「憲法九章の会」報告書を診る  2005年5月2日

家の大江健三郎氏や加藤周一氏らの呼びかけでできた「九条の会」が全国各地に広まっている。これに対して、国会では、圧倒的多数の議員が改憲派である。憲法96条の改正手続は憲法第9章にあるから、さしずめ、国会には「憲法九章の会」が成立したかのようである。そうしたなか、『改憲論を診る』(法律文化社)が出版された。私の企画・編で進行したが、私の体調不良など種々の事情で出版は困難になった。しかし、何とか憲法記念日前に出すことができた。編集を担当した小西英央氏の熱意に負うところ大である。『世界の「有事法制」を診る』に続き、下道基行氏のインパクトある写真を表紙に使った。世界や日本の「戦争遺跡」を撮り続けている若手写真家である(7月1~27日、INAXギャラリー2で個展)。

   本書が「診断」対象にしたのは、憲法調査会、政党、メディア、文化人、経済界、研究者の改憲論である。一般に、権力担当者が改憲に熱をあげているときは、市民側はよくよくこれを観察して、憲法を変えることが市民にとって本当にプラスになるのかを冷静に見極める必要がある。私が企画責任者をやった『改憲は必要か』(岩波新書、憲法再生フォーラム編)も、この問題意識で編まれている。この2冊は、「揺るぎない護憲派」よりも、「いい憲法だけど、そろそろ変えた方がいいのでは」と考えている普通の市民や「揺るぎある護憲派」を念頭に置いている。

  さて、憲法調査会である。『改憲論を診る』の当該執筆担当者は、調査会を何度も傍聴した上で、その雰囲気なども踏まえて執筆している。そこでは、「委員の欠席・遅刻は珍しくなく、開始時間の時点で委員が半分ほどしか出席していない」「居眠りし、委員会室で携帯電話を鳴らす」といった表面的なことから、概念の誤用や憲法への無理解など、発言内容にもかなり問題があることが指摘されている。「憲法調査会は五年間の憲法放談会に終わってしまう」との危惧に委員が同感する状況もあった(藤島正之委員)。必要性も効果も怪しい外国への調査旅行(28の国・機関)にも多額の税金が使われた。
  
こうして5年間、450時間を超える「調査」の結果、両院の報告書が出揃ったわけである。4月14日の「衆議院憲法調査会報告書」(以下、衆院報告書という)についてはすでに簡単にコメントしておいた20日には参議院憲法調査会も最終報告「日本国憲法に関する調査報告書」(以下、参院報告書という)を出した。外見的評価からいくと、衆院報告書は683頁、1520グラム。2002年11月1日の「中間報告書」が資料編を含めて706頁、1620グラムだったから、今回は100グラムほど軽くなっている。写真を見れば明らかなように、41年前に出された内閣の憲法調査会最終報告書(1964年7月3日)に比べると大判である。紙質は、中間報告が「古紙配合率100%、白色度70の再生紙」だったが、本報告では普通紙を使っている。参院報告書は憲法条文を入れて298頁、780グラムとやや薄い。ただ、参議院には『発言要約一覧』という別冊がある(これは再生紙を使用)。衆議院と同じ分厚い報告書にせず、二分冊にするあたりに、「二院制」の特徴が出ているのかもしれない。なお、『発言要約一覧』には、私が参考人招致(2003年7月16日)された時の発言も、論点別に整理されて載っている。

  両院の報告書が出揃うと、新聞各紙はこれを一斉に報道した。先触れ記事や、調査会の基本線はあちこちで紹介されていたこともあってか、本報告については、新聞の扱いは思ったよりは地味だった。私は衆院報告書について、『日本経済新聞』にコメントした(4月15日付夕刊)。
  
衆院報告書についてはすでにコメントしたので、参院報告書を中心に見ておこう。両報告書の違いとして指摘できることは、改憲の方向を、多数意見を明示することで押し出した衆議院に対して、参議院の方はやや慎重で、両論併記が目立ったことである。参院報告書には、会長の「まえがき」に類するものはなく、調査会での多数意見を押し出すような誘導的な節や下りもない。第3部の「主な論点及びこれに関する各党・各議員の意見」で、それぞれの意見が紹介されている。ただ、冒頭の「凡例」の半頁を使って、①「共通またはおおむね共通の認識を得られたもの」に太線のアンダーラインを引くこと、②「すう勢である意見」(自民、公明、民主の3党がおおむね一致した意見)に白抜き反転文字を使うこと、③「意見が分かれた主要なもの」に細線のアンダーラインを付したことが明記されている。その上で、第4部「まとめ」で、①が33点、②が6点、③が20点あったことが列挙されている。「多数意見」という形ではなく、「共通」「おおむね共通」「すう勢」といった表現が用いられている。衆院よりは、ワン・クッション置かれているのが参院報告書の特徴だろう。
  
ちなみに、①~③の内容は次のとおりである。①の「共通認識」「おおむね共通認識」は、象徴天皇制の維持、女性の天皇容認、天皇の公的行為、9 1項の維持、自衛のための必要最小限度の組織の必要性、国連は重視するが、安保理改革が必要なこと、国際協力の積極化(その際、南北問題や貧困の解決が不可欠なこと)、国際人権法の尊重、女性、子ども、障害者、マイノリティの人権の尊重、外国人の人権の尊重、新しい人権の保障、三権分立の重要性・必要性、二院制の「堅持」、参議院の特質の維持、両院不一致の場合の再議決要件の緩和(3分の2から過半数へ)には慎重であること、議院内閣制の維持、特別裁判所の禁止、司法の迅速化と裁判の充実、私学助成の重要性、参議院の決算重視、地方分権の推進、憲法改正国民投票の維持などである。
  
②の「すう勢である意見」として、新しい人権の憲法上明記、プライバシー権と環境権の規定の新設、首相・閣僚の就任資格は現行通り、予算単年度主義の維持、憲法改正手続の議論を続けること、がある。
  ③の「意見が分かれた」ものとしては、天皇の元首化、憲法9条2項の改正の要否、集団的自衛権、自衛隊の憲法上の明記、国際貢献の憲法上の明記、緊急・非常事態法制、人権と公共の福祉の関係、権利と義務、外国人の参政権、メディア・IT技術の発達に即した規制、政教分離、内閣の機能強化、首相公選制、憲法裁判所制度、私学助成の憲法上の明記、会計検査員、住民投票制、道州制、改正要件の緩和などがある。
  
9条2項については、衆院報告書の場合は多数意見として改正をうたったが、参院報告書の場合は、「意見が分かれた」として、両論併記の扱いとなった。集団的自衛権についても、「認める」「認めない」「制限的に認める」に意見が分かれたとし、認める立場であっても、「憲法上明記」「解釈で可能」と、意見の対立があったとされている。
  
参院報告書で太線アンダーラインが多く入り、かつ最も力がこもっていたのは、二院制と参議院のあり方の部分である。そこだけは、「維持」ではなく、「堅持」という強い言葉が使われ、「参議院のリストラ」(一院制)主張に対する参議院各会派の「統一戦線」が成立しているかのようだ。『毎日新聞』4月20日夕刊は「改憲踏み込まず」と見出しを打ち、翌21日付社説で「歯切れ良いのは二院制だけ」と書き、参院選挙区の議員定数不均衡が5.16倍に達しており、「そもそも違憲状態に近い参院の憲法感覚が疑われる」と批判している。憲法改正を云々する自らの足元が問われているというわけである。
  
実は、昨年1月、最高裁大法廷は、2001年参院選の議員定数不均衡訴訟において合憲判決を出したのだが、15人中6人の裁判官は違憲と判断していた。9人の多数意見のなかで補足意見を書いた4人の裁判官は、次回までに是正がなければ、違憲・無効の判断をする可能性を示唆している。このままだと、10対5で違憲判断が出される可能性もあることにメディアは注目してきた。2004年参院選は、この最高裁の「警告」にもかかわらず、是正なしで選挙を実施した。すでに訴訟も起きており、最高裁がこの選挙で当選した121人のうち、選挙区で当選した73人について、選挙無効の判断を行う可能性も生まれている。参議院は3年毎の半数改選なので、かりに73人の議員が失職しても、比例区の48人と前回選挙の121人の議員を加えた計169人で参議院は活動を継続することは可能である。最高裁が厳しい判決を出す可能性も否定できない。『毎日』社説が問うように、自らの足元の「違憲状態」は、二院制や参議院制度の「堅持」をいうならば、まっさきに是正されなければならないだろう。

  改憲論議が自らの存続にも及ぶ事情を抱える参議院に対して、衆議院の側はやたらと元気である。これまでも中山太郎会長の突出ぶりが目立った。参院調査会の会長名は私の頭にもないほど存在感が薄かったが、中山氏の存在は一般にもかなり知られている。今回の報告書でも、長文の「はしがき」を自ら執筆。踏み込んだ言及をしている。中山氏は「憲法は国民のもの」という姿勢をとる。その一つのあらわれが、「憲法論議を、憲法学者だけのものにしてはならない」ということである。自らが医者であることから、「国家の基本法を論ずるには、この世に生起している森羅万象のうち主要なものはできるだけ取り上げるべきである」という問題意識を開陳しつつ、クローン技術や遺伝子組換技術の問題などにも言及する。だが、「憲法学者の論議だけにするな」という物言いは、「憲法とは何か」という本質から離れて、問題を拡散化させる傾きをもつ。家庭のあり方への説教めいた規定を設けたり、法律の充実で対応することが妥当な問題までも憲法条文化を主張したり(「被害者の人権」など)するのがその例である。これを、憲法論議の意図的な拡散化をはかったと見るか、会長自身の「思い入れ」と「思い込み」がそうさせたのか。私は両方だと思う。改憲論の主要打撃の方向は、憲法9条2項にあることは今も昔も変わらない。問題の拡散化は、とにかく憲法を変えてみようという環境整備として効果的である。
  衆院報告書の「縮図中の縮図」とされる「あらまし」部分(230~252頁)で、改憲に向けた方向づけが、多数意見の明記という形で行われている。そこでは「自衛権の行使として必要最小限の武力行使を認める」「自衛権及び自衛隊について何らの憲法上の措置をとることを否定しない」ということが多数意見として明記された。加えて、改憲に向けた常設機関の設置までも、多数意見の明示という形で実質的に提言してしまっている。これは国会法102条の6で「日本国憲法について広範かつ総合的に調査を行うため」として設置された調査会が、調査の範囲を超えて、憲法改正の実質的な方向づけを与えるものであって、問題であろう。
  
報告書ができたあとも、中山会長の勢いは止まらず、4月26日の衆院本会議で、報告書提出の経緯と概要について発言している。衆議院憲法調査会設置規程2条1項では、報告書は「議長に提出」するとなっており、本会議での「報告」は定められていない。中山会長は、設置規程上予定もされていない本会議発言を行って、報告書をアピールした。明らかに「悪のり」である。
  
報告書の多数意見は、そのまま国民の意見の「縮図」と見ることはできない。一般的に憲法を変えるかと問えば、確かに多くの人が賛成と答えるが、こと9条をどうするかについて問えば、国民の意見は微妙に分かれる。すでに紹介したNHKの世論調査でも9条改正賛成は26%にとどまり、「どちらともいえない」を含めれば、67%が9条改憲に積極的に賛成していないことに注目したい。
  
国会における「憲法九章の会」のレポートだけで、憲法改正を世論の大勢と見ることはできない。これからは、拡散化された改憲論議を原点に引き戻して、そもそも憲法とは何か、なぜ憲法を変えるのかを議論していく必要があるだろう。