第21回参議院選挙の特別の意味  2007年7月23日

議院選挙の投票日が来週に迫っている。安倍首相の指示で会期延長が行われなければ、昨日(22日) が投票日だった。台風4号と新潟県中越沖地震で大きな被害が出るなか、「選挙どころではない」という気分で投票日を迎えた地域も少なくなかっただろう。1週間延びたことがどのように影響するか。「何が起こるかわからない」のが選挙である。

  直言では過去、1998年の第18回参議院選挙と、2004年の第20回選挙についてそれぞれコメントしている。前者のタイトルは「参院選の結果と『衆愚政治』」であり、後者は「参議院選挙で問われたこと」である。来週に迫った第21回選挙の意義について書く前に、この1998年と2004年の選挙について振り返っておこう。

  1998年に行われた「今世紀最後の参院選挙」について私は、「…頼みもしない負担(消費税5%)や、同意もしていない『公的資金』投入(無責任な銀行を救済するための)、さらには経済不況に対する無策など。これらに対する国民の怒りは強くかつ深く、その一票を使って一内閣を吹き飛ばしてしまった」と書いた。そして、こう続けた。

  「…私は投票日当日、あえて19時50分に投票に行った。投票所前には車が何台もとまり、若い人が急いで投票に向かう姿に驚いた。国民は、一票で政治を動かせることを体感してしまった。今回躍進したどの政党も、次回の保証はない。国民にしっかり監視されている。この国において、代表民主制がようやく機能しだしたのだろうか」。

  この選挙で自民党は地滑り的敗北を喫し、橋本内閣は総辞職した。自民44(103) 、民主27(47)、共産15(23)、公明9(22) 、社民党8(13) 、自由党6(12) 、無所属20(28)という結果である(括弧内は非改選と合わせた数字)。この結果、自民党は参院で過半数を失った。消費税3%導入後の最初の国政選挙だった89年参院選と状況が似ていて、消費税5%引き上げ後の選挙だった。
   参院選では、国民は衆院選とは違った選択をすることがある。この「ねじれ」の発生は、日本国憲法が、民選の二つの院を置き、3年ごとに定期的に「民意の診断」を行う制度設計になっていることと無関係ではないだろう。これは、このシステムの「想定の範囲内」の現象といえるかもしれない。

  なお、第18回参院選の結果が出た5日後、98年7月17日、久間章生防衛庁長官(当時)は、沖縄の海上ヘリ基地問題をめぐる名護市の住民投票(97年12月)について、これを「衆愚政治」と批判した。当時、沖縄をはじめ、激しい非難の声が起きた。

  「…久間長官は内閣総辞職直前でホッとして思わず本音をもらしたのだろうが、ここには根本的誤りがある。日本国憲法は代表民主制を基本としつつも、直接民主制をも採用している(憲法改正国民投票や地方自治特別法の住民投票など)。さらに、地方自治法が直接民主制の仕組みを具体化している(条例制定の直接請求権やリコール権など)。現在のところ首長や議会を拘束する住民投票は困難だが、諮問型の住民投票ならば、実践例は増加の一途である。憲法92条の『地方自治の本旨』は地方自治の発展方向に対して開かれている。住民投票制度が情報公開と結びつきながら定着していけば、地方議会の活性化もはかられよう。直接制か間接制(代表制)かの二項対立ではなく、両者のメリットを活かした、その適切な組み合わせが大切なのだ。憲法はそうした組み合わせに対しても開かれている。各地の実践例の蓄積を踏まえ、将来的には地方自治法の改正で住民投票に明確な法的根拠を与えることも必要だろう。住民投票を『衆愚政治』と罵倒する久間氏は、衆愚院議員というべきか」。

  周知のように、「原爆投下、しょうがない」発言で激しい批判を受け、今月3日、最後の防衛庁長官であって、最初の防衛大臣となった久間氏が辞任するに至った。この10年あまりの「直言」で、一般の閣僚では、久間氏への言及が一番多いことに気づいた。あまり愉快でない発見である。

  さて、98年選出の議員たちが改選期を迎えた2004年の直言では、参院選の投票3日前に行ったラジオインタビューを紹介しながら、次のように書いた。

  「…7月8日の朝、SBC(信越放送)のJのコラム」に出演した。生番組なので電話出演である。テーマは『参院選の争点』。これまで3回出演しているので、ぶっつけ本番、生放送だ。女性アナウンサーは、『年金問題やイラク多国籍軍問題などいろいろな重要な争点がありますが、先生はどのようにお考えですか』と聞いてきた。私は、『今回の選挙は、参議院の存在そのものが隠れた争点です』と答えた。アナウンサーの声に明らかに動揺が走った。想定していない答えだったからだろう。私はこう述べた。参議院は、衆議院が決めたことをただ追認するのではなく、もう一度考え直すように仕向けるという意味で『国権の再考機関』だ。3年に一度の議員の半分入れ換えという形で、衆議院と参議院の緊張関係だけでなく、参議院内部の構成上の違いもつくり出し、微妙に国政上の修正をはかることができる。89年の参院選で与党が大敗したのは、消費税導入に対する国民の怒りの反映だった。貴族院のような民意抑制機能ではなく、日本の参議院は『民主的二院制』であるがゆえに、このような民意の多様な反映を可能にする。〔82年の選挙法改正以降〕政党化が進み、本来の参議院の役割が果たされていない。71年の河野参院議長の参院改革のなかに、参議院は『理の政治』を追求し、強行採決はしないという確認をしたが、年金法改正案は参議院厚生労働委員会で強行採決された。今度の選挙は、89年と同様の事態が起こることが注目されると同時に、参議院の存在そのものが問われる選挙になるだろう、と。アナウンサーは納得した声になって番組は終わった。…」。

  選挙の結果は、自民党の敗北と民主党の大躍進だった。「民主党は、年金問題などに関連して、国民の怒り、不安、不満の受け皿になったと見られる」と、私はこのなかで書いている。3年前にも「年金問題」が焦点となっていた。この当時は、政治家たちの年金未納問題や年金資金の無駄遣い(保養施設など)が話題の中心で、年金法改正案も未納分の事後納付期間延長などがポイントだった。今日の年金問題の危機的惨状を、この時、誰が予想しえただろうか。
   この選挙の投票率は56%と低く、戦後3番目の低投票率だった2001年参院選とほぼ同水準となった。2007年の第21回参議院選挙は、3年前のような低投票率にとどまるのか。それとも、高投票率となって、政治的な「地殻変動」が起きるか。

  私は、今回の参院選の最大の意義は、「9.11総選挙」によって事実上「ぶっ壊された」参議院の存在価値を復活するという点にあると考えている。以前から参議院は衆議院の「カーボンコピー」(CCですらなく、やがてBCCになるかも)といわれてきた。とりわけ、第166国会は、官邸(安倍首相)の細々とした指示で参院自民党国対が動き、審議打ち切り、強行採決、会期延長などを次々にやった。参院自民の存在感がゼロに近づいた国会だった。これは、「9.11総選挙」によって、参院議員が、首相と党執行部の言いなりになってしまったことが大きい。しかも、その首相自身が、税調会長や閣僚の相次ぐ辞任(自殺)に際して、「ズレ」る、「ユレ」る、「ブレ」るの最悪の対応を続けた(『週刊朝日』7月20号の表現)。参院は、「9.11総選挙」以降は「死に体」に近い。もし今回の選挙で、参院において与党が過半数割れを起こせば、衆院の暴走を抑止する存在になりうるだろう。

  そもそも二院制は、「議会(第一院)による専制」を予防するための権力分立的発想を基礎に設計されている。日本の場合、参院についても比例代表制を導入している。しかも、比例区には衆院のようなブロック制がなく、全国一区で集計するので、小政党にも議席配分の機会が相対的に増加する。加えて、選挙区は東京の場合、定数5である。かつての中選挙区制に近い。全体として、衆院よりも少数党に有利になっている。2007年選挙は「民主的二院制」の存在意義を発揮するものになるか。

  これと関連して、元参議院議長の斉藤十郎氏(2004年に政界引退)は、『東京新聞』7月13日付「こちら特報部」の長いインタビューに答え、重要な指摘をしている。斉藤氏は、与党が参院で過半数割れをした方が参院の独自性が発揮できるという立場から、こういう。
   「もとも参院は衆院に対し、抑制、均衡、補完という役割を果していくべき。その役割を果たすには、衆院は政権争奪の場だが、参院は政策の場、『再考の府』『熟考の府』という姿でなければならない。現在は参院が『政局の府』になってしまっている」と。そして、そうなった最大の要因として、参院の過半数維持のため、公明党と連立を組んだことを挙げる。
   いま、テレビ討論などで、自民党よりも公明党の議員の方が熱心に安倍内閣を支える論陣をはる場面をよく目にする。だが、年金問題や格差問題をはじめ、支持母体の創価学会の深部では、公明党執行部への批判がマグマのように広がっているように思う。「自民党以上に与党的」となった公明党が、今まで通りの議席を維持できるという保証はない。
   なお、斉藤元議長は、2000年に参議院の比例代表に導入された非拘束名簿式についても一言述べている。これは当時の森喜朗内閣が一桁台の支持率しかなく、比例区に「自民党」と書くことを嫌がる支持者が出てきたことを踏まえ、大急ぎで、個人名でもOKという非拘束名簿式に変更したものである。あまりに党利党略的なやり方だった。斉藤元議長は、「自分たちの土俵である選挙制度を変えるのに、提案者以外に誰もいない中で成立させるなんていう非民主主義的なことをやっては、議会は死んでしまうという思いだった。それに抵抗して議長を辞めた」と語っている。

  選挙は秘密投票が保障されている(憲法15条4項)。団体・組織へのしがらみや、職場・系列や地域のしめつけがあっても、最後は一人ひとりが自らの判断で一票を投ずるのである。今度の選挙は、安倍首相が「憲法改正の発議をする」という、3年後の一方の院の構成を決める選挙である。そこに、今回の参議院選挙の特別の意義がある。
   だからこそ、この選挙では、野党が全体として躍進することが重要なのである。とりわけ1人区においては、最終段階では、「高度の政治判断」が求められる。集団的自衛権行使に賛成する議員は別として、そうでないならば、「よりまし」な候補に票を集中することも必要だろう。

  なお、今回の参院選では、この十数年来交流を続け、私と共著も出版している友人が立候補している。村長時代から、憲法9条と99条(憲法尊重擁護義務)を結びつけた「平和のスリー・ナイン」を実践し、「沖縄と憲法」を体現する人物である。                 

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