「缶詰おでん憲章」なるものを監修した。『日本経済新聞』千葉版11月3日付、『朝日新聞』11月6日付社会面コラム「青鉛筆」で紹介され、その短文が前夜に朝日新聞ホームページに写真入りでUPされたため、ネット上には、「なぜ、おでんに憲章なんだ」といった書き込みが多数あらわれた。「おでん」一般ではなく、「缶詰おでん」に限定した「憲章」である。ほんの1、2カ条のさわりで全否定をする。そんな気の早い批判が出てくるのも、全文と経緯が紹介されなかったからである。そこで、今回の直言では、私が「缶詰おでん憲章」に関わった過程をお読みいただいたうえで、下記の「憲章」の全文をご覧いただきたい。「直言」も連続500回を超え、雑談シリーズが55回目になり、「『食』のはなし」シリーズが今回、10回目を迎えた。雑談「『食』のはなし」シリーズは、「蕎麦」や「ラーメン」、「寿司」などについて書いてきたので、第10回は「缶詰おでん憲章」でいくことにしよう。
きっかけは今年の6月11日、 千葉県銚子市での憲法講演だった(銚子市読売ホール)。「今、どうして憲法――憲法改正国民投票におけるあなたと私の一票の重さ」という演題。主催者の銚子憲法講演会実行委員会のメンバーの一人が、信田臣一さん(信田缶詰代表取締役社長)個人だった。創業明治38年(1905年)。くじらやいわしの水産缶詰製造で業を興し、日本で最初にさんま蒲焼缶詰を作った会社の経営者であると同時に、銚子の地域リーダーの一人でもある。講演が始まる前、信田さんに同社の関連施設などを案内してもらった。そこでお聞きした話が実に興味深かった。身内の方の戦争体験や、憲法に対する熱い思いもうかがった。何よりも信田さんの発想がユニークで、興味深かった。「缶詰哲学」といっていいだろう。「缶詰」の視点から、政治、経済、社会、環境などについてのさまざまな切り口を教えていただいた。
信田さんのこだわりは「地方からの発信」である。銚子郊外にある「地球が丸く見える丘」に立つと、太平洋を眼下に、地球の「丸さ」を体感できる。北海道・室蘭にある「地球岬」にも行ったが、銚子から見える太平洋の「でかさ」も実感した。太平洋の新鮮な魚をそのまま缶詰に加工する。「ほととぎす 銚子は国のとっぱずれ」とうたわれるように、「日本一早い初日の出のまち」とされている。関東最東端の犬吠崎では、日本で一番早く初日の出が見られる。ちなみに、日本の最東端は南鳥島だが定住者はいないので、北海道最東端の根室市の納沙布岬では、地軸の傾きから元日前後の10日間だけ、一番早く日の出が見られるという。
私が「地方は末端にあらず、先端なり」という沖縄・読谷前村長の山内徳信さんの言葉を紹介すると、信田さんは「銚子のとっぱずれ」の位置を「末端」ではなく、さまざまな企画やアイデアの「先端」として発展させたいという意気込みを熱く語った。それが「銚子風」缶詰おでんにつながったのかもしれない。
おでんを缶詰にして売っているのは、信田缶詰だけではない。静岡県などの缶詰会社も同様のものを作って売っている。「銚子風」という形容詞がつくのは、信田さんの「地産地消」へのこだわりによる。いわしから地元の野菜、醤油など、すべて地元産を使う。卵、大根、こんにゃく、にんじん、さつま揚げ、ちくわ、昆布、いわしつみれの8品が缶のなかにコンパクトにおさまり、銚子特産の「源醤」という地酒ならぬ「地醤油」で味付けがしてある。賞味期限は3年である。缶内に長さ9センチの串が入っていて、割り箸がなくても食べられるよう工夫されている。ただ、この串が入っているために、ハイジャック防止の観点から、機内持ち込みのお土産として認められないということも知った。
私は当初、「おでんが缶詰になるのだろうか」と、缶詰おでんにかなり懐疑的だった。でも、缶詰おでんが、なぜか「アキバ系」(東京秋葉原)でブレイクしていると聞いた。憲法講演会で信田さんとの出会い、そこから私の缶詰おでんとの関わりが始まった。
私自身は、おでんが大好物である。北海道や広島に住んでいた12年間、出張で東京に出てきて実家に泊まるとき、母から「夕飯は何がいい?」と聞かれると、きまって「おでん」と答えてきた。夏の暑い盛りでも、汗をふきながら食べるおでんは、また格別である。子どものころから、京王線府中駅近くの塚田水産のおでんダネが舌に馴染んできた。とにかく種類が多い。これをグツグツと煮込む。これがうまいのである。
「おでん博物館」のサイトによると、おでんは「和食の集大成」とされ、「おでん物」という新カテゴリーが提案されている。昆布や鰹節のだし汁、醤油や味噌や塩で味付け、魚のすり身や豆腐を元にしたさまざまなおでん種。大根や里芋などの野菜……。おでんは日本人が慣れ親しんだ味覚の集大成である。日本料理では焼き物、揚げ物、煮物という形で「~物」に分類されるが、おでんは鍋物でも煮物でもない。鍋物は生の素材を煮ながら食べる。おでんはすでに味付けが完了している。だから純粋な鍋物というには距離がある。かといって、煮物にしては汁が多い。というわけで、「おでん物」という新カテゴリーの設定が提言されている。なるほどと思った。
おでんは全国各地にさまざまな味がある。講演で全国をまわっていて、その地方のおでんに出会うと、とても幸せな気分になる。いま、おでんは「日本の冬の風物詩」ではなくなった。国内のコンビニでは、おでんを盛夏に置くようになったし、1年365日、おでんを買うことができる。その際、コンビニ大手各社に共通しているのは、「つゆと具材の地域対応強化」(セブンイレブン・ジャパン)ということである。ローソンでは今年から、つゆを昨年の6地域から8地域へと拡大。具材も全国共通メニュー19種類、エリア別メニュー18種類にもなるという。サークルKサンクスでは、ダイコンは「煮込み穴」を仕込み、さらに柔らかく、味がしみ込むようにしたという(『日刊工業新聞』2006年8月15日付)。たかがおでん、されどおでん。なかなか凝ったものになっているようだ。
日本だけではない。ここ数年、タイや中国、香港などのコンビニでも、おでんが売られているという。タイのバンコク市内のファミリーマートでも、おでんが連日売り切れになるという(時事通信8月16日20時更新)。韓国と台湾ではもっと前から売られていた。これは植民地統治時代からの名残と言われている。韓国では「オデン」という呼び方は同じという。前記「おでん博物館」のサイトで知ったのだが、韓国では一時期、識者が集まって、韓国語として「オム」(練った魚、さつま揚げ)という言葉に決めたが普及せず、「オデン」のまま広まったという。中国では、日系コンビニを中心に、おでんが好評だそうだ。上海市のコンビニでは38.0%で売っているといい、北京の7.2%を上回るという(中国情報局7月12日)。
そんなとき、信田さんから、「缶詰おでん憲章」起草の依頼を受けた。一企業のPRにとどまらず、「おでん」という和食を国際的にアピールする機会にしたいという。これは面白い。それを憲法的に構成したらどうか、と直観的に思った。
8月21日に信田さんと信田缶詰関係者2人と、東京・秋葉原電気街の現場を視察した。おでんの自動販売機で、缶詰おでんを買っている人たちがいたので、思わずシャッターを押した。また、電気店の案内表示に、電気製品と並んで、「缶詰おでん」とあった。しばらく秋葉原電気街を歩いたあと、おでん専門店でおでんランチを食べながら、缶詰おでんの哲学、法学、社会学などについて語り合った。いろいろな論点や、興味深い視点が出てきた。
そもそも大根6キロカロリー、コンニャク6キロカロリーと低カロリーである。おでんの定番は低カロリーで健康にいいことがわかる。魚をすりつぶしたおでん種は、魚嫌いにも食べられるし、煮込んだ大根、にんじんは、野菜嫌いの子どもでも食べられる。おでんは「鍋」を囲むという面でも、温かい団欒の軸となる。鍋物が、ほぼ一回性の世界であるのに対して、おでんの場合、煮込めば煮込むほど美味しくなるので、一種のスローフードである。秋葉原でなぜ、缶詰おでんが広まったのか考えていくうちに、おでんの奥深さに気づいた。信田さんが環境保護に関心が高いことも知り、ペットボトルや発泡スチロールと比べて、「缶」のリサイクル率の高さなどから、環境との関係での缶詰のメリットも知った。信田さんはいう。人の味覚は8歳頃までに決まる。川魚やサンマの内臓を食べて、苦みを感じとることで、子どもたちの舌の味蕾(みらい)が開く、と。私は、子どもたちが「苦み」を避ける一方で、甘さを過剰摂取して、「舌の未来(みらい)」は閉じられるのではないかと思った。「舌の未来」のためにも、「食」の問題に多面的に取り組むことは大切だろう(ただ、「食育」基本法という物言いには胡散臭さを感じるが)。秋葉原のおでん屋で、さまざまなことを話し合ったが、そのコンセプトを箇条書きにしてみても、それだけでは「憲章」にならない。
「憲章」を実際に起草する段になって、若い学生たちの感覚と知恵を借りることにした。たまたま水島ゼミ生たちに声をかけてみると、無類のおでん好きが何人かいた。その7人の有志に「おでんと憲法」について考え、「憲章」の形で起草してはと提言した。その一環として、この7人の「おでんプロジェクト」(長・桑本千紗都)と、信田さんを会わせることにした。秋葉原視察をした1カ月後の9月21日夕方、新宿のおでん専門店「お多幸」で、私と「おでんプロジェクト」の7人は、信田さんと信田缶詰東京支社長、社員2名とともに、おでん鍋をつつきながら、3時間あまり、おでんと缶詰おでんについて語り合った。憲章(Chater)である以上、普遍的なメッセージが含まれている必要があるので、条文化にあたって、さまざまな論点が出された。
何より、おでんは「鍋」である。一人以上でつつくところに本来の意味がある。しかし、家庭のかたちやライフスタイルの変化のなかで、一人暮らしや単身者の男女が増えてきた。ゼミ生はおでんを食べる機会はほとんどないといい、たくさんあるおでんを前に、個々人が気兼ねせず、思い思いのおでんダネに手を伸ばした。ここから、おでんにおける「個人の尊重」というコンセプトがでてきた。
おでんに必ず入れるものについては議論が盛り上がった。薩摩揚げを入れよ、ちくわぶは必須だなどの議論もあったが、練り物は水産会社のもので、それぞれがこれを入れてほしいということになると、収拾がつかない。より普遍的なものはないか。そこで、大根。これは全員が一致した。コンニャクはヘルシー食品として近年、脚光をあびている。そして、たまご。ラーメンでも味タマはけっこう重視されている。安価で、良質のたんぱく質を確保できる庶民の食品である。これを「おでん3原則」として、缶詰おでんに必ず入れるものとした。
ただ、「原則」という言葉を使っているので、個々の家庭や個人のおでん鍋に、これら三つを入れることを一律に強制する「準則」ではなく、あくまでも入ることがのぞましいという程度のものである。英文では当初“rules”になっていたが、これを“principles”に変えた。日本国憲法9条を「準則」(rule)ではなく「原理」(principle)であるという形で緩和する傾向もあるが、国家の対外的な安全保障とは異なり(同条2項は一律な禁止規定)、鍋の世界は個人の自由な世界なので、ここでは「穏和」にコミットしたいと思う。ネット上では、『朝日新聞』の短い紹介のために、「おでんに原則を強制するのか」みたいな誤解が飛び交っているようだが、起草者も押し付けはおでんに馴染まないことを十分に自覚しているがゆえに、憲章1条に「個人の尊重」を置いたわけである。なお、そもそも国家権力を制限する「憲法」ではなく、あくまで「憲章」なのである。
「お多幸」でおでんをつつきながら、缶詰おでん談義は続く。
次いで、関西出身のゼミ生は、醤油こってりのおでんを関西では「関東炊き」ということを紹介した。ちなみに、名古屋方面では「関東煮」というそうだ。名古屋はやはりミソにこだわるのだろう。こうした「文明の衝突」ならぬ「味の衝突」はけっこう、関西方面の人との間で起こりうる。だから、缶詰おでんを各地方の味付けで並べて、それぞれが同時につつきあえば、このおでんダネはこの味付けの方がおいしいという形で、お互いの味を知り合う機会にもなる。鍋ならば同時に三つは困難だから、簡易な「味の交流」が可能となる。これは「味の地方自治」と、さらに世界に広げていけば、「味の国際協調」「国際平和」につながるという形で話が広がっていった。
缶詰の保存性のメリットは、他国に輸出される場合と同時、国内の災害時にも発揮される。これは阪神・淡路大震災を体験した関西出身のゼミ生が提案した。「備えあれば憂いなし」ならぬ「備えあれば嬉しいな」というわけで、被災者には、温かい缶詰おでんの効用は大きい。
なお、缶詰は味が落ちるということはよく言われるが、温めてから缶から出し、皿に盛りつけて食べると、「銚子風おでん」はけっこういける。これは私自身が体験したことである。ただ、カラシ好きとしては、外で食べるときにカラシがないのはちょっとさみしい。どんな納豆にもタレとカラシが入っているので、缶詰おでんとカラシというのは、今後の課題だろう。
以上のような、おでんをつつきながらの3時間が終わり、その3週間後に、おでん好きのゼミ生有志7人が起草した7本の「おでん憲章」案が出そろった。それを私が監修して、最終的に条文の形にまとめたもの、それが下記の「缶詰おでん憲章」である。なお、第9条(国際平和)は、当初は次のようになっていたが、長すぎると考えて、コンパクトにまとめた。参考までに掲げておこう。
第9条(国際平和)案
おでんは韓国、中国や台湾などのアジア地域で食されることがあるが、それは日本の植民地時代における普及という不幸な側面をもっており、「缶詰おでん」の展開によって、アジアのおでん、世界のおでんとして、日本発の平和の国際健康食品として新たに展開することが期待される。缶詰おでんは、正義と秩序と食文化を基調とする平和を誠実に希求し、味の紛争が起きたときは、風味それ自体をもって解決をはかるものとする。
最後に、一企業が企画した「イベント」に、なぜ憲法研究者の私が関わったのかを総括的に述べておこう。
おでん好きの私が、おでんについて何かを書くきっかけにするというのが、当初の目論見だった。「『食』のはなし」シリーズのネタとしての位置づけである。しかし、やり始めてみると、「おでん」も「缶詰」も「おでん缶詰」もそれぞれに奥が深いことがわかった。そんな簡単には書けない。私の憲法ゼミの有志に協力を依頼して、彼らに「缶詰おでん」と「憲法」を関連づけたものを条文化してもらった。私の狙いは、3割は勉強、3割はユーモア、3割は信田さんの依頼に応えること、そして残りの1割は、「ひとりひとり」がおでんを食べながら、憲法について考え語るきっかけにするという話題性である。事柄の性格上、ゼミの活動からは切り離し、7人の有志にゼミとは別個に動いてもらった。あくまでも「水島ゼミ有志協力」にとどめた。
11月6日に銚子市役所で、11月7日に霞が関ビル33階の東海大学校友会館で信田缶詰が記者会見してこれを発表した。両方とも桑本さんらゼミ生有志が参加した。7日は私も同席した。6日の地方発表が先行したため、全国紙の社会面での紹介はなかったようだが、『千葉日報』、『毎日新聞』房総版の11月7日付などが写真入りで報じた。その後、ゼミのホームページ経由でテレビ取材の依頼がきた。私はこの件でのテレビ取材はお断りしているので、この「直言」を読んで取材を考えている方は、すべて信田缶詰本社(Tel. 0479-22-7557, e-mail: shida@choshinet.or.jp)にお願いしたいと思う。
なお、起草に協力してくれた水島ゼミ有志「おでんプロジェクト」メンバーは、石崎冬貴、上田馨子、風戸星那、桑本千紗都、土橋拓朗、廣瀬由衣(以上、水島ゼミ9期)、浦巽香苗(同10期)の諸君である。
缶詰おでん憲章
2006年11月6日
《前文》
「おでん」は、日本の中世の田楽にその起源を発し、以来、老若男女を問わず、どこの家庭でも親しまれてきた伝統食品である。海の幸と山の幸が多彩に組み合わさり栄養のバランスもよく、鍋を囲み、語り合いながら食べるというすぐれたコミュニケーション力をもつ。他方、「缶詰」は保存性と耐久性にすぐれ、「いつでも、どこでも、誰とでも」を可能にするものであり、したがって「缶詰おでん」は、その両者の特徴を融合させ、世界の食を愛する諸個人に対して、日本の伝統料理を簡易かつ安価に提供し、もって日本の伝統的食文化の普及および発展と、食を通じた世界の諸個人の相互理解をはかることに寄与するものである。また、「缶詰おでん」は、斜陽産業とされる缶詰業界や農業・水産業界の活性化をはかるとともに、日本の「出汁文化」の伝統を保ちつつ、それをアジアや世界に向けて発信していく「開かれた国際食」となることが期待される。
缶詰おでんの発展と普及を願い、ここに「缶詰おでん憲章」を宣言する。第1条(個人の尊重)
おでんは日本の伝統料理であり、鍋を囲んで「みんな」で食べる、仲むつまじい一家団欒の象徴であるが、缶詰おでんは「個人の尊重」の視点から、ひとり暮らしの老人、若者や男女の単身者の心と体をあたためるとともに、多様なライフスタイルのなかで、個人の味や好みを尊重しつつ、家庭のぬくもりや故郷の味を目指して、「缶のなかの一家団欒」の実現に寄与する。第2条(缶詰おでんの特性)
缶詰おでんは、缶詰の特性を最大限に活かし、作りたてよりも時間がたった方が缶内で味が馴染み、じっくり熟成するという特徴を有しており、「缶煮込み」ないし「缶内料理」としての側面をもち、それを素早くかつ手軽に食べることができるという意味で、究極の「ファースト・スローフード」である。第3条(おでん3原則)
缶詰おでんの中身は多様であるが、「大根」「たまご」「こんにゃく」の3品は原則入るものとする。「大根」は山の幸の代表であり、低カロリーの上、煮込むほどに味がしみて美味しさを増す。「たまご」は良質な蛋白質を補給することに資するものであり、「こんにゃく」は腸の運動を活発化させるダイエット食品としての特質をもつ。第4条(食材選択と地方性)
缶詰おでんに含まれる食材の選択にあたっては、できる限り地域地場産品を活かし、広い裁量と自由な選択の「味の地方自治」を目指すものとする。第5条(食育への寄与)
缶詰おでんには、魚の原型をとどめない練り物や、味がしっかりしみ込んだ野菜が入っており、魚嫌いや野菜嫌いにも親しまれ、「食育」にも貢献する。第6条(環境保護)
缶詰おでんは、リサイクル率86%(宣言時)の容器である缶を用いていることなどからも、発生抑制・再使用・再利用(リデュース・リユース・リサイクル、3R)の順で、廃棄物ゼロ社会(ゼロ・エミッション)を目指し、自然的な生活基盤や環境の保護に資する。第7条(災害時の役割)
缶詰おでんは保存性にすぐれ、「備えあれば嬉しいな」という観点から、災害時において被災者の心と体を温め、災害を乗り越える気力と体力を回復することに寄与する。第8条(味の国際交流)
缶詰おでんは、長期保存可能な形態を活かし、世界の諸個人・諸国家に展開することによって、「味」の異文化交流や国際交流をはかるものとする。第9条(国際平和)
多様な具材が互いを引き立てあいながら共存し、日々うまみを増していく缶詰おでんは、人と人とが互いを尊重しあいながら生きるという国際平和の象徴である。
《付記》なお、この憲章の著作権は信田缶詰(株)に帰属します。英語版はここから読めます。