憲法公布60年の年頭に  2006年1月2日

06年元旦。読者の皆さん、今年もどうぞよろしくお願い致します。

  東京は曇りで、かなり寒い。短い原稿を片づけ、今年最初の「直言」を書こうと書斎の窓から外を見ると、庭の夏みかんの木が目に入った。昨年夏が猛暑だったこともあり、庭の柑橘類は大変な豊作だった。冬みかんは食べきれないほどになった。その隣にある柚子は1000個近い実をつけ、冬至前日に、職員やゼミ学生たちにも配った。すっぱい夏みかんはこうやって、いま、原稿書きに疲れた目をなごませてくれる。この木も精一杯生きているのだと、思わずカメラを向けていた。

  さて、今年は「憲法公布60年」である。昨年は、JR東西の脱線転覆事故、耐震強度偽装問題、通学路での児童誘拐・殺人事件などを通じて、私たちの生活の基礎にある「構造」的問題がいろいろな形で浮き彫りになった。それは、この国の地域や社会の深部、さらには人間のありようまで変えつつある小泉「構造改革」と根底でつながっているように思うが、これは別の機会に譲ることにしよう。改憲の動きも一段と活発化するだろうが、これもまた詳しく書くことになろう。今回は、年頭にあたり、私の個人的な抱負を述べておきたいと思う。基本は昨年元旦の直言「還暦の年に『易』を語る」で書いたことと変わらない。今年4月で早稲田大学に勤務して10年が経過する。多くの学生・院生と関わってきたが、昨年、自分の身近で起きた出来事を通じて、どこにも「構造」問題というものが存在することを実感した。誰しも足元の「構造」に問題があっても、なかなか気づかないものである。人間関係でも、それを支える構造部分に欠陥が生まれれば、全体が崩壊する。強い決意をもって臨み、昨年いっぱいかけて何とか解決の方向にもっていった。

  そうしたなか、昨年12月、私の教え子たちがOB・OG会を開いてくれた。その会に参加した人々へのお礼のメール(12月24日付)をこの直言に転載して、私の今年の決意にかえたいと思う。ゼミのメーリングリスト(+ゼミ関係者など)に流したメールなので、書き出しの文章を削除するなど、若干の修正を加えてある。

  なお、3年前の1月の直言「人間50年からの出発」で「年賀状の一方的廃止」を宣言した。今年もたくさんの年賀状を頂戴したが、この場を借りてお礼と不義理をお詫びしておきたいと思う。


ゼミOB・OG会参加者の皆さん
当日参加できなかったOB・OGの皆さん

 水島です。今日はクリスマスイブです。いかがお過ごしですか。
  12月17日(土)の「水島組・水島ゼミOB・OGの会」から一週間たちました。大隈ガーデンパレスの会場には、70人ものゼミ関係者が集まりました。いままで5回やったなかで最大の参加者です。水島ゼミ1期から9期まで150人のうちで、師走の多忙な時期に、70人(二次会からの参加者を入れると75人)もの人々が参加してくれたことにまず感謝します。二次会にも30人以上が参加して、私も終電近くまで付き合いました。忙しくて参加できなかった方たちも、「心で参加」してくれました。どうもありがとう。

 その日の午後1時に思い立って、徳島から高速バスで二次会から参加し、翌朝7時の始発便で帰徳したハンドルネーム「とっくり」君。感激です。私を目指して広島大学を受験し、入学した年に私が早大に行ってしまったということでご迷惑をおかけし、その後わがゼミ生の一人との不思議なご縁を通じて知り合ったHMさん。わざわざ福岡から参加してくれてありがとう。あのように紹介した以上、あなたも「会」のメンバーです。他にも、鳥取、大阪、京都、群馬、栃木、福島、岐阜といった遠方からの参加者の皆さん、本当にありがとう。都内近郊にいても、それぞれ多忙ななか参加してくれた皆さん、職場から仕事着で直行してくれた方にも感謝です。準備に奔走してくれた現役の諸君、ありがとう。先週、新ゼミ生(10期生)の新採用を決定したばかりということもありますが、今年の「会」は私にとって「新たな出発」という特別の意味がありました。

 2月に倒れて1カ月近く静養。3月のゼミ合宿と研究室合宿で「復活」しましたが、この1年、本調子ではありませんでした。私の教員人生22年間(非常勤を入れれば23年間)で最もつらい出来事を体験して、学生時代にやった神経系の病が復活。今年の前半はそれとたたかう日々でした。単なる過労ならば休めば治りますが、神経系統の病気はそうはいきません。不眠、頭痛、それに集中力が落ちてしまい、自分を「再建」することに必死でした。一番の「被害」は原稿が書けないことです。でも、手帳で確認すると、直言原稿、二つの雑誌連載などの細かなもの、講演おこし原稿なども含めて活字にしたものは、今日現在で200字詰めに換算して3562枚になりました。でも、そのつど締め切りに追われて書いたもので(締め切りを守れなかったものも多い)、自分で満足のいく仕事はできませんでした。ホームページの更新を何とか続けられたのは幸いでした。今年のゼミや講義、講演などでも、表には見えないようにしていましたが、集中力とパワーの低下は否めませんでした。一行一行の文章を書くことに、これだけのエネルギーを消費した年はありませんでした。だから、今年書いた原稿は、「普通でない」状態で喘ぎながら書いたという意味で、特別の思いがあります。9コマ近い授業も、体調不良を理由にした休講を一度もしないでやり終えました。90分をやるのに体力・気力を消耗する一年でした。でも、いま、今年だけ引き受けているICU(国際基督教大学)の非常勤講師(冬学期は2月28日まで)210分連続の講義をやっていますが、これもこなせるまでに体調は回復しました。この長丁場はいまでは「快感」になっています。というわけで、今年前半の不調から何とか立ち直りつつあります。
  年内にまだ原稿3本と会議二つが残っていますが、今年の仕事を大過なく終えることができてホッとしています。いま、このお礼メールを書きながら、12月17日の参加者のスピーチの一つひとつ、皆さんとの語らいが目に浮かんできます。それらは、私の「原点」を確認させてくれるものでした。皆さんから真の「元気」をもらいました。

 40歳を超えた水島組の皆さん(私が28歳の大学院生の時に教えた法職課程教室憲法Aクラスの受講生)が社会の各分野で責任ある地位についてそれぞれ活躍されていることを再確認し、本当にうれしく思います。1期生からのゼミOB・OGの皆さんが、ゼミで得たものを活かして、中央官庁、自治体、企業、マスコミ、法曹界、教育、NGOなど多彩な分野で活躍されていることを毎回新たに確認できることは、本当に教師冥利につきることです。年々、ゼミ生の活躍の場の広がりと奥行きを感じます。それだけ、多くの人が輩出されているということと、年齢と時間の経過とともにより重要な仕事についていることもあると思います。皆さんのスピーチを聞きながら、私は心のなかで涙を流していました。この仕事を続けていてよかった。これからもしっかりやっていこう、とあの場で強い思いがこみ上げてきました。そのことは、「会」の最後のスピーチでも語りましたが、二次会の最後により具体的に宣言しました。
 
その最大のポイントは、誠実さということです。自明のことの自明の確認をあえてしなければならなかったところに、今年の私の試練がありました。

 「知的であること、誠実であること、ナチス的であることは決して三つは同時に成立しない」。これはドイツ第三帝国時代のジョークとして伝えられているものです。知的なナチスは誠実ではなく、ナチスに誠実な人は知的ではなく、知的で誠実な人はナチスにはならない。ドイツ人がナチスが間違っているとわかるまでにかなり時間を要し、その間に大変な被害を与えたことを思えば、危険な兆候を察知する物差しは、誠実さであると思いました。大学という世界は「知」の世界のはずです。知的で専門的な能力があることは前提です。でも、どんなに能力があっても、誠実でなければ終わりです。私は、この誠実さを最大の基準として指導していきます。もちろん、今年の体験の教訓は、指導教授としての私自身にもはねかえります。私自身もまた誠実であり続けるよう努力していくことを再確認しました。「人は人を育てて人になる」という自分で書いた言葉を改めて噛みしめています。

 その上で、二次会で宣言しましたね。あと19年間この早稲田で教員を続けること、そして、私の命のある限り、水島ゼミ26期生(2024年卒業、私の定年退職の年)まで育てることを約束する、と。私は2000年の直言で「夢八分目」を書いたときに、実は60歳をすぎたあたりで、物書きに専念するため大学を辞めることを考えていました(直言ではその部分はぼかしてあります)。でも、今年のつらい体験と、その後のゼミや研究室の修復・再建の過程で、そして自分自身を建て直すなかで、徐々に考えが固まっていきました。それが、あの大隈ガーデンパレスの最後のスピーチと二次会での挨拶になりました。そして、このメールを通じて、当時参加しなかった方々にも宣言しておきます。あと18年間、この職を続けること、そして、多くの教え子を育てること、これが私のAufgabe(使命)、「命の使い方」だと確信しました

 2006年は、この国にとっても大きな転機になるでしょう。私にとっても正念場の年です。どうぞ皆さん、どこまでも誠実な生き方を貫きつつ、時代とコミットしていきましょう。12月17日は本当にありがとう。そして、本年は大変お世話になりました。来年もどうぞよろしくお願いします。水島朝穂

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