「その存在の耐えがたい軽さ」。いまどきの政治家のことである。選挙が近づき、候補者選びになると、「???」の人物が目白押しである。首相のもとに挨拶にいったら、気に入られ、そのまま参院議員候補者になったアナウンサー。「えっ、嘘だろう」と思う間もなく、現職を落として当選してしまった。一方、テレビに出まくり、上手いとはいえない歌のCDまで出す弁護士も、参院議員に。さらに、弁護士法1条(基本的人権の擁護)なんて感じさせない言動で名を馳せた弁護士も、大阪府知事選挙の候補者だそうである。「ババア」とか「三国人」とかの問題発言を連発する作家知事や、セクハラで失脚したお笑い芸人知事等々。メディアで顔が売れているから当選するだろう、というのはきわめて安易な発想…、でなく、手堅い発想とでもいうべきか。残念ながらそういう候補者も当選してしまう。メディアで顔が売れるというのは、選挙では決定的に有利である。それゆえか、野党の党首が、出演した朝のワイドショーで、芸能ネタにまで付き合っているのをみたときには、「ここまでやるか」と、情けない気持ちになった。
実証研究でそれなりに評価された研究者も、ワイドショーのコメンテーターとして頻繁にメディア露出するようになるや、顔つきまで変わってしまった。司会者に迎合して、ありきたりのコメントをしているのをみると悲しくなる。テレビに頻繁に登場する弁護士のなかには、法律家としての職業倫理や節操さえも疑われるようなタイプも少なくない。
そうしたなか、弁護士の小池振一郎氏のような人もいる。「弁護士コメンテーターとは」という論稿を雑誌に寄せ(『法と民主主義』2007年11月号)、『ザ・ワイド』(日本テレビ系)にレギュラーコメンテーターとして参加した経験を語っているのだが、法律家としてのギリギリの努力をしていたことが伺われ、興味深かった。「感情で処罰していいのか。…被害者対策として短絡的に厳罰化のみを主張する傾向に対する法律家のアンチテーゼを提供しなければならない。弁護士コメンテーターの役割はますます大きくなっている」という。アクの強い司会者が、一方的に被疑者・被告人を非難する。他のコメンテーターもみんなで「死刑は当然」といった発言や表情で対応しているところで、「にもかかわらず」という発言をするのは相当勇気がいる。メディア受けを狙ってそうこうするうちに、自らもメディアのなかで「踊る」ことに慣れ、最終的には「踊っている」ことにも気づかなくなる。そこまでくると、思考の頽廃は確実に進行している。
私自身はテレビの仕事はできるだけ断るようにしている。いままでテレビにいろいろと出てきたが、虚しさしか残らなかった。顔が露出することにより、失うものもある。だから、「声」に託している。ラジオの出演依頼はことわらない。NHKラジオ第一放送「新聞を読んで」のレギュラーは10年やっている(12月27日も「ラジオあさいちばん」予定)。ラジオの方がものが言えるし、瞬間芸を競うテレビの世界よりも生産的に感じる。書くこと以外、そのような「声」の世界での仕事も積み重ねていきたいと思う。
関連して今回は、既発表の原稿だが、国公労『調査時報』2008年1月号掲載された「水島朝穂の同時代を診る」の連載第36回「メディアがつくる『勘違い』の怖さ」をUPすることにしたい。なお、これから来年にかけて毎週更新を行うが、ストック原稿のUPなど、年末・年始の「お節モード」に入ることをお許しいただきたい。
メディアがつくる「勘違い」の怖さ
◆ 「亀田家」とは何だったのか
親付きでメディアに露出するのは、本人がいい年齢になった大人の場合、みっともいいものではない。いつまでもセットで取り上げられることで、親の影響から抜け出せない本人も気の毒だが、それを持ち上げるメディアの品位も問われる。メディアが面白がって「○○の父」とかいって持ち上げるものだから、本来主体でない親の側での不幸な勘違いも生まれてくる。若いプロゴルファーの父親が、「○○のパパ」というだけで議員に当選したり、女子レスリング選手の父親の「気合だぁ」も騒々しい。
この秋、「亀田父」なる人物が物議をかもした。息子をプロボクサーに育てあげたとして、ごく最近までメディアが盛んに取り上げてきた。だが、彼らは自分に都合の悪い発言に対しては、威嚇的で暴力的な言葉や態度で応ずる。兄ですら20歳そこそこ。他の二人は未成年である。だが、大人に対して平気でタメ口をたたく。それをメディアは黙認してきた。残念なことに、昔から好んでよくみるキー局(TBS)がこの親子に過剰に入れ込み、ニュースの時間帯なのに、キャスターまでが満面の笑みを浮かべて、「すごいですね」「楽しみです」などと語っていた。だが、それもたった一度の試合で、ガラリと変わった。◆ メディアの「演出」
私は、スポーツ観戦をほとんどしない。野球も好みのチームがない(巨人以外ならどこでもいい)。だが、その日は違った。
10月11日木曜日。授業を終えて帰宅すると、息子がテレビをみている。ちょうどWBC世界フライ級タイトルマッチ、王者・内藤大助と挑戦者・亀田大毅の試合をやっていた。12Rに入って、レスリングのような投げ技が出るに及び、「これは何だ?」と着替えをするのも忘れてみていた。日頃、まともにボクシング観戦などしたことのない人間が、反則のオンパレードだけを集中的に「観察」することになった。
実況の仕方もひどかった。「内藤コール」なのに、アナウンサーは、「亀田コールです!」と叫ぶ。反則が出ると、「若さが出ましたね」といって弁護する。ルール違反ならば、きちんと指摘すべきなのに何もいわない。局には、約1500件の抗議が寄せられたという。「実況アナウンサーが勝手にしゃべった。局としては指示していない」とTBS幹部はいうが、彼は局アナである。上司の指示なしに、そのようなしゃべりはできない。TBSは無責任である。
ところで、以前、別の某キー局のエレベーターに乗ったとき、視聴率ランキングのようなものが貼ってあり、その派手さに驚いたことがある。1%の上下で目の色が変わる世界。「視聴率こそすべて」。視聴率稼ぎの「やらせ」や、特定人物を犯人視する過剰な事件報道などの背景にも、この一面的価値観の突出があり、「亀田家」は、そうしたメディアで重用されてきたわけである。「その日」を契機に、評価は暗転する。TBSの変わり身の早さにも驚く。
他方、「処分」後の亀田兄弟は、それまでの神妙な態度はどこへやら、ケロッとして傲慢モードに「復帰」していた。ここまでくると勘違いも重症で、まさに「完治外」というところか。
◆ メディアがつくる政治
政治の世界も、メディアの「気分」や「空気」で動いていく面がある。「KY」(空気がよめない)という若者言葉が一般化されつつあるが、この「空気」を動かすのもまた、メディアである。だから、「この人、ずれている!」という「空気」がつくられれば、何を語っても、視聴者はその人の話をまともに聞かなくなる。13年前の「政治改革」のとき、「守旧派」とされた与党政治家のインタビュー映像が流れ、画面が人気キャスターの顔に戻ったその瞬間、彼は「では、コマーシャル」といいながら、小首をかしげたのである。それで、視聴者は、直前の政治家の話には問題があるという印象をもった。この「瞬間芸」は、正直怖いと思った。
ところで、数年前、民放の朝までぶっ通しでやる討論番組に出たときのこと。「有事法制」がテーマだったのだが、私が憲法前文に触れながら問題点を指摘しようとしたその瞬間、司会者は私を手でさえぎって、「憲法はどうでもいいんだ。○○さん、この問題どうですか」と政治家に話を振ったのである。彼は司会者の役目を明らかに逸脱していた。また、それが「売り」でもあったのだろう。
同じ番組で、靖国神社問題をテーマにしたときだった。大声で怒鳴る常連が多いので、発言する自分の声もよく聞こえない。そんな異様な雰囲気のなかで、私は意を決して、中国人女子留学生から預かったレポートを紹介した。靖国派の参加者の叫びで自分の声も聞こえないなか、私はレポートを読みあげ、自分の意見を言い切った。『きけ、わだつみのこえ』を読んで夏休み感想文を書くことを求められた彼女は、最初、「日帝の軍隊にとられた学生の話なんて」と思ったのだが、そこに出てくる「生きましょう」という言葉に涙がとまらない。なぜだろうと思っていた矢先、たまたま留学生交流会でベトナム人留学生と出会う。子どもの頃、中越紛争(1979年)で侵攻してきた中国軍兵士に銃剣を突きつけられ、怖かったという話に、彼女はハッとする…。これを読み上げる途中、一瞬スタジオが静かになったのがわかったが、すぐに靖国派の学者が大声で叫びだした。
帰宅後、ビデオでみて驚いた。生放送なのに、私が話しているときは他の野次や話し声は聞こえず、私だけが淡々と話しているようにみえる。留学生の感想文の紹介のときは、カメラは見学席にいる学生や留学生の顔をゆっくり映し出す。えっ、と思った。「演出」されている。
そういえば、終了後、局内の部屋で慰労会が行われたが、その際、放送作家と称する人が挨拶にきた。その人がシナリオを書き、話の展開のなかで、ある声を拾い、ある声を抑えるなどの操作をして、番組全体がシナリオに沿って展開するようにしていたようだ。生の討論番組だが、常連は、それぞれが「役どころ」を心得ていて、ここぞというところで発言し、また野次を飛ばすのだろう。作家のシナリオのなかで、私の発言は彼の期待通りだったようで、他のマイクの音をしぼり、私の声だけが通るように操作したようである。カメラの動きまで指示しながら。生放送でも、こうやって話の展開が操作できるのだということを実感した。
ところで、情報伝達のテンポが加速している分、忘れられるのもはやい。特に「9.12・安倍逃亡」後の2週間の動きは目まぐるしかった。あの頃、「麻生首相誕生」を疑うものはいなかった。だが、地味な存在だった福田康夫氏が、派閥の圧倒的支持を得て、9月25日、総裁に選出された。「麻生首相誕生」を自明視していたメディアは、アッという間に福田氏に乗り換えた。それも一夜にして。
麻生氏の場合、いまは露出度が格段に下がったが、党幹事長や外相をやっていた頃は、漫画やオタク的な面にテレビが注目。本人もその気になって、「アキバの皆さん。キャプテン翼、知っている人は?」なんてやっていた。「2ちゃんねる」に書き込んでいることまで告白。まさに勘違いは政治家をも変えていく。でも、こんな人物が、トップ(首相)にならなくてよかったと、つくづく思う。
(2007年11月20日稿)