各種の仕事が立て込んできたため、既発表原稿を転載する。国公労連『調査時報』「同時代を診る」の連載である。この連載を始めたのは、エッセイストの増田れい子さん(元・毎日新聞論説委員)の強い要請によるものである。増田さんとは、私が札幌時代に出版した『戦争とたたかう――一憲法学者のルソン島戦場体験』(日本評論社、1987年)について、『毎日新聞』紙上で、著者冥利につきる書評をしてくださって以来のお付き合いである。2年前、その増田さんから、15年も続けてこられた連載を私に引き継ぎたいという話がきた。私は多忙を理由に固辞した。しかし、増田さんの粘り強い説得に根負けして、ついにお引き受けしてしまったわけである。この「直言」執筆が困難になるような「急場」(昨年2月に体調を崩した時や学年末・入試繁忙期など)はその転載でしのいできた。今回も、連載15回目(2006年1月発行)を直言にUPすることにしたい。
憲法前文物語
◆「新憲法草案」発表の日
1955年11月15日(火曜)に自民党は結成された。トリビアな話だが、その50年後の11月15日も同じ火曜日だった。しかし、天皇家関連の結婚式と、ブッシュ大統領の訪日(京都)とが重なって、自民党「立党50年記念党大会」は11月22日まで延期された。「新憲法草案」正式発表が米国大統領の訪日に左右されるのだから、「自主憲法」というには情けない出発だった。
さて、1週間後の党大会では、「立党50年宣言」が「小泉チルドレン」の一人、杉村太蔵によって高らかに宣言された。だが、26歳の彼は重大な手違いをしでかした。「宣言」を暗唱したのは立派だったが、「自由民主党!」で終わるべきところを、勢い余って「衆議院議員杉村太蔵!」と叫んでしまったのである。大きな拍手が起こったが、これでは自民党の宣言ではなく、「杉村太蔵宣言」ではないか。
この党大会では、新憲法起草委員長の森喜朗が「新憲法草案」を発表した。史上最低の内閣支持率をもたらし、「決して首相になれない変人」を首相の座に押し上げる原因を作った前首相の語る「新憲法」に、中身以前の問題を感じたのは私一人ではあるまい。なお、新憲法草案の内容上の問題については、拙稿「理念なき『新憲法草案』を診る」(『労働法律旬報』2005年11月下旬号)を参照されたい。
◆前文案の突然の差し替え
自民党は結党以来、日本国憲法を「押しつけ憲法」「占領憲法」といって非難し、「自主憲法」の制定を一貫した「党是」として掲げてきた。衆参両院の憲法調査会でも、自民党委員は、日本国憲法前文は翻訳調の悪文であり、品位と格調が問われるといった趣旨の発言を繰り返し行ってきた。そこで、「新憲法草案」ではさぞかし立派な日本語による前文が披瀝されるものと思っていたところ、その「前文原案」が、『朝日新聞』2005年10月7日付夕刊に流れた。
「日本国民はアジアの東、太平洋と日本海の波洗う美しい島々に、天皇を国民統合の象徴として古より戴き、和を尊び…」で始まる。「国を愛する国民の努力」という言葉もある。この原案は、前文小委員長・中曾根康弘が筆をとったとされる。思い入れと思い込みの溢れる文章だった。
だが、この前文原案が10月28日の起草委員会の全体会議に提出されたとき、まったく別のものに差し替えられていた。出だしは、「日本国民は、自らの意思と決意に基づき、主権者として、ここに新しい憲法を制定する」というあっさりしたもの。「日本国民は、自然との共生を信条に、自国のみならずかけがえのない地球の環境を守るため、力を尽くす」と、結びは妙に壮大である。「国を愛する」という表現も、「帰属する国や社会を愛情と責任感と気概をもって自ら支え守る責務」に変えられた。「愛国心」の過度の強調による反発を回避しようとするあまり、「帰属する社会を愛する」という珍妙な表現になってしまった。これでは、結局「愛社精神」になってしまうのではないか。これを読んだ中曾根は、「(前文から)日本の歴史、文化、伝統、国柄が完全に抜けている。そういう不満が爆発的にあった」と、声を震わせて怒ったという(『東京新聞』10月29日付)。岩見隆夫のいう「憲法前文事件」である(『毎日新聞』11月19日付)。
では、誰が、いつ、なぜ、前文小委員会の前文原案を差し替えたのか。この経緯を『読売新聞』連載「自民党草案②」が生々しく伝えている(11月23日付)。タイトルは「前文決めた『郵政の確執』」。その経緯はこうだ。
郵政民営化法案に参議院自民党が抵抗していたとき、賛否を決するキーパーソンは亀井派会長・中曾根弘文だった。郵政法案を参議院で通すため、新憲法起草委員会事務総長の与謝野馨は中曾根に、息子を説得すれば前文は自由に書いてもよいというニュアンスの打診をしたという。参議院では、弘文の反対が決定的影響を与え、郵政法案は大差で否決された。その瞬間、「中曾根前文案」の運命も決まったようである。
起草委員会事務局次長の舛添要一は、「和を尊び」の削除を要求。郵政民営化をめぐって党内で血で血を洗うような権力闘争が繰り広げられたばかりだから、郵政民営化実現のため「和」より「戦い」を選んだ小泉首相への「皮肉」に聞こえかねないというのが理由である。与謝野は、「手元の紙を裏返し、裏に鉛筆で新たな前文案を書き始めた」。新憲法草案を決める全体会議の10日前のことである。与謝野が選んだのは、「中曾根新憲法」ではなく、「小泉新憲法」だった、と『読売』連載は結んでいる。
◆自民党「前文論争」の貧しさ
一般に憲法前文というのは、憲法の制定目的や、よって立つ基本原理などが格調高い文章によってうたわれるものである。「自主憲法」を党是とする自民党の場合、かつては天皇元首化が目標だった。それがいまや、「象徴天皇制は、これを維持する」という腰の引け方である。「新憲法草案」をいうならば、前文に、象徴天皇制を積極的に意味づける堂々たる文章があってもよかった。中曾根案では、出来はともかくとして、「古(いにしえ)」と「戴き」という表現でこの要請に応えようとしている。「これを維持する」だけでは、現実に男系・男子の世襲が困難な状況にあるとはいえ、憲法前文にしてはあまりに消極的で、志が低すぎる。
『読売新聞』は、この「前文論争」に、解説面の一面全部を提供した(11月23日付)。中曾根の議論には「歴史、文化記すべきだ」という見出し、舛添のそれには「個人的な価値観は不要」という見出しをつけ、それぞれの言い分を詳しく紹介している。一政党の憲法草案をめぐる党内論争に新聞の一面を提供するのは、あまりにも破格である。舛添は、憲法に個人の歴史的解釈を入れてはいけないとして、「和を尊び」は中曾根の個人的歴史観であると切って捨てた。「現職の自民党総裁が違憲になりかねないような表現を、自民党の草案に採用することは絶対にできない」とも。
憲法前文の中身の提案に際しては、法案の賛否や一回の選挙の結果に左右されるようなものであってはならない。与謝野・舛添ラインの発想は、明らかに小泉首相の意に沿うものである。伝統や「国柄」といった抽象的な言葉を盛り込まず、公明党や民主党の反発を極力避けることを狙ったようである。
最近、中曾根は憲法改正シンポジウムの基調講演のなかで、「民主党の憲法提言は自民党より自由で魅力的だ」と語ったという(『毎日新聞』11月23日付)。シンポのパネラーだった舛添は、「『和を尊び』というが、(衆院選で)刺客を送った小泉首相は憲法違反か」とやり返したという。何とも情けない議論である。
結局、憲法9条2項を削除し、96条をいじって、憲法改正のハードルを「3分の2」から「過半数」に下げて、改憲手続の緩和をはかること。この二つさえ達成できれば、あとはどうでもいいといわんばかりの内容である。「改憲大連立」に向けた政治変動に柔軟に対処しようという狙いが込められており、注意を要する。
(文中敬称略、2005年12月26日脱稿)
〔国公労連「調査時報」518号(2006年2月号)所収〕