沖縄・読谷村で講演をした。小林節慶応大学教授とのペア講演とシンポジウムである。このシンポのことは、地元『沖縄タイムス』紙の3月16日付の一面トップで紹介された。読谷村は、米軍との粘り強い交渉によって、米軍基地内に野球場や役場を建設してきた。その後の展開など、「読谷村再訪」としていずれ詳しく書く予定である。
今回は、言うべき人が、言うべきときに、はっきりものを言うという、当り前のことについて書こう。この当り前のことが、この国では存外むずかしい。
1年半前、プロ野球選手会がストライキを敢行したとき、「たかが選手が」と渡邉恒雄オーナーが口走ったことは、読者もご記憶だろう。「たかが選手」は、しかし、「されど選手」だった。多くのファンの声援に支えられて、選手会はがんばった。あの場面で、「どうせ」「結局は…」といってあきらめていたら、その後の展開は違ったものになっていただろう。いつも「グー」を出していたら、ジャンケンは成り立たない。「たかが」といわれても、彼らは思い切って「チョキ」を出したのだ。
ところが、日米関係では、いつも米国が「パー」を出して、日本は「グー」を出すものと相場が決まっている。ご丁寧にも、米国が「グー」を出せるよう、あらかじめ無理をして密約をすることもあった。最近明らかになった、沖縄返還をめぐる日米密約問題がその例である。当時の外務省アメリカ局長が密約の存在を認め、さらに米公文書によってそれが裏づけられても、日本政府は密約の存在を否定しつづけている。米国の現政権だけでなく、過去のすべての政権まで丸ごと擁護する姿勢は異様である。何がなんでも支持するというタイプは、真の友人とはいえないだろう。
1997年12月21日。普天間基地の部隊を、沖縄県名護市のキャンプ・シュワブ沖の「海上ヘリ基地」に移設することをめぐって、市民投票(住民投票)が行われた(詳しくは、『沖縄タイムス』1997年12月19日付「地方自治のための『清き一票』」参照)。「清き一票」なんて「くさい」タイトルにしたのも、一人ひとりの「小さな一票」が全国的に注目されていたからである。
この記事が新聞に掲載された2日後の投票では、基地反対が多数を占めた。沖縄に行くたびに、この市民投票のことを、取材した人たちの顔とともに思い出す。そして、先週、山口県岩国市でも、住民が名護とは違った意味で、むずかしい選択を迫られる住民投票が行われ、岩国市民の多くは基地の拡大に「ノー」の態度を明確にした。
4択だった名護市の場合は、投票率は高かった。これに対し岩国市の場合は、振興策などの条件付きで受け入れを表明する人々は、投票の棄権、ボイコットを呼びかけた。投票所に足を運ぶこと自体に勇気がいる住民投票だったわけである。投票率50%以下ならば投票不成立として、開票されない。基地受け入れ派はそれを狙ったわけである。だが、市民は投票所に足を運び、9割近い人が反対に入れた。『朝日新聞』の「出口調査」では、投票総数の38%の人が自民党支持層で、その86%が反対票を投じたという(3月13日付)。
岩国には、広島大学在職当時、よくドライブした。錦帯橋をはじめ、こぢんまりとしているが、やさしく気品ある風景と人と食べ物が、私はとても好きだった。広島大・旧水島ゼミの学生たちと、岩国基地の問題を考えるため、岩国市役所基地対策課や、田村順玄市議、関係住民から話を聞き、現地を取材した。横田、厚木、嘉手納などのような基地訴訟がなく、堅い保守地盤に支えられて、基地反対の声は決して大きくはなかった。
ところが、今回、基地に否定的でない保守系市長が中心となって、これ以上の基地拡大に「ノー」の立場がとられたのである。神奈川県・厚木基地の米空母艦載機57機を岩国基地に移す計画は、すでに57機の海兵隊航空部隊を抱える岩国市民にとっては、負担の倍加を意味する。飛行場を1キロ沖出しするという計画にしても、騒音が軽減される保証は不確かで、住民の不安を解消するものではなかった。私は、この小さき西国の人びとがどのような結論を出すか注目していた。
3月12日夜、投票率が発表された。投票率58.68%。今回の場合、何よりも投票率が重要だった。町の実力者たちは、「投票に行くな」という運動を展開することで、投票所への道がまさに踏み絵としての役回りも果たした。だからこそ、6割近い人が投票所に足を直接運んだというだけで、大変勇気ある行動といえよう。
投票結果は、受け入れに反対する者が87.42%(43433票)、賛成する者が10.8%(5369票)だった。反対は、全有権者の51.3%に達して、全住民(有権者) の過半数が反対に投票したことになる。
この結果について、東京のメディアの冷たさは何だろう。その晩のテレビに現地から出演した岩国市長に対して、スタジオのコメンテーターたち(阿川佐和子氏や、「行列のできる法律相談所」の某弁護士など)は不自然なほど冷たい態度をとっていた。阿川氏らは、何で地方自治体が国の問題に口を出せるのかというスタンスで、しつこく迫っていた。それまで基地を受け入れてきた市長が、合併直前に住民投票にうって出たのは、合併後の市長選をにらんだものではないか、なんて本人に訊くか、の世界である。労働省キャリア官僚出身の市長だが、今回は腰が座っていた。態度も立派だった。
岩国住民投票に関する各紙社説のトーンは、「地元無視のツケ」(『朝日新聞』14日付)や「頭越しが過ぎたツケだ」(『東京新聞』14日付)が、地元の合意のとり方に重点を置いた批判である。また、「国内移転の無理分かった」(『琉球新報』13日付)という、沖縄メディアらしい、基地の「たらい回し」を批判するものもある。他方、『産経新聞』や『読売新聞』、今回は『毎日新聞』までもが、住民投票についてネガティヴなトーンを維持している。『読売』社説のように「それでも在日米軍再編は必要だ」なんて、どこの国の新聞かと思うようなトーンから、『毎日』社説の、間接民主制の観点から「民意の中身」(反対だけでなく、「どちらかといえば」が含まれる等)を問題にするものまである。コメントのなかには、国の安全保障問題は自治体の住民投票にはなじまず、「日米同盟」が市の決定に左右されるなら、それは「民主主義の乱用」だと激しくかみつくコメントも載せている(『読売』13日)。
さて、私が岩国住民投票について感じたことは、次の3点である。
第1に、安全保障問題は国の専管事項だから、一自治体の住民に賛否を問うのは不適切だという大方の認識について。「安全保障や防衛は、国の責任だ。住民投票にかけるのは適当でない。一種の地域エゴイズムではないか」(片山虎之助・自民党参院幹事長)という発言は、中央政府の本音をよく示す言葉だろう。小泉首相のぶらさがり会見での言葉はすごい。「そりゃ基地は誰でも嫌でしょうね」は論外だが。
いまや、安全保障問題についても、国家が独占して、すべてを決めるという時代は終わった。日本政府は、外国とタフな交渉をして、自国民の要望を伝える努力を最初から放棄する奇妙な政府である。「ご理解をいただく」とされる相手は常に自国の地方の住民で、米国に対して強力に住民の意思を代弁して交渉する意思も気力も、長年にわたりその能力もない。米軍の配置の問題は、日本政府と米政府との交渉事項である。安保条約第6条に基づく交換公文でも、「配置の重大な変更」は事前協議事項とされている。一個飛行群の移動の是非について、日本政府はものをいえる立場にある。日本政府が住民の声を吸い上げ、米側と交渉して、基地の変化や機能縮小を正面から要求することをなぜしないのか。「ご理解」を求める相手は、いつも自国の地方の住民である。その中央政府の無策に対して、保守系が圧倒的に多い岩国の市民が投じた「たかが地方の一票」の意味は、限りなく重い。
外交・安保問題というのは、中央政府、しかも内閣の専管事項とされてきた。内閣は憲法上、外交処理権(73条2号)と条約締結権(同3号)を与えられている。だが、これは、一国の多様な対外的諸関係を、中央政府がすべて独占することを必ずしも意味しない。まず、中央政府による「国家安全保障」が、何ものに対しても優先する「公益」であるとする考え方は、日本国憲法の原理に反する。それに憲法は、平和や人権と同時に、地方自治を憲法原則としている(92条)。しかも、中央政府だけでなく、地方自治体も外交権を「分有」するという注目すべき学説もある。それによれば、一義的に明確に禁止された事項を除き、自治体は中央政府の外交活動全般に「重複して」関与できるというのである(大津浩・東海大教授)。
第2に、住民投票というものの役割と機能である。私の立場は、おおらかな直接民主制論者ではないし、住民投票万能論者でもない。原則として、間接民主制、議会制を活性化させることが重要であり、それを効果的に補完するものとして、直接民主制を位置づけている。ただ、国の場合と地方は違う。地方の場合は、できるだけ「最後の切り札」として住民投票を位置づけることも可能だろう。岩国の場合は、テーマがテーマだけに、情報提供や十分な議論が行われたかどうかは気にかかるが、しかし、中央政府があまりにも一方的で、地方の声を無視するために、声をあげる最後の手段として使われた点は評価していい思う。いつも、こういう形で投票に持ち込むことがいいとは思わないが、少なくとも「民主主義の乱用」という批判は、中央政府の一方的で一面的な姿勢の「反民主主義的」姿勢に鑑みれば、あたらないといえよう。
第3に、「良心の自由」の問題が残る。岩国市議会議長を先頭とした市議会与党や、商工会や町の有力者たちは、投票ボイコットを呼びかけた。名護の場合は、政府が商工関係者を中心に、条件付き賛成派を押したが、岩国の場合は、賛成か反対かなので、投票そのものを不成立にする圧力となった。投票に行くことが、お前の工場には製品を発注しないぞ、という有形無形の圧力にもなりうるとすれば、投票に行くこと自体が踏み絵として機能しており、外形的にも認識可能である。それでも56パーセントの人々が投票にいった。投票に行くこと自体が大変な勇気だったのである。
ちなみに、内閣総理大臣が、その靖国参拝を外国から批判されるや、憲法19条や20条を引き合いに、「良心の自由」だ、「信教の自由」だといってのけた。しかし、これらは、「国家権力担当者」の自由ではなく「個人」の自由である。小泉純一郎・個人として隠密的な参拝ならともかく、「内閣総理大臣・小泉純一郎」というポストの意味がわかっていないとしか言いようがない。
「岩国」と「靖国」をつなぐ問題が出てきたところで、今回は時間切れである。続きは、近刊書などに譲りたい。