連続更新500回に対して、激励のメールや花束などが届いた。この場を借りてお礼申し上げたい。今後ともよろしくお願いします。
さて、「雑談」シリーズも、今回で50回目を迎えた。連続更新500回のうちの1割が「雑談」ということになる。硬軟おりまぜ、メリハリをつけるということよりも、学内外の仕事がどんどん増えて、執筆時間が極端に少なくなっているという事情が大きい。本来の原稿の仕事も著しく停滞して、関係方面に多大のご迷惑をおかけしている。というわけで、連続更新500回を祝ったばかりだが、しばらく既発表の原稿をUPすることをお許し願いたい。
先週からW杯、WC(ワールドカップ)ドイツ大会が始まったが、あえて(?)時流に反して、今回は、WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)の話である。なお、WCとWTC(ワールド・トレード・センター)後の「安全」、W杯とWWW(ワールドワイドウェブ)については先立って書いている(18日の日本vsクロアチアの舞台ニュルンベルクについても『憲法「私」論』28頁以下を参照)。
とりわけ、今回は、8日に日米通算2500安打を達成したイチロー選手の話である。たまたま丹羽政善氏(スポーツジャーナリスト)の「200盗塁達成のイチローにある『行かない勇気』」(2006年5月8日)という文章が目にとまった。メジャー通算200盗塁を達成したイチローの淡々とした言葉を拾いながら、城島健司選手がイチローについて語ったエピソードも紹介している。
「イチローさんっていうのは、行かない勇気を持っていますよね。行く勇気しか持っていないランナーっていうのは、意外と盗塁のアウトも多いですし、けん制のアウトも非常に多いと思います。キャッチャーから見ていいランナー、行かない勇気を持っている(イチローのような)ランナーは、常に合わせておきながら行かない。逆に行かれたら、もう刺せるタイミングじゃない。いいランナーは共通してそういうものを持っています」。
名捕手の言葉だけに興味深い。「行かない勇気」。これはいろいろなことに応用可能だろう。この言葉については、また別の機会に考えたいと思う。
さて、以下は、『国公労調査時報』2006年5月号からの転載である。イチロー選手の活躍をきっかけにして、指導者とは何かを考えてみた。いま読むと、イチロー選手を少々持ち上げすぎたかとも思う。ただ、WBC決勝戦の直後に書いた文章のため、私自身がやや熱くなっているという事情をご考慮いただけたらと思う(もちろん、一般論として、熱気と拍手喝采に包まれた指導者への妄信は警戒したい)。なお、2年前の新潟県中越地震のときに、この問題について詳しく論じたので参照されたい(「『危機』における指導者の言葉と所作」)。
「イチロー」にみる指導者の条件
◆WBCの風景
3月21日午後。私は浦和にいた。埼玉弁護士会主催「憲法と人権を考える市民の集い」で講演するためである。控室で出番を待つ間、私の携帯メールには、ある野球試合の途中経過を知らせるメールが刻々と入ってくる。携帯嫌いだった私のこの変化を、かつてのゼミ生たちは笑うことだろう。
さて、私個人は、サッカーには関心がなく、野球についてもひいきの球団はない(巨人以外ならどこでもよいというスタンス)。ただ、イチロー選手には関心がある。彼が活躍する今回のWBC(ワールド・ベースボール・クラシック)には注目していた。その日本対キューバの決勝戦が、講演会の時間帯に行われたのである。
私の講演の開始予定時刻は午後1時50分。日本リードとはいえ、結果はまだわからない。もちろん、講演は気合を入れて、憲法改正問題を中心に熱く語った。シンポジウムが終わり、控室で携帯を見るとメールが届いている。母からだった。「かった(^○^)」という一言と絵文字。受信時間は14時58分だった。15時20分の受信で、「ごめん、気づかなかった。10対5で日本優勝」という息子からのメールも。あとで知ったことだが、母がメールを送信したその時間が、関東地方で最大瞬間視聴率56%がカウントされた瞬間だった。浦和駅前では、「日本、世界一」という特大見出しの号外に人だかりができていた。
◆イチローの変化
WBCにおける日本優勝の最大の功労者は、何といってもイチロー選手だろう。オリックス時代も、現在のマリナーズでも、淡々と仕事をこなすクールな職人というイメージが強かった。群れず、騒がず、動じず。ここという時に確実に力を発揮する。一匹狼とまではいかないまでも、決して集団で燃えるタイプではなかった。それが、今回のWBCで大化けした。
3月23日発売の出版社系週刊誌は、そのイチロー選手について、まったく対照的な評価をしている。スキャンダル報道では常に先頭を行く週刊Bは、「初めはバラバラ日本代表を一つにした」「イチロー『自腹』ロス焼き肉店決起集会」と、ポケットマネーで全メンバーを高級焼き肉店に招待し、チームの結束を固めたことを伝える。イチローの太っ腹と、何よりもメンバーに対する気配りをほめる。
他方、カギ括弧を用いた独特の言い回しで多くの人のプライバシーや名誉をいたぶってきた週刊Sは、イチロー選手や王監督に冷や水を浴びせかける。「『異様な躁』状態でチームから浮いていた『イチロー』」。しかし、本文を読んでみると、物事を別の側面から見れば、そうとも言えるという程度の内容である。括弧多用の思わせぶりの見出しが、これまでも、どれだけ人を傷つけてきたことだろう。
それはともかく、ここまで週刊誌に書かれるほど、イチロー選手は様変わりした。テレビで彼の様子を見ていても、しゃべり方や人との接し方も、従来とはかなり違う。一匹狼というイメージが強かったが、今回は見事にチームの中心にいて、自ら先頭になって成果をあげ、メンバーのやる気を引き出していた。
雪辱をかけた韓国戦では、率先して盗塁を仕掛け、チームを奮い立たせた。1番、2番が塁に出ると、すかさずヒットを打って彼らを本塁に迎え入れた。
彼はホームランを連打して「一人大活躍」というタイプではまったくない。一人ひとりの個性的な選手が、それぞれの持ち場で最大限の力を発揮できるよう、目配り、気配り、心配りを忘れない。若手への眼差しもやさしい。
試合も終わり、メンバーが帰国のため空港行きバスに乗るとき、一人ひとりの目をしっかりと見ながら、声をかけ、しっかり握手をしていた。記念写真に気楽におさまり、軽いジョークにも笑顔で応ずる。この余裕、この包容力。そして安定感。目の光も違う。
後の報道によると、イチロー選手は、マリナーズでホームランを何本か続けて打ったとき、同僚選手から、「サダハル・オウのようだ」と言われたそうである。世界的に有名なホームラン王のもとで試合をする。王監督に対する彼の畏敬と尊敬の念はきわめて強かったという。そして、王監督からチームリーダー就任を要請されると、イチロー選手はそれをことわっている。シャイな彼には、そういう地位は重荷だったに違いない。しかし、「ヒラ」の選手であり続けながら、彼は実質的なチームリーダーの役を十二分に果たしていた。これが彼のやり方なのだろう。一匹狼的でありながら、チームの力を引き出す共同作業の要にいる真のリーダー。将来、日本野球界に、イチロー監督率いる最強チーム誕生の時代を予感させるものがあった。
◆リーダーの条件とは
政治や行政の世界でも、民間企業や労働組合、地域の市民団体でも、大学のゼミナールにおいてさえも、リーダーとなる者には、いくつかの資質が求められる。
そのリーダーの条件の第1は、その分野で尊敬される「プロ」であるとともに、メンバーにそれを「背中と横顔で見せる」ことである。上に立つ者は、その分野において、メンバーから尊敬される何かを持っていなければならない。しかし、自信や経験を押しつけてはいけない。プロの謙虚さである。
第2に、人の心に届く「言葉」と適切なパフォーマンスである。単に挨拶がうまいか下手かという問題ではない。何か突発事件が起きたとき、リーダーの発する言葉や表情、一挙手一投足にその場のすべての目が集中する。「今すぐやろう!」。初動におけるトップの言葉と姿勢一つで、職場のどんな「指示待ち人間」でも、「いつもと違う」という気分になる。その気持ちの無数の重なりが、その後の組織の動きと勢いを決める。不祥事を起こした企業や役所のトップの記者会見も、言葉だけでなく、表情から身のこなしに至るまで、万人の前でそのすべてが試されていることを知るべきだろう。
第3に、「夢のあるやさしさ」である。単にやさしくするという意味ではない。メンバーそれぞれの状態を把握し、励まし、自覚を促し、希望を与える。夢を持っている人は自然とやさしくなれる。夢のある指導者のもとでは、メンバーにその気持ちは確実に伝わり、創造的な仕事が生まれる。夢を持つ限り、老いない。
第4に、人にクリエィティヴに接する能力である。4つのOと1つのMはだめである。ワンマン (oneman) 、一面的(onesided)、一方通行(oneway)、ワンパターン(one pattern)、そして一本調子(単調)(monotone)を避けること。これは、人間関係の問題すべてにあてはまる。今後、イチロー選手はこのすべてをクリアしていくだろう。加えて、「日帝三六年」にこだわる人々への眼差しも備われば、言葉の勢いとはいえ、「30年」という数字を口にすることはなかったように思う。歴史認識を含め、イチロー選手がさらに多くを学び、技と人間に磨きをかけることを、一ファンとして期待したい。
(2006年3月24日稿)
〔「水島朝穂の同時代を診る」連載第18回
国公労連「調査時報」521号(2006年5月号)所収〕