中学生の頃、実家の天井裏から錆びた日本刀(脇差し)が出てきた。昔、実家の母屋は甲州街道に面した旅籠だったので、江戸時代のものだろう。錆を砥石で落として磨きをかけた。剣道部に所属していたので、木刀の素振りの合間に、自宅の庭で木の枝を切り落としたりして遊んでいた。あるとき、テレビを見ながら手入れをしていて、うっかり右手の親指の付け根を深く切ってしまった。神経まで傷つけたようで、あまりの痛さに脂汗がでた。数日間、夜の眠りが浅かったのを記憶している。脇差しはその直後に切断処分した。以来、いい加減なチャンバラ映画がみられなくなった。今も、テレビで「ブシュッ」「ドバッ」と人肉が切断される音を聞くと、親指が痛む。38年前の古傷なのに、である。
もっとも、時代劇は、シナリオや役者がきちんとしていれば嫌いではない。だが、水戸黄門などは、中学生時代、野次を飛ばしながらみていた。黄門様が「助さん、格さん、こらしめてやりなさい」とかいって二人を、「悪代官」の側近たちに向かわせる。しばらく立ち回りがある。峰打ちをしているうちはいいが、たまに刀を返して数名を殺傷するときがある。人肉を切断する音も入る。「2名即死、3名重傷」なんて、中学生ながらにカウントしていた(でも、死体や返り血はカット)。「そろそろいいでしょう」と黄門様がのたまわって「三つ葉葵の御印籠」を出させ、「これが目に入らぬかぁ」「ハハーッ」で終わると、「だったら、最初から出せェ!」とテレビに向かって叫んでいた。変な中学生だった。いずれにせよ、チャンバラ映画や戦争映画の場合、描き方と「目線」のとり方で、聴衆の受け取り方も大きく変わる。この点はすでに書いたことがある。
さて、今回の「わが歴史グッズの話」は、私が所蔵する銃剣とそれに関連したマニュアル類の話である。
銃剣のことをバヨネット(バイオネット、bayonet)という。フランス南部のバヨネ(バイヨンヌ、Bayonne)地方で、農民同士の争いごとで銃の先に狩猟用ナイフを差し込んで振り回したことから、銃に剣を着ける方式が普及した。ここからバヨネットという言葉が発祥したらしい。いろいろなタイプの銃剣があるが、革命前のロシア軍は三角形の断面をもつ銃剣を制式化したという。だが、1929年の「傷病者の状態改善に関する第三回赤十字条約」で三角形の断面をもつ銃剣は禁止された。これで刺されると傷の縫合が困難というのが理由らしい。「陸戦ノ法規慣例ニ関スル条約」(1907年) 23条で「不必要ノ苦痛ヲ与フヘキ兵器」の使用が禁止されたが、銃剣はこれに該当しない。銃剣の場合は「必要ノ苦痛」ということになろう。これを書きながら、右手親指に鈍痛が走った。「小指の思い出」ならいいが、私にとって親指の思い出は一種のトラウマである。
これも一度書いたことだが、軍隊の場合、最も基本的な訓練は銃剣格闘訓練である。核ミサイルのボタンを押せば勝負がついてしまうような核時代になっても、陸軍の基本訓練の一つは依然として、銃剣を使った刺突訓練である。遠距離から銃で相手を射殺する訓練だけでは、士気はあがらない。相手の表情や汗の臭いまでも感じる距離で人間を絞め殺し、刺し殺す訓練こそ、最も士気を高め、戦闘員としての自覚も涵養できる。これは、いずこの軍隊でも同じである。
特に旧日本軍では、白兵戦の位置づけがきわめて高かった。教範類にも「我カ白兵ノ優越」という表現が随所に出てくる。写真は、白兵戦の主役、30年式銃剣である。30年式小銃(明治30年制式)用の銃剣として作られたが、その後、38式歩兵銃(明治38年制式)や99式小銃(昭和14年制式)にも同じ銃剣が使われた。半世紀もの間、同じものが使われていたわけである。全長52センチ、刀身部分は40センチほど、重量は約700グラムある。各国の銃剣よりも細くて、長い。タイプはいろいろあった。写真の2本を比較すれば直ちにわかるように、鍔(つば)にあたる部分がフック状になっているものと、直線型になっているものとがあった。鍵状のフック型になっている理由は、相手の銃剣を受け止め、ひねり返して突くなど、近接戦闘に便利だったからである。99式小銃が制式化され、アジア・太平洋戦争が始まると、米英軍との戦闘では銃剣を使った近接戦闘は稀で、機関銃の弾幕に遮られて接近することは困難になる。そこで、99式小銃以降は直線型の鍔になっていった。実際、大陸における野戦とは違って、南方の密林での戦闘では、木の枝やツルが絡むことがあり、直線型の方が合理的ということになる。
刀身を見ると、「血走り」という彫溝がついていたが、戦争末期には質が低下して彫溝がないものも作られた。上の写真は、二つとも血走りがついている。フック型は彫溝があり、しかも白磨きできれいに仕上げてある。ギラリと光ると不気味である。しかし、直線型は黒染めで光らない。米軍相手の戦闘では、キラリと光っただけで迫撃砲弾が飛んでくるからである。
銃剣を使用する戦闘の仕方にも変化が生まれた。『歩兵操典』に見られるように、旧軍では白兵銃剣突撃がことさらに重視されていた。例えば、陸軍戸山学校の教官が著した『列強白兵使用の趨勢』(偕行社記事第608号付録、1925年)を見ると、独仏英米の刺突武器を使った訓練の状況が詳述されている。フランス軍は従来から白兵銃剣突撃を重視してきた。この本には各国の銃剣などを使った「殺し方」の技が図解で詳説されている。序文では、各国軍隊の卓抜優秀さを決めるポイントとして、「旺盛なる攻撃精神及体力強健にして絶大なる運動能力並持久力」「近接射撃及突撃の緊密なる調和連携と格闘の練熟によりて胚胎する確固たる自信力」が強調されている。そのなかでも、旧日本軍は、格闘や銃剣突撃を軸とした近接戦闘における兵士の気合や気力、気構えが重視されていった。この精神主義、白兵銃剣突撃の強調が、米軍相手の戦闘でたくさんの戦死者を出した。銃剣突撃が有効なのは、相手が銃を乱射すれば同士討ちになりそうな距離まで近づいて突撃発起する場合である。日本軍の場合、遮蔽物も何もなく、米軍が弾幕を張るなかを、長い距離、銃剣一本で突撃させられ、多くの兵士が倒れていった。南方戦線でまかれた伝単には、「君達は戦車に対して銃剣で立向ふ事が出来ません」とある。
アジア・太平洋戦争末期には、『歩兵戦闘教練』(昭和20年1月、教育総監部)が出された。『歩兵操典』に「大東亜戦争ノ戦訓」を踏まえて改定を加えたものである。興味深いのは、中国における戦闘とは違い、米軍相手の戦いでは「肉薄攻撃」が重視されていることである。「適切ナル偽装ノ下敵ニ注意シ地形地物、陰影等ヲ利用シ工事ヲ行ヒ匍匐近迫シ射撃シ手榴弾ヲ投擲シ突撃シ肉攻(対戦車肉薄攻撃ヲ略称ス)スルコトニ習熟セシムルト共ニ特ニ攻撃精神ヲ養成シ以テ自ラヲ信ジテ戦闘シ得ルノ能力ヲ與フルヲ要ス」。これは初期の銃剣突撃至上主義からすれば、かなりの修正である。戦車や重火器、物量で攻めてくる米軍相手では、中国兵には通用したかもしれない銃剣突撃の「威力」はむなしかった。ただ、そこにも、第4章に後退したとはいえ、白兵重視の発想は依然として残っている。「突撃ハ兵ノ動作中特ニ緊要ナリ。兵ハ我ガ白兵ノ優越ヲ信ジ勇奮身ヲ挺シテ突入シ敵を圧倒殲滅スベシ」。米軍に対しても、まだ「我ガ白兵ノ優越」を説くところなどには、「銃剣フェティシズム」すら感じる。なぜ、日本軍はここまで銃剣を神聖視したのか。拙著『戦争とたたかう』で私はこう書いた。
「帝国軍隊は兵器の劣勢を『精神力』でカバーすべく、極端な精神主義・画一主義にはしる。その一つのあらわれが白兵銃剣突撃至上主義であり、そして合理性を欠く、異常なまでの『兵器愛護』であった」と。人間よりも物(兵器)を大切にせよという転倒した思想である。「兵器愛護」は、陸軍刑法38条の軍用品毀棄障害罪が過失で兵器を損壊するものにまで適用されたり、「38式歩兵銃殿、私の不注意で撃発装置のまま放置しました。謹んでおわび申し上げます」と、大勢の前で銃に向かってあやまらせる屈辱的制裁も行われたりするなど、徹底された。
戦後はどうか。警察予備隊の『銃剣格闘訓練教範案』(教範15-1-8、昭和27年5月)というものがある。保安庁法は同年7月31日制定、保安隊発足は同10月15日だから、日付からこのマニュアルは警察予備隊末期のものだろう。面白いのは、米軍教範への言及が随所にあること。例えば、「突き」と「引き抜き突き」。一般に人を刃物で刺すと、筋肉が刃に絡んで抜けなくなる。だから、刺突後は速やかに引き抜くのがコツとされる。この教範第15にも、「刺突後引抜きを行うには、右手に新たな力を加え、刺突した方向と反対の方向に引き抜き、すみやかに構え銃の姿勢に復する」とある。そこに注がついていて、「米軍方式においては長突が主であるが、間合いの判定が困難であるのと、刺突時の変化に乏しくかつ刺突の姿勢そのものに堅確性を欠くので、身体ともに間合いに飛び込んで刺突する短突を基本動作とした」とある。すべてが米軍方式で作られた予備隊だが、銃剣術については、白兵突撃重視の旧軍の経験が活かされている。それと、米国人との体格上の違いもあろう。日本人には小回りをきかせたやり方があっているようだ。ちなみに、警察予備隊がつくられた頃は、朝鮮戦争の真っ最中である。韓国の戦争博物館(ソウル市竜山洞)には、北朝鮮兵と高校生との血みどろの白兵戦を描いたジオラマがある。
自衛隊では、「格闘訓練」の位置づけどうか。隊員は、3カ月の後期教育で射撃からこの銃剣格闘までを徹底して仕込まれる。陸上幕僚監部教育訓練部監修『新入隊員必携(新訂版)』には、「戦闘の様相は、複雑であり、近接戦争では火力を有効に発揮できない場合がある。格闘は、そのような場合、個人装備火器、その他利用できるあらゆるものを武器として用い、やむを得ない場合は徒手によって行う戦闘手段である」とある。火力が使えない場合など、ある程度必要に迫られた場合を想定している。日本軍のように、白兵を自己目的化していないのが特徴である。
格闘訓練の狙いとして、「近接戦闘において敵を圧倒する自信を与えることを目的とする」とある。「攻撃の方向・部位又は手段などを冷静かつ瞬時に判断し、おう盛な闘志をもって、初動よく敵の死命を制しなければならない」。「格闘においては、小銃・銃剣はもちろん、ナイフ・手おの・円ぴ〔シャベル〕・こん棒など、あらゆるものを武器として活用しなければならない」。また、銃剣格闘の主体をなす技は、刺突技である。相手の急所を刺突し、死命を制する方法であり、基本刺突と応用刺突よりなる。基本刺突は直突・連続刺突であり、応用刺突は、体転刺突・体当たり刺突・打撃刺突・返突および長突からなる。刺突部位は頸部、肩部、胸部、腹部の4つである。相手と接近して刺突できない場合は、銃のあらゆる部位を用いて打撃技がある。打撃部位は、顔面、頸部、肩部、胸部、腹部および睾丸とする。打撃の場合は、刺突にはない顔面と睾丸が加わる。実際の戦闘では顔と睾丸を刺してはならないということはなく、臨機応変に判断されるのだろうが、あえて『新入隊員必携』には、刺突部位として顔面と睾丸が除かれている。理由は不明だが、「殴る」と「刺す」では残虐感が微妙に異なるのかもしれない。映画などで睾丸を蹴りあげて笑いをとるシーンもあるが、刀や槍で睾丸を刺すシーンを見たことがない。殺し方にも一定の「美学」があるのだろうか。
なお、念のためいっておけば、これら銃剣コレクションは柄と鞘だけで、刀身部分は切断してある。