」なども同様である。
そこで、私にとって(あくまでも、「私にとって」である)、「ながら」にふさわしい音楽というものを紹介しよう。これはずっと昔からやってきていることなので、いまさら、人にとやかく言われるものでも、また、人におすすめできるものでもない。私個人の「ながら」体験にすぎない。
まず、原稿書きの際に流すのは、シューマン、シューベルト、メンデルスゾーンなどの、それもけっこうマイナーな交響曲である。モーツァルトやベートーヴェン、ブラームスなどは完成度が高すぎて、「ながら」にはむかない。それに対して、シューマンは、第1番ハ長調「春」、第2番ハ長調、第3番変ホ長調「ライン」、第4番ニ短調のいずれも、「ながら」(あくまでも「私にとっての」)に適している。同じシューマンでも、例えば第2番をレナード・バーンスタインがPMFを振ったもの(1990年夏。特に第3楽章は、ここまでやるかという耽美的演奏。エリザベト音大の「法学」の授業で使い、最近DVDも購入した)は絶対だめ。死の直前の、若者たちとの練習風景が目に浮かんで、涙が出てくる。セルギュ・チェルビダッケ指揮/ミュンヘンフィルの演奏もだめ。彼一流のテンポと味つけがなされているので、気になって原稿書きに打ち込めないからだ。できるだけ地味なオーケストラと渋い指揮者の演奏を選ぶ。シューマンだったら、ラファエル・クーベリック(別に彼が渋いわけではなく、立派な指揮者だが)とバイエルン放送交響楽団あたりの演奏がいい。1989年の旧東独「市民革命」で重要な役割を果したクルト・マズーアがライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団と収録した全集は、何度聴いても私の好みのテンポに合わないので避けている。
交響曲では、シューベルトもいい。「未完成」と「グレート」は除き、第1番ニ長調から第6番ハ長調までを、ヘルベルト・ブロムシュテット指揮ドレスデン国立歌劇場管弦楽団あたりで聴く。無骨で軽快でない演奏が、原稿書きの波動にあう。メンデルスゾーンの交響曲では、第1番ハ短調や第2番変ロ長調「讃歌」、第3番イ短調「スコットランド」あたりを、クラウディオ・アッバード指揮/ロンドン交響楽団の全集で。ドボルザークの交響曲第1番ハ短調「ズロニツェの鐘」、第2番変ロ長調、第3番変ホ長調、第4番ニ短調あたりを、バツラフ・ノイマン指揮チェコフィルで。なお、この全集版CDは、1999年11月4日、プラハのルドルフィヌムのドヴォルザークホールでチェコフィルのライブ演奏(ドヴォルザーク交響曲第8番ト長調ほか)を聴いた際、ホール売店で購入した思い出のセットである。何度も言うが、これは演奏として聴くよりも、あくまでも「ながら」として聴く場合の話である。
感情移入の激しい、甘すぎる曲は「ながら音楽」には適さない。チャイコフスキーはその典型だ。一般によく知られている三大交響曲(第4番ヘ短調、第5番ホ短調、第6番ロ短調「悲愴」)を避けるのは当然としても、この原稿を書くために、試しにマイナーな第1番ト短調「冬の日の幻想」、第2番ハ短調「ウクライナ」(小ロシア)、第3番ニ長調「ポーランド」を流してみた。ユージン・オーマンディ指揮フィラデルフィア管弦楽団のしっかりした演奏だが、曲自体が不必要に甘く、無用に騒がしい。原稿書きには「雑音」にしかならなかった。チャイコフスキーのファンには申し訳ないが、あくまでも原稿書きの「ながら音楽」としての位置づけであることにご注意いただきたい。
私の場合、音楽をボーッと聴くことはない。スコア(総譜)を見たりして集中して聴くか(最近はその時間がまったくない!)、原稿書きのBGMにするか、そのいずれかである。ブルックナーの曲で「ながら」にいいのは、弦楽五重奏曲ヘ長調(WAB112)のアダージョ楽章を弦楽合奏に編曲した作品。スタニスラフ・スクロヴァチェフスキ指揮のザールブリュッケン放送管弦楽団の演奏。その入手経緯については一度書いたので略すが、これは気楽に聴けるのだ。
何度も言うが、これは、あくまでも私にとって、たまたま、これが原稿書きの際に流すのに具合がいいと言っているにすぎない。「おすすめ」という意味では決してない。だから、人によっては、「この曲は“ながら視聴”には向かない」とか、「こんな曲をかけて原稿書くとは…」と言われれば、それまでである。だから、本当はこんな「仕事場の内幕」を書く必要はないのだが、一見無意味に思えて実は無意味なことを書くのも「直言」のポリシィなので、「埋め草」として残しておきたい。
試験の採点をしながら聴く曲もある。自宅で採点をする際に必ず流すのは、グスタフ・マーラーの交響曲である。ただ、第1番ニ長調「巨人」や第8番変ホ長調「千人の交響曲」だとにぎやかすぎるし、第2番ハ短調「復活」や第3番ニ短調、第4番ト長調だと、声楽部分で手が止まってしまう。第9番ニ長調だと4楽章あたりは恍惚となり、仕事にならないおそれがある。そこで、第5番嬰ハ短調、第6番イ短調「悲劇的」、第7番ホ長調「夜の歌」という連番でいく。まともに聴く時は、いろいろと好みがあるが、試験の採点に徹する時はクラウス・テンシュテット指揮のロンドンフィルの全集版を使う。テンシュテット指揮のベルリンフィルで、マーラーの交響曲第6番を聴いたのは1991年5月19日(ベルリン・コンツェルトハウス。旧シャウシュピールハウス)であった(91年のベルリン在外研究時)。実は、この演奏会は、テンシュテットは喉頭癌で療養先からベルリンに戻り、初めての演奏会だった。まさに、彼の復活公演に立ち会うことになった。その6番は凄かった。最初の一音(Einsatz) から鳥肌がたったのを鮮明に覚えている。その7年後の1998年1月、テンシュテットは死去した。だから、91年のベルリンでのライブは一回性の体験となった。マーラーについては、バーンスタインやインバルの全集も持っているが、「ながら」にはテンシュテットがいい。マーラーの「音の饗宴」を流していると、メリハリが効いてきて、長時間の、単調な採点作業を引き締めてくれるからだ。
文字通り最後に、「究極のながら音楽」というものがある。葬式の際に流す曲である。これには思い出がある。亡き父が生前から「通夜用に」と指示していたのが高田三郎「心の四季」と、フォーレの「レクイエム」であった。私が死んだときは、ブルックナーの交響曲第7番イ長調の第2楽章(演奏は、1975年、ザンクト・フローリアンにおける朝比奈隆/大阪フィルのライブ)のあとに、父と同様、フォーレの「レクイエム」と高田三郎「心の四季」も流してほしい、と「遺言」しておこう。父は「心の四季」のなかから第一曲の「風が」を指示したが、私は終曲の「真昼の星」にしたい。「水のいのち」もいいのだが、葬式という場を考えると、「真昼の星」の透明感がいい。なお、この曲を選んだのには、今年4月、父が教師を辞め、「晴読雨読」の生活に入った年齢(52歳)に私自身がなることも影響している。
この元旦、私の娘がたまたま知人から聞いてきた話から、なぜ父が52歳で突然辞表を出して中学校を辞めたのかがわかった。その人は、父の最後の教え子で、24年前の出来事をたまたま知り合った娘に話してくれたのだった。なぜ父が辞表を出したのか。当時、母も私も何も事情を知らなかった。黙って受け止めるしかなかった。でも、その本当の理由が、父の17回忌を半年あとに控えた元旦に、当時教え子だった人の口から初めて明かされたのだ。具体的な中身は書けないが、生徒たちのことを何よりも愛していたことだけは確かだった。父らしい、「かっこいい」鮮やかな幕引きだったのだ。無口な父が決して母や私に語らなかった事実がこういう形で分かった。心の奥の深いところで涙が滲んだ。すべて「見えない時間」の演出である。今年の元旦は、とても大切な何かを得たような気がする。これは、「真昼の星」を私自身の「人生の終わり」に流したいという気持ちとも響きあう。「その時」にこの曲は、私の「究極のながら音楽」になるだろう。「真昼の星」の詩を引用して、この文章を終わる。
ひかえめな 素朴な星は
真昼の空の 遙かな奥に
きらめいている
目立たぬように――
はにかみがちな 綺麗な心が
ほのかな光を見せまいとして
明るい日向(ひなた)を
歩むように――
かがやきを包もうとする星たちは
真昼の空の 遙かな奥に
きらめいている
ひそやかに 静かに――
「お別れする会」において流された二つの音楽について書いておく。4カ月足らずの間に二人の大切な同僚を失った。ともに大学院の後輩にあたり、38年近いつきあいである。一人は今関源成氏(法学部)で、2017年9月23日に急逝した。彼については、2017年10月2日の「直言」の付記で書いた。「お別れする会」(2017年12月16日)でスピーチしたが、バックには彼が好きだったというマーラーの交響曲第5番嬰ハ短調の第4楽章アダージェットが流れていた。ルキノ・ヴィスコンティ監督の映画『ベニスに死す』で使われたのでよく知られている。この曲を聴くたびに彼を思い出してしまうので、しばらく聴いていない。
もう一人は、西原博史氏(社会科学部)である。彼は1月22日深夜、中央道で不慮の死をとげた。2018年1月29日の「直言」に長い付記を書いた。「お別れする会」(2018年1月27日)では、モーツァルトのレクイエムニ短調K.626から「涙の日」(Lacrimosa)が流された。最近、ホームページの管理人のすすめで、ミシェル・コルボの指揮するフォーレのレクイエム(1992年録音盤)を買った(WPCS-50110-1)。2枚組で、もう一枚がモーツァルトのレクイエムだった。ローザンヌ声楽&器楽アンサンブルの演奏だが、これが実によかった。それまで、カール・ベーム指揮のものなどを持っているが、このコルボ盤は、モーツァルトの録音に一部難があるが、心にしみ通る透明な演奏になっている。昨日、これを西原氏のことを思い出しながら聴いていた。
なお、私の「お別れする会」では、少々よくばって本文に書いた曲をすべて使ってほしい。どこで、どれを流すかまで指示しておくと早く実現するので、これはその時の主催者にまかせることにしよう。(2018年2月20日記)