地方講演のあと、飛行機や列車に乗る前にはたいてい、地元の土産を買う。家族の希望で、中京地区だったら「赤福」、札幌ならば「白い恋人」…という具合である。だが、昨年、消費・賞味期限の改ざんが判明して、この二つのブランドの信用は地に落ちた。ただ、この問題の「問題のされ方」については、いろいろと違和感や疑問をもってきた。「『食』のはなし」シリーズも12回目となり、この機会に、「食の安全」についても書いておくことにする(一般的な「安全」の問題については前に書いた)。関連して、私のゼミ学生が行った「食」に関する取材やシンポについても紹介しておきたい。
「衣食住」という言葉がある。「住」の問題では耐震強度偽装問題が衝撃的だった。「衣」の問題は偽ブランド問題など、以前から問題になっていたが、昨年は一気に「食」の偽装が焦点となった。食用油にダイオキシン類の一種(PCDF〔ポリ塩化ジベンゾフラン〕)やPCB(ポリ塩化ビフェニール)が混入していたため重大な健康被害を招いた「カネミ油症事件」や、粉ミルクに砒素が混じり、たくさんの乳児が犠牲となった「森永砒素ミルク事件」、そして低脂肪乳に黄色ぶどう球菌が増殖して大規模な食中毒を惹起した「雪印集団食中毒事件」など、戦後日本の「食」の歴史に残る事件は、いずれも身体や健康に直接関わる重大な問題だった。昨年、メディアで連日報道された食品偽装問題も、大きな事件であったことに間違いはない。ただ、その中身は、賞味期限や消費期限、生産地を偽ったり、原材料表示に掲げる順番を入れ換えたというものが中心で、人の健康に直ちに影響するような性質のものではなかった。あえていえば、「小さな」悪である。もちろん、こうした偽装や安全軽視が、やがては生命・身体への危険を惹起する「大きな」悪に発展する可能性もある。ただ、今回、「大きな」事件に発展したのはなぜか。それは、マスメディアの「扱い方」と関連していたように思う。
昨年のちょうど今頃、菓子メーカーの「不二家」がプリン4種に、社内基準を1、2日超える消費基準を表示して出荷したことが明らかとなった。これが始まりだった。5月には「日本ライス」の産地・銘柄偽装が判明。不正競走防止法違反(虚偽表示)事件である。6月のミートホープ事件はひどかった。豚肉や鶏肉などを混ぜて「牛肉100%」として出荷。偽装表示を超えて、詐欺罪に問われた悪質なものだった。8月には、北海道銘菓「白い恋人」が賞味期限を改ざん、10月には、伊勢土産の定番「赤福餅」の製造日偽装問題や、秋田の「比内地鶏」のブランド偽装、さらに、老舗高級料亭の船場吉兆の消費期限偽装や「ブランド偽装」が発覚した。但馬牛の味噌漬に佐賀牛を使って販売したのである。それにつけても、報道のなかで、あたかも佐賀牛はランクが低いかのようにいわれたのには違和感を覚えた。4年前の佐賀講演のときに佐賀牛をご馳走になったが、それが大変おいしかったという理由だけではない。「食」に関し、「老舗」とか「ブランド」ということを過剰にもてはやすことに対してである。そのようにランクづけをしても、所詮は各人の「舌」の問題である。人の舌に、「ブランドだから」という先入観を植え付け、負荷をかける風潮の行き過ぎが、今回の事件の背景にあるのではないか。
以上は、昨年問題になった食の偽装事件の一部だが、ワイドショーなどで連日大きくとりあげられ、メディアは、「ほかにもないのか」という探索モードに入っていった。視聴者に飽きられないよう、かなり「小さな」悪まで掘り出された。例えば、JAS法に基づく加工食品の品質表示基準によると、製品の原材料表示は「重量順」に表示するように定められている。創業100年の老舗・崎陽軒が、主力商品のシウマイなどについて、原材料表示がそのようにされていないことが「スクープ」された。豚肉、ホタテ貝柱という順番で表示されていたのだが、実際の重量はホタテよりもタマネギの方が重いので、ホタテを2番目に持ってきたことが「JAS法違反」というわけである。
タマネギよりホタテ貝柱を前に置いたことが「偽装」だという形で過剰反応するのは、やはり行き過ぎではないか。例えは適切でないかもしれないが、例えば、大学教員も「多様化」していて、「教授」にもさまざまなタイプがある。入試パンフや大学紹介などで教授の雇用形態をすべて表示していないのは「偽装表示」だなどといわれかねない。もちろん、上記の教員「多様化」にはさまざまな問題があるのだが、ここでは立ち入らない。
ところで、昨年暮れに三重県で講演したが、その際、主催者に聞いた話では、「赤福」が問題になった直後、ライバルの「御福」が売れ出すと、すぐに「製造日偽装」が報道され、最終的に三重県内の7社がやり玉にあげられたという。ただでさえ不景気に苦しむ地方にとっては、「これはもういじめですよ」という言葉が耳に残った。
「食の安全」をめぐるメディアの状況は、「叩けばほこりが出る」という以上に、「無理に叩いてほこりを出す」という類もなくはなかった。そして、視聴者の関心が下がってくると、ワイドショーもこのテーマをあまりとりあげなくなった。それどころか、12月24日には、一般のニュース番組までが、不二家の店舗でクリスマスケーキが販売される様子を、店長や客の声まで拾って、妙に好意的に紹介していた。袋叩きにして、1年もしないうちに「あれからどうなった」モードで再び話題にする。メディアの生理と病理がここに見え隠れする。
もっとも、政治家の場合は別である。「経歴偽装」は「大きな悪」である。政治家の場合、選挙の洗礼を受けるということからすれば、虚偽の経歴で選挙民をだますことは許されない。「小さな嘘と大きな嘘」でも触れたが、外国の大学を卒業してもいないのに卒業したと経歴を偽ることは、れっきとした犯罪である。虚偽事項公表罪として、2年以下の懲役・禁錮または30万円以下の罰金となる(公職選挙法235条)。
さて、昨年8月のゼミ合宿は、北海道で行った。私のゼミでは4年ぶりの北海道合宿である。ゼミ生たちは、アイヌ班、食班、地方自治班、自衛隊班の4班に分かれて道内各地で、さまざまな団体や個人に取材した。詳しくは、その報告書に譲るが、なかでも「食」班の活動は、前回の北海道合宿にはないものだった。
日本の食料自給率は39%まで落ち込んでおり、この数字は先進国のなかでも群を抜いて低い。ヘルシー志向で世界的にも注目される和食だが、その伝統食を支える大豆やそば粉などが輸入に頼っているのが現状である。北海道の場合、地域の食料自給率は200%を超える。「日本の食料基地」とされる所以である。ゼミの「食」班が北海道の関係者に取材し、「北海道食の安全・安心基本計画」(北海道、2005年12月)や「北海道食の安全・安心条例」(2005年3月31日、北海道条例第9号)についていろいろと調べていた。この条例は全35カ条からなり、(1)情報の提供や食品等の検査・監視などの基本的施策、(2)安全・安心な食品の生産・供給、(3)表示・認証制度の推進、(4)情報・意見交換の促進を柱に掲げている。この条例と同時に、「遺伝子組み換え作物の栽培等による交雑等の防止に関する条例」(2005年3月31日、北海道条例第10号)も制定され、遺伝子組み換え作物が一般作物に「交雑」あるいは「混入」することを阻止する施策を展開している。
学生たちがインタビューした元・北海道副知事の麻田信二氏は、上記の条例の制定に関連して次のように述べている。「…ガイドライン作成時は大変だった。様々な圧力はあったが、そこは民意でふんばった。国の政策は、国民のものでなくてはならないけれど、現場は、予算が取れるか否かが最大の関心事で、やってどうなるかは二の次。政治も、今は官僚任せの政治家が多い。…日本の農政策は、『担い手を育て、集約する』として規模を拡大し、効率化しようとしている。北海道でアメリカと同じ農業はできないし、国民もそれは求めない。農業は地域によって特色が違う。画一的な国の対応では無理がある。農業の再生はもう取り返しのつかないことに見えるかもしれないが、何事も遅すぎるということはない。自分たちでやらないと成果が出ない。本来法は国民が求めるものであって、国から与えられるものであってはダメだ…」。
学生たちは、「食」の「安全」と「安心」が同義ではなく、それぞれの意味を明らかにしつつ、「食の安全」は生産者と消費者が向き合うことから始まるということで、北海道の現場を取材した結果をまとめている〔PDF〕。というわけで、以下、「食」班の二人の学生に、この直言のために、北海道合宿と早稲田祭シンポ「私たちの食のゆくえ」についての文章を書いてもらった。
「食」班 北海道夏合宿・早稲田祭でのシンポジウムを終えて
1.北海道合宿
今回は北海道の第一次産業の中でも農業に、とりわけ「食育」や「地産地消」といった生産者・消費者間の相互理解を促進する取り組みに焦点をあてた。日本の食料基地とも呼ばれ、「食の安全・安心条例」を施行するなど食に関する取り組みが進んでいる北海道で、私たちと食とのつながり、農業の現状を知り、その上で日本の「食」と「農」のこれからを考えようと試み、行政、生産者(農家)、加工業者、小学校、NPO・消費者団体の各方面で活躍されている方々からお話を伺うことができた。
(1)私たちと「食」、「生産者」との関係
i いのちを奪って生きること
富良野のファームインに宿泊した翌朝、私たちは牛の乳搾りを体験し、そこでご主人から衝撃的な言葉を聞いた。「牛がお乳を出すのは出産直後に引き離された自分の子どもにお乳をあげていると錯覚するからだ」。牛は乳牛としての役目を終えると肉牛として出荷され、食卓のおかずになる。「食」とは元々いのちであり、それを奪いながらでないと生きられない人間。「食」とは何か、を見直す契機となった。
ii 「食べる人」「作る人」の関係性
夕張郡長沼町の有限会社メノビレッジ長沼では、CSA(Community Supported Agriculture:地域で支え合う農業)方式で有機農業を実践している。CSAとは同地域に住む農家と消費者が提携して農産物を直接受け渡しするシステムのことで、具体的には消費者が春先に一年分の代金を前払いして農家を支え、農家は農作物を還元する仕組みである。アメリカで始められたこのやり方は、30年前の日本の「産直提携」の考え方を起源とする。代表のエップ=レイモンド・荒谷明子ご夫妻にお話を伺うと、太らせるための飼料により牛の大腸菌が突然変異してO‐157を引き起こすことなどを例に挙げ、自然の限界を無視して効率性、低コスト、大量生産を追求する市場経済システムこそが「食」の安全・安心を脅かす原因だと指摘していた。
食品偽装の問題が取り沙汰されるたびに、ニュースは消費者目線で生産者を糾弾するフレーズを繰り返す。「食」の問題の背景に生産者の「食」の「安全」に対する意識の欠如があるのは間違いない。しかし問題の本質は「食」の「安心」にあるように思う。現代の食流通の仕組みがもたらしたのは食べる人と作る人の貨幣を介した不可視の上下関係だ。食べる人は対価としておいしく、安全に、美しく、安いものを求め、作る人はそれに縛られざるを得ない。両者の距離が開き、消費者の声に背くような供給システムが生まれてしまったとは考えられないか。生産者との関係性について、私たちはさらに学びを深めた。(2)農の多面的価値
私たちが合宿を通じて学んだことは、「農」が持つ価値は、単に「食」の供給源という以上に、実に多面的だということである。
「農」は「自然環境保護」や「観光資源」の観点から価値を有するばかりでなく、「教育・地域作り」の観点からも重要である。 札幌市立茨戸小学校では米作り体験を学習の一環とするが、小学校が地域と連携して行うこの行事を通じて子どもたちは「食」に感謝するようになった上に、地域の人々とも親しくなったという。親も子どもを通じて変化し始めた。「食」を通して、人と人とのつながりは生まれるという一例である。
そして「農」は、「国家の安全保障」の観点からも重要である。「食」は国のライフラインであるがゆえに、その政策と密接な関係を持つ。日本のアメリカ追随の姿勢の背景を「食」から考えると、新たな視点を得ることができるだろう。元北海道副知事の麻田信二さんは、日本の食料自給率について、近い将来世界中で食料争奪戦が起こることを考えると赤信号ラインであると言い、自給率の向上と「防衛意識」の大切さを唱えた。
9名の班員の多くが畑に入ったこともない都会っ子だったが、合宿では農業について各分野のプロからお話を伺うだけでなく、実際に野菜畑に入らせて頂くこともあった。私たちは五感を通じて、長年築き挙げられてきた人間の営みに触れ、改めて現代社会の歪さに気づかされたように思う。2.シンポジウム「私たちの食のゆくえ~日本の食と農を考える~」
<日時>2007年11月4日(日)14:00~16:30
<場所>早稲田大学 西早稲田キャンパス14号館102教室
<次第>
【第一部】 学生発表
【第二部】 有識者によるパネルディスカッション
コーディネーター:高野孟氏(「インサイダー」編集長、早大客員教授)
パネリスト:井尻弘氏((株)生産者連合デコポン代表取締役)
白石好孝氏(大泉風のがっこう校長、NPO畑の教室理事長)
堀口健治氏(早大政治経済学部教授)
谷津義男氏(自由民主党所属衆議院議員、元農林水産大臣)シンポジウムを終えて強く感じたことは、食や農について私たち一人ひとりが知ること・考えること・行動することの大切さである。
食べる人と作る人の距離が広がったと農家である白石好孝さんや井尻弘さんが仰っていたことが印象に残った。しかし、それは同時に作り手に無関心な都会に暮らす人々への落胆にも聞こえた。若者の農業離れの背景として農家の後継問題は一番大きな問題だろうが、現代の農業とのふれあい・つながりの希薄化も、消費者・生産者の関係を大きく変えてしまった要因ではないか。
しかし、学園祭という華やかなイベントの場ながらシンポジウムには多数の方にご来場頂き、更に若い来場者が多かったことに希望にも似た気持ちを持った。会場では、消費者も生産者と同じように、距離感を感じ現状を知りたいという思いがあると感じた。
また、政策の現場に精通した谷津義男議員や、農業経済に明るい堀口健治教授のお話で、マクロな視点で考えることの大切さを教えて頂いた。WTO農業交渉やFTA交渉と食や農の国際化が進む中で日本の農業がどのような方向に導かれていくのかということは、国民の消費活動や生活、考え方に左右されうるということも感じた。端的に言えば、「多少高くても、安全なもの」が良いのか、あるいは「とにかく安いもの」がいいのかということで、その選択が食や農の国際化を左右する一因になるということである。
2007年を象徴する漢字として選ばれた「偽」。投票数で続くのは「食」「嘘」「疑」と、安全・安心を謳うラベルの下のお粗末さが反映されているようだが、ラベルに踊らされずに見極める目を消費者である私たちが養うことの大切さを改めて感じる。研究や取材を重ねるにつれて強まっていった農業や食料に対する意識をこれからも頭の片隅に置き、新聞などのメディアで発信される情報はもちろん、食品を買う際、食べる際にも、想像力を働かせて「食の向こう側」を意識したい。むすび
憲法ゼミでなぜ「食」の研究?と思われた方も多いだろう。しかしここには一つの狙いがあった。私たちのゼミでは様々な社会問題について日々熱い議論を行っているが、「食」というテーマは、国のあり方を左右する大きな問題であって誰もが当事者性を免れないにも拘らず、あまりの身近さゆえに見過ごされてきたように思う。自分たちの暮らしを再認識・再考する機会として、法学生の私たちにこそ求められるものが「食」の問題にはあったと確信する。
文責:園田博之(10期生)、高柳亜美(9期生)
以上が、私のゼミ学生たちの「食」をめぐる取材とシンポジウムの報告である。彼らは北海道各地を取材しながら、農業関係者や農政に関わる人々から、「これは憲法の問題ではないのか」という指摘を受け、改めて勉強させられたと語っている。なぜ憲法ゼミが「食」なのか、という疑問は私自身も一貫してもってきたが、いま、彼らが取材した歩みをたどってみて、私自身も「食」と憲法の問題について改めて考えてみたいと思っている。有機農業の八木直樹氏の指摘にもあるように、「『食』なくして平和なし」なのだから。
なお、詳しくは、ゼミ生自主管理運営サイトの取材報告〔PDF〕とシンポジウム報告書〔Word〕を参照されたい。また、ゼミの12期生も、2年ゼミでこの問題を取り扱っている〔Word〕。