国政調査権の活性化を  2007年11月5日

「地位があがっていくにつれて、ストレスがたまるので、週末にゴルフで解消したいという思いがあった…」。10月29日午後1時から、衆院テロ対策特別委員会の証人喚問をテレビ中継で最後までみたが、防衛省・守屋武昌元事務次官のこの言葉にまず驚いた。200回以上のゴルフ接待。社員割引で毎回1万円でプレーしていたと証言したが、それがかりに事実だったとしても、差額×回数で相当な金額になる。送り迎えの車代もある。食事やカラオケも、庶民が利用する居酒屋やカラオケボックスとは異なる料金体系の場所が選ばれたはずである。「多いときで月4回」(守屋氏)というのだから、金額もさることながら、よく毎週末にそんな時間があるものだ、と思った。ちなみに、私にとって週末とは、講義や会議から解放されて、やっと原稿書きの仕事ができる貴重な時間である。 それでも講演や会議もあり、なかなか時間の確保が難しい。今にもゲリコマやテロリストが襲ってくるというトーンで膨大な予算を使う役所のトップが、これだけ「暇」をもてあましているのだから、何をかいわんや、である。

  2003年1月の閣議了解で、大規模テロや大災害などの緊急事態に備える対応を決め、内閣危機管理監や防衛省運用企画局長は、土日でも30分以内に徒歩でこられる場所にいることになっているそうだ。防衛省の元幹部は、「〔守屋氏と〕日曜日に連絡が取れないことがあった。今思えばゴルフ中だったのだと思う」と語った(『読売新聞』10月30日付)。歴史上、「奇襲」や「不意打ち」は、キリスト教の安息日である日曜日に行われることが少なくない(真珠湾奇襲〔ハワイ時間〕、独ソ戦〔バルバロッサ作戦〕、朝鮮戦争、ベルリンの壁建設〔今週で崩壊18年〕など)。ということは、もうこのようなことは起きないということを、トップが身をもって示していることにならないか。

  今回の証人喚問では、ゴルフ接待やクラブなどのプレゼント、北海道などへのゴルフツアー旅行、賭け麻雀などの接待攻勢が、「山田洋行」という軍需専門商社の元専務によって、防衛庁・防衛省のトップにあった人物に対して、長期にわたり、反復継続して行われていたことが明らかとなった。山田洋行は、06年度までの5年間、防衛庁・省から総額174億円の契約を受注していたが、その9割以上が競争入札によらない随意契約だったという。談合事件が起こるのは競争入札があるからで、随意契約がここまでまかり通るというのは、航空機のエンジンとか、特殊な装備品が多く、ライバルがいないということもあって、これは軍需産業の構造的問題だろう。特に、次期輸送機(CX)のエンジン調達をめぐる代理店変更との関わりが焦点となってくる。

  山田洋行は90年代に米国ゼネラル・エレクトリック(GE)社の日本代理店になった。防衛庁(当時)は、GE社製のエンジンをCXに採用することを決めていた。ところが、元専務が山田洋行を飛び出し、昨年9月、日本ミライズを立ち上げ、山田洋行にかわって、GEの日本代理店となると、昨年12月、次官室で、GEの防衛部門の責任者とこの元専務を引き合わせている。守屋氏は「表敬訪問」と説明しているが、記録では50分も会談しているそうで、これは「記憶にない」と逃げている。今年7月、守屋氏は「日本ミライズと随意契約をすればいい」と発言したとされるが、本人は否定した。装備審査会議の議長を守屋氏が務めたことは、証人喚問で本人も認めている。これら一連の経過をみれば、GEが、無名の日本ミライズに代理店変更をして、日本ミライズが受注するというのは何とも不自然である。その過程に、守屋氏が深く関わっていることが十分に推測される。装備審査会議では、議長を務める事務次官の存在は絶大である。ちょっとした態度や雰囲気で、周囲に意向が伝わる。
   ロッキード事件で内閣総理大臣の職務権限が問題になったときも、個々の発言ではなく、そうした全体的な関係が焦点になった。今後の調査と捜査次第では、ロッキード事件(P3C 対潜哨戒機選定問題)やダクラス・グラマン事件(E2C早期警戒機売り込み問題)に続く、「平成」における最大の疑獄事件に発展する可能性もある。証人喚問における論点はまだたくさんあるが、真相究明は、その「入口」に立ったにすぎない。

  久しぶりに証人喚問というものを長時間みたが、追及側の委員があまりにも質問が下手なので、 イライラ した。「あんたの演説なんか聞きたくない。早く質問しろ!」「何でそこで『 えーっ、 次に』 になる ?もっと突っ込んで聞け!」と一人テレビに向かって叫ぶものだから、「ストレス」がたまってしまった。質問者には弁護士資格をもつ議員が何人もいたのに、十分に追及しきれていない。政党を問わず、議員の追及能力が落ちているように感じた。
   ロッキード事件の頃の緊迫感がなつかしい。あのときは、大出俊(旧社会党)、楢崎弥之助(同)、正森成二(共産党)、黒柳明(公明党)といった名物議員がいて、見せ場をつくったものだ。特に「ギョロ眼の正森」は、余計なことはいわず、事実関係を積み重ねて問いただし、証言の食い違いを突いていく。迫力があった。弁護士の弁論術を活かした見事な追及だった。旧制静岡高校同窓の中曾根元首相も、正森氏には一目置いていたと聞く。同氏は昨年秋に死去したが、著書『質問する人、逃げる人』(清風堂書店)は面白い。帯に、「視聴率アップ(1.4%→6.9%へ)の人。国会が白熱のドラマと化し、一幅の絵となった」とある。私にとって、ロッキード事件とその証人喚問は、大学院で憲法の研究を始めたばかりのときだったので、とりわけ国政調査権の制度や学説との関連で考える絶好の機会でもあり、個々の証人たちの発言や表情などとともに、いまも脳裏にしっかり焼きついている。

 

  そもそも国政調査権とは何か。憲法62条は、「両議院は、各々国政に関する調査を行ひ、これに関して、証人の出頭及び証言並びに記録の提出を要求することができる」と定める。二つの議院のそれぞれの権限なので、参議院だけでやることもできる。議院規則では、委員会を主体にしている(衆議院規則94条、参議院規則33、35条)。そこでの審査や調査の必要から、内閣や官公署に報告や記録の提出を求めることができるが、その場合、内閣などは「その求めに応じなければならない」とされている(国会法104条1項)。かなり強い義務づけである。報告や記録提出をできないときは、その理由を明らかににしなければならない(同2項)。議院側がそれに納得しないときは、内閣は「国家の重大な利益に悪影響を及ぼす」という声明を出す(同3項)。その場合は記録提出などを免れる。でも、この声明が要求があってから10日以内に出されないと、内閣等は求められた報告や記録提出をしなければならない(同4項)。何段構えにもなっているのは、内閣側に記録提出などを拒否できる余地を残すという「工夫」のあらわれともいえる。現行法上の限界ないし問題点の一つである。
   証人喚問はどうか。議院証言法によれば、正当な理由なくて、証人として出頭することを拒否したり、証言を拒んだり、書類を提出しなければ、1年以下の懲役または10万円以下の罰金に処せられる(同法7条1項)。また、宣誓した証人が虚偽の陳述をしたときは、3月以上10年以下の懲役である(同6条1項)。偽証罪である。証人喚問はこのような強制力によって証言を求めるもので、その意味で、国政調査権は、けっこう強力な権限なのである。


   この国政調査権の法的性質をどう考えるか。学説は一応、独立権能説と補助権能説とに分かれる。加えて、国会・内閣・裁判所というトリアーデ(三角形)のなかで、行政府に対する監督機能を特に強調するものから、国民の「知る権利」を保障するための情報提供機能を重視する説もある。国政調査権にはそれぞれの側面があり、いずれも重要な機能と評価することができる。

  ところで、独立権能説は、「国権の最高機関」(憲法41条)としての国会を「統括機関」と考える立場と結びつき、国政調査権を、国会を構成する各議院が、国会が有する諸々の権能とは別個に、単独で、国政に関する調査を行うことができると解釈する。この説をとれば、「国政」の調査は、内閣や裁判所が行う活動に広範に及ぶことになる。これに対して補助権能説は、あくまでも国会が与えられた諸権能を補完ないし補助するものとみる。「国政」一般ではなく、立法権や条約承認権などに関連する事項ということになる。後者が通説とされる。ただ、補助権能説の「補助」という言葉は、誤解されやすい。補助だから軽いということにはならないからである。法案や予算などの審議に無関係な「国政」事項というのはむしろ少ないだろう。その意味では、国会の権能を「支える権能」といった方が正確だろう。「支援権能」である。だから、議論の仕方としては、国政調査権が及ばない領域ないし分野があるかどうか、あるとすればそれは何であり、どの程度までなら及ぶのかという形で、具体的に議論することが必要だろう。内閣・行政については、行政監督権という本来的役回りからして、全面的に及ぶと考えるべきである。憲法9条の存在からしても、「防衛秘密」を特別扱いすることも許されない。
   従来、国政調査権は、議会内少数派、野党にとっては、内閣や行政をチェックする有効な手段となってきた。だが、「7.29」(参院選)によって、参議院の構成が変わった。今後、憲法62条が活用されることが期待される。国政調査権の活性化である。

  なお、守屋氏について「防衛省の天皇」という言い方をするのには違和感がある。戦後の天皇は「象徴」であり、形式的・儀礼的行為しかできない。守屋氏は実質的に人事を握り、強大な権限をもっていた。しかも、キャリア官僚の不文律(次官が勇退すれば、同期は一斉に退職する)を破って、(自分のために)自らの任期を延長し、4年間も次官を続け、まだやるつもりだった。よほど政治家と癒着して、政治力を発揮しなければできないことである。これが、いかにキャリアのなかの「秩序」を乱したかは想像にかたくない。小池元防衛大臣によれば、大臣室から出るとき、背広組も制服組も大臣に一礼して退出するが、守屋氏だけは決して頭を下げなかったという(『週刊ポスト』11月9日号)。大臣よりも偉いと自分で思い込み、周囲にそのように演出させてきたから、「防衛省のドン」というべきだろう。
   飛ぶ鳥、後をめちゃめちゃに濁して飛び立ち、辞めた直後に、古巣の膿を噴水のように吹き出させたわけである。こういう人物が政治家と結びつき、「防衛利権」をむしばんでいた。税金を払う側からすれば、国会は議院の国政調査権を発動して、徹底して真相を明らかにしてもらいたいと思う。


[付記]
本稿は証人喚問直後の10月30日に執筆したものである。その後、福田・小沢会談で自衛隊海外派遣「恒久法」、「大連立」が急浮上した。1999年「自・自連立」時に小沢一郎氏の憲法論について書いた拙稿を踏まえた直言を、次回更新日(11月12日)より早めにUPする予定でいる。なお、11月4日、同氏は民主党代表を辞意する意向を表明した。

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