国会「議事」堂はどこへ行ったのか  2007年7月2日

「議事堂とは名ばかりで実は表決堂である」。尾崎行雄(咢堂)は、『憲政の危機 』(横山出版部、1920年)という54頁の小冊子のなかで、こう述べた。「元来議会なるものは、言論を戦わし、事実と道理の有無を対照し、正邪曲直の区別を明かにし、もって国家民衆の福利を計るがために開くのである。しかして投票の結果が、いかに多数でも、邪を転じて正となし、曲を転じて直となす事はできない。故に事実と道理の前には、いかなる多数党といえども服従せざるを得ないのが、議会本来の面目であって、議院政治が国家人民の利福を増進する大根本は、実にこの一事にあるのだ」。表決で多数を得れば満足する傾向が生まれていることを憂えて、尾崎は、「議事堂とは名ばかりで実は表決堂である」と喝破したのだった。

  この言葉は、国会の代表質問などで何度か引用された。例えば、第77回国会の参議院本会議(1976年1月28日)における代表質問で、山崎昇議員(日本社会党)は、上記の言葉を引用しながら、国会運営について質問した。これに対する三木武夫首相の答弁。「自民党が多数だからといって、私はその多数を乱用するという考えはありません。やはり国会の正常な運営というものを私は願っておるものですから、できるだけ『対話と協調』という議会政治を円滑に運営する潤滑油、これがやはり健全に働いて、そうして議会政治というものの健全な運営というものを私は願っておるものでございます。乱用をする考えはないとお答えをいたします」。この時の参議院議長は、国会運営の公正さにおいて高い評価を得た河野謙三であった。少数派にも配慮した参議院改革を進めたことでも知られている。三木もまた、河野の進める改革に対して協力する姿勢を表明していた。

  それから10年近くたって、第102国会の参議院本会議(1985年1月29日)の代表質問で、小野明議員(日本社会党)が、尾崎の同じ言葉を引用し、「少数意見が尊重される議会制民主主義の政治の確立」を求めた。時の首相は、若い頃は首相公選制や大統領型首相を主張していた中曾根康弘である。中曾根首相は、内閣が権威を保持すること、効率性をもつことなどを述べ、「議会制民主主義の有終の美をおさめるように努力してまいりたい」と答弁した。この答弁の1年ほど前に中曾根は、国家行政組織法8条の改正で、政令によって審議会を設置できるようにしていた。その結果、多数の審議会が生まれ、「審議会から新議会へ」という、国会審議の空洞化状況が生まれた。尾崎の言葉について答弁を求められた中曾根首相は、内閣の権威や効率性を強調し、「議会制民主主義の有終の美」を語った。これは「終わりを全うする」という意味にもとれ、違和感を覚えた。ともあれ、「戦後政治の総決算」を押し出した中曾根政治が、国鉄分割民営化から始まる「官から民へ」の「改革」を進め、国会運営の面でも、迅速性や効率性を重視する傾向が強まっていたこととも関連して、何とも象徴的な言葉ではある。なお、この時の外務大臣は安倍晋太郎だった。

  さて、尾崎が危惧した、「議事堂」から「表決堂」への変質は、小泉純一郎首相のもとで一気に加速した。参議院の変質のターニングポイントは、「9.11総選挙」である。そしていま、安倍首相のもとで「議会制民主主義の有終の美」が近づきつつある。「戦後レジームからの脱却」とは、尾崎や三木、河野謙三らの議会人たちの努力から「離陸」することをも意味しているのではないか。それほどに、この第166回国会の状況は悲惨である。

  先週の直言でも書いたように、先例や慣行は破り放題、「不正常な採決」(野党が同意しないまま行われる採決)が続出した。『朝日新聞』6月30日付「時々刻々」によると、こうした採決は過去5年間で計11回だったが、今国会だけで14回にのぼるという。不信任案や問責決議案の採決は12回で、1969年の14件に次いで多いそうだ。懲罰動議も18件提案された。衆院では、年金法案の採決時に委員長をはがい締めにした民主党議員を「登院停止30日」にするため、これに反対した衆院懲罰委員長(民主党)の不信任動議まで可決するという荒っぽさである。『朝日新聞』6月30日付社説「『数の力』を振り回す政治」は、「相次ぐ禁じ手」「『強い宰相』への焦り」「品格に欠ける政治」という柱で、この「前代未聞」の国会を批判した。特に驚いたのは、参議院選挙の投票日まで動かすという荒技である。与党はまるで、官邸の投票装置のように動いている。特に参院自民党の「軽さ」は決定的なものとなった。

  この半世紀もの間、参院自民党の独自スタンスが、政府の突出を抑止する場面がしばしば見られた。1994年1月21日の「政治改革」法案(衆院に小選挙区比例代表並立制を導入する)の否決と、2005年8月8日の「郵政民営化」法案の否決はとりわけ重要な場面だった。それが、今国会では、参議院自民党の独自スタンスはほとんど見られなくなった。
   「参院は首相官邸の下請けとは違う」と参院自民党執行部は当初は強く反対したそうだが、官邸に押し切られ「すべて目算が狂った」と参院自民党幹部は嘆いたという(『朝日新聞』6月30日付「時々刻々」)。特に30日未明に行われた「中間報告」は、まさに今国会の異様な風景を象徴するものとなった。

  先週の直言でも予告したように、6月30日未明、国会法56条の3に基づく「中間報告」の手続がとられた。そもそも国会では、委員会での審議(委員会審査という)が終了しないうちに本会議の審議に入ることはできない。「委員会中心主義」といい、「本会議中心主義」と区別して、日本の国会の一つの特徴をなす。しかし、委員会での法案審査の遅れが著しい場合など(野党の徹底抵抗)に、会期内に本会議で議決できなくなるような事態に備えて、例外的に委員会に「中間報告」を求めることができる。「中間報告」が求められると、委員会審査に期限をつけるか、または、委員会での審査を本会議に吸い上げることが可能となる。「中間報告」という言い方はしているが、結局、委員会審査を途中で打ち切らせ、本会議での採決に持っていく手法である。ただ、これは例外的な場合にしか使われない。近年では、2004年6月14日、財政金融委員会で金融機能強化法案などが審議されている途中でこの手続に入り、民主党の円より子委員長が「中間報告」を行い、本会議で法案は可決・成立した。
   「中間報告」の手続について定める国会法56条の3が、「特に」という文言を2回使っていることに注目したい。今回の国家公務員法改正案が、委員会審議をストップさせるだけの「特に必要がある」ケースであって、かつ「特に緊急を要する」ものといえるかどうかは甚だ疑問である。「内閣委員会が民主党の委員長である」ということだけで、このような乱暴な手法が横行するならば、もはや国会は「議事」堂ではなくなる。
   30日午前2時31分開会の参議院本会議で「中間報告」を行った藤原正司参院内閣委員長(民主党)は、くやしさをにじませながら、この「理不尽なやり方」に抗議。「『良識の府』『再考の府』としての参議院の存在を根底から破壊するものであります」と述べた。
   なぜ、ここまで無理をしたのか。前記「時々刻々」によると、「審議を尽くし、法案には反対であっても、最後は野党も合意して採決する。委員会採決を省略する中間報告は、この国会運営の基本に反する『奇策中の奇策』とされる。…与野党の協調という参院の伝統を引き裂いたのは、首相の国家公務員法改正案成立への強いこだわりだった」という。行政府のトップの「こだわり」で、参議院の伝統が傷つけられたのである。
   「いかなる政府も、有力な野党なくしては永く安全はありえない」といったのは、英国の政治家ベンジャミン・ディズレーリ(元首相)だった。安倍首相は野党を力で押し切って、結局は政府を不安定なものにしていることに気づかないのだろうか。

  朝日新聞社の全国世論調査の結果は、空恐ろしい数字をはじいている。それは、政党は「役割を果たしていない」と考えている人が83%に達していることである(『朝日新聞』6月18日付)。無党派層が増えているということもあるが、それよりも、むしろ、ある政党を支持していても、その党を支えるという意識が希薄になっているということが重要である。これは、与野党を問わず、政党というものへの信頼度が著しく低下していることを示唆する。
   ドイツの政治学で80年代に注目されてきた「政党嫌い」(Parteiverdrossenheit)の傾向が強まっている。これは各級選挙において、「非選挙人」(Nichtwähler)と「抵抗選挙人」(Protestwähler)となってあらわれる。前者は単なる棄権者ではなく、積極的に選挙をボイコットする人々であり、後者はいままでの支持政党とは異なる、極端な過激政党に一票を入れることで抵抗意思を示すもので、地方選挙におけるネオナチ政党の伸長はこれと関連する。95年春にドイツに行ったとき、たまたま行われたオッフェンバッハなどの地方選挙でネオナチ党が躍進。この時、社会民主党(SPD)の支持者がネオナチに投票したという記事を読んだことがある。
   このように、「政党嫌い」はやがて「民主主義嫌い」(Demokratieverdrossenheit)に転化する可能性が高い。昨年3月のドイツの世論調査(フォルザ世論調査研究所)によれば、79%のドイツ市民が、政治に対する信頼を喪失し、強い不信感をもっていることがわかった。これを報じた保守系のWelt am Sonntag紙は、「信頼なき人民」という見出しをつけ、政治への信頼が失われると、民主主義が危殆に瀕する。「ヴァイマール共和制はその敵で失敗しただけではなく、幾百万人の無関心によっても失敗した」と書いている(Welt am Sonntag vom 12.3.2006)。「無関心」が民主主義にとって一番危険な要因であることは、現代の日本においても同様である

  安倍首相は、「有識者」の私的懇談会に集団的自衛権行使の解釈変更を提言させようとしている。イラク特措法の「延長」ともあいまって、この国は、米国(ブッシュ政権)とともに武力による威嚇を行う国になろうとしている。国会が機能しなくなったとき、そうした重大問題を追及できる場を失うことを意味する。国会議事堂は昔から永田町1丁目7番地の1に存在する。「事実と道理の前には、いかなる多数党といえども服従せざるを得ない」という観点から、国会での徹底審議を求めると同時に、半数改選される参議院の中身を、衆院の絶対多数とは別の構成にすることこそ、国会を「再建」するチャンスとなるだろう。7月29日の選択は重要である。                 

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