今年の早稲田祭本部企画「ゼミフェスティバル――早稲田祭でオープンキャンパス」において、水島ゼミが「早稲田の有名ゼミ15」の一つに選ばれ、11月4日に模擬ゼミを行った(8号館310教室、15時から16時30分)。発表に向け、ゼミでは、執行部を中心に特別班を編成し、模擬ゼミの準備にあたった(ゼミ生自主管理運営サイト)。彼らが選んだテーマは「裁判員制度」である(同サイト・レジュメ〔PDF〕)。いつものゼミよりも時間が短いため、学生たちは、わかりやすいプレゼンを工夫していた。
当日、教室には高校生やその親など、100人近くが入って満席になった。まず、発表班が裁判員制度についての簡単な説明を行った。高校生の顔に眠気がみえた頃に、「辞退事由クイズ」を実施した。辞退の事由〔理由のこと〕に関する設問は12個(同レジュメ7頁)。高校生たちは、友だちと相談しながら回答していた。
ところで、このクイズの設問は、裁判員法16条に列挙される辞退事由と、法務省が現在検討中の裁判員法16条7 号の政令案をもとにつくられている。 (2) 「妻の出産予定日と重なる」や (5) 「同居している母親の介護があり、そばを離れられない」、(9) 「海外出張での会議に、本社代表で出席する予定である」が○で、(4) 「家族で中華料理店を営み、忙しい」や (6) 「祖母が介護施設に入りたてで、いつ連絡がくるかわからない」が×という点では、ある程度「正答率」は高かった。だが、(10)「会社のスポーツ部のレギュラーで、全国大会に向け強化合宿中」が○で、(11)「大学の非常勤講師として授業がある」が×なのには、評価が分かれた。それぞれかなり微妙である。
この「辞退事由クイズ」には含まれていないが、死刑の可能性のある重大刑事の審理には、宗教的理由から参加できないという人も出てくる可能性があり、これをどう扱うかは重要な問題である。人に何らかの義務を課す以上、そこにおける例外の問題は避けて通ることはできない。性格は異なるが、徴兵制をもつ国における良心的兵役拒否の問題とも重なる面がある。
結局、法務省の政令案には、「思想信条」を理由とした辞退は明記されないことになった。そのかわり、裁判員の職務により「精神上または経済上の重大な不利益が生ずると認めるに足りる相当な理由がある」場合という抽象的な一文が入り、これで宗教的理由などによる辞退をカバーするようである。いずれの場合でも、裁判員選任手続において、裁判官に事情を説明し、その判断によって決まる。裁判官によって同じ結論になるとは限らず、同じようなケースでも結果が違ったものになる可能性もある。
たまたま私の知人が、裁判員選任手続に参加する体験をした。それについての感想レポートと呼出状などを送ってくれた。知人は愛知県の有名企業に勤めている。呼出状は名古屋地方裁判所刑事部からのもの。日付は平成19年6月6日付である。
「名古屋地方裁判所で行う裁判の裁判員を選任する手続を行いますので、平成19年7月18日(水)午前9時15分に名古屋地方裁判所3階第3予備室(事務棟)までお越しください。なお、裁判員に選ばれた場合に、裁判員を務めていただく裁判の予定の期間は、平成19年7月18日から20日までの3日間です」とある。今回は模擬手続のため、7月18日だけが拘束時間となったそうである。
以下、その経験の感想文を、本人の同意を得て紹介する。「裁判員模擬選任手続」に参加した数少ない人の体験談として、意味があると思う。A4で4頁もあるが、資料の解説のような部分は割愛し、また本人が特定できるようなところも削除してある。
裁判員模擬選任手続レポート
2007年7月18日
◆依頼
今回、会社を通じて裁判員模擬選任手続に参加をした。これは名古屋地方裁判所刑事部が企業(主に愛知県内に本社機能を持つ東証1部上場企業)に対して参加候補者名簿の提出を依頼し、それをもとに裁判所がその名簿から裁判員模擬候補者を抽出した。その結果、名古屋地裁より会社を通じて呼出状が届いたため参加することになった。なお、人事部に確認を行ったところ、当日の勤怠は「公用外出」ということで有給扱いとなった。
◆受付・質問票(当日用)
地裁に到着すると裁判所の職員より受付に案内された。受付をした際に、整理番号票と質問票(当日用)、クオカード1000円分が入ったファイルを渡される。控室には机が並んでおり、整理番号順に座席が割り振られていたため、指定の座席に着席。今回は整理番号が27まで割り振られていた。
指定の時間になり候補者が揃ったところで書記官より説明が行われる。あらかじめ用意した台詞を棒読みしている。まだ不慣れな様子。当日のアジェンダを説明し、次に質問票(当日)の記入についての説明。ここで、ホワイトボードを見える位置に出し、今回、呼出を受け、裁判員の候補となっている事件を説明を行う(別紙参照・略)。ホワイトボードに書かれたこと以上の情報は口頭の説明でもされなかった。説明が終わったところで質問票の記入を行う。私はこの質問票(別紙参照〔略〕)を記入する際に、問4の質問(「事前にお送りした質問票を記載された後に、事情が変わったということがありますか」)に対する回答として、「業務が以前よりも多忙になった」と記入をした。このような記入をして場合にどのような質問をされるのか、また、どの程度の理由で辞退が出来るのかを試してみたいと考えたためである。
◆待ち時間
質問票の提出から30分ほど経ち、再度書記官が来て案内を行う。質問票の集計を終え、受付時に渡された整理番号の順にグルーピングの発表をした。1名または、3~5名のグループがそれぞれ組まれた。このグルーピングの方法についても模索中であるという説明を書記官が行っていた。
なお、私は調査票において問4の質問で以前よりも業務が多忙になった旨の回答したため、1人で質問手続を受けることになった。…
グループごとに候補者が隣室に呼ばれ、そこで裁判長より質問をされるという形式で行われる。空き時間が長くなると思い覚悟をしていたものの、意外にも先に入室した候補者が退出するまでの時間が短かったため、席を立つのをあきらめる。5人のグループで入室しても5分程で退出していた。他のグループについても同様であったため、質問時間は一人あたり1分程度という計算になる。◆裁判長による質問手続
書記官から呼ばれ、私も質問を受けるため隣室に入室した。この際の部屋のレイアウトは別紙に記した通りである。入室したところ、やはり人数が多いという印象を受けた。とくに、中央に裁判官と書記官が座し、検察官と弁護人が両側に並んでいる様はまるで私が被告人になって尋問を受けているかのような感覚を覚える。窓がある明るい部屋だったので幸いだが、これが窓のない部屋だったらもっと強い圧迫感を感じていただろう。
着席すると、○○○○裁判長(刑事○部)による質問が行われた。そのやりとりは下記の通り。裁「業務が以前よりも忙しくなったとは、どういうことでしょうか」
私「はい、私は上場企業の危機管理を行っております。この度、新潟で地震が起きたため、その対応が必要になるかもしれません」
裁「具体的にはどのような対応でしょうか」
私「もし、現地から当社に損害を与える情報が入った場合に、その対応策を練らなければなりません」
裁「それは貴方でなければ、出来ない業務でしょうか」
私「実際、何らかの判断を行うのは私ではなく上司です。ただ、何か対応を行った際には記録を残す必要があり、それを担当するのは私です」
裁「何名でその業務は行われていますか」
私「上司2名と私の3名です」
裁「それでは、今回、貴方が裁判員候補者として呼び出されたことについて、上司の方は何かおっしゃっていますか」
私「特に、意見は聞いておりません」
裁「(検察官と弁護人の方を見て)何かありますか」
(とくに反応なし)
裁「では、今回、裁判員になっていただくかもしれない事件について、説明を受けましたね」
私「はい」
裁「これについてどちらが悪いとか、何か意見はありますでしょうか」
私「この情報で、どちらがどうかとは判断できないと考えます」
裁「わかりました。ありがとうございました」
(実際に新潟の地震によって業務が発生することはないが、模擬の手続なのでそのように発言した)◆裁判員選任者の発表、辞退の可否
全員の質問が終わってから1時間ほどで書記官から選任者の発表があった。また、今回裁判長が選任を終えての説明を行った。
まず、仕事を理由とした辞退が認められるのは、裁判員を辞退しなかったことにより相当の損害が発生するという場合であったが、具体的にどのようなケースがそれに該当するかについて示すことはなかった。
今回、辞退を希望したのは1人(なんと私だけ)で、その内容は法律上の辞退事由にあたるか微妙な線であったという。しかし、他の候補者からの辞退がなかったため、辞退を望んでいる候補者にあえて負担をかける必要はない判断して、今回は対象から外した。辞退を認めるか否かは具体的に判断するということであった。〔以下略〕
◆裁判員の日当
裁判員には日当が支給される。…選任された場合は日当は10000円。選任されなかった場合は半日のみの参加となるため日当は8000円となる。…
【所感】
◆今回の模擬選任手続での候補者の母集団
今回の模擬手続を行うにあたって地裁は、会社員を裁判員の候補者として呼び出す際、どのような点に配慮すべきかを直接聞くことを意図したのであろう。しかし、今回地裁が依頼を出した企業はそのほとんどが「地元の名士」的な企業ばかりであり、比較的人員に余裕のある企業が多かったように思える。そのような母集団から出された会社員からいくら意見を聴いても、現実はそのような企業ばかりではない。事実、私以外の人間で仕事上差し支えが出るので裁判員を辞退したいと申し出たケースはなかった(今回が試行テストであることを差し引いても、この状況は現実的ではない)。中小企業など一人でも従業員が抜けると厳しい状況に追い込まれる企業は必ず出てくる。今回のテストで得られた情報は氷山の一角のまた角であると、裁判所には認識していただきたいものである。(当社はまだしもグループ会社では厳しいのでは?)
◆理由なしの不選任
選任プロセスの中で「理由なしの不選任」ができることになっているが、これについて検察官と弁護人の意見が対立したりした場合にはどのような処理をするのか。恣意的な選任につながる可能性はないか。
◆質問手続での雰囲気
やはり、部屋のレイアウト(別紙参照〔略〕)によって自分が被告人になったような気分になる。早く部屋を出たかった。このような形にするのも理解できなくはないが、配慮が必要。
以上が、私の知人の「裁判員選任手続」体験である。こうした風景は、まもなく全国各地でみられることになる。知人はたった一人、辞退の申し出をして、裁判官の質問を受けたわけである。
ところで、読者は、裁判員制度について、私がなぜ「辞退事由」にこだわるのか、疑問に思う向きもあるだろう。この制度を実現しようとする側からすれば、何とも「後ろ向き」の姿勢だという批判もあろう。だが、学生たちと裁判員制度を議論するたびに、この制度に対する私の疑問は深まるばかりである。
ちなみに、私の知人は、このレポートへの添え書きにこう書いている。「…実際に模擬手続に参加して、現時点でまだ細かい点を詰めていないという印象を受けました。手続の進め方や内容はもちろんですが、企業に勤めている市民の実態や裁判員制度の世間での認知度について把握していないのではないかと感じることがありました。この状態で2年も経たないうちに制度が始まるとなると、相当荒削りなものになると考えられます。本当に大丈夫なのでしょうか」と。模擬手続に参加した上での意見であり、大変参考になる。次回の直言では、裁判員制度について総括的に問題を指摘することにしよう。