中央高速道路の須玉インターチェンジから清里方面に抜ける山梨県道28号線とレインボーライン(八ヶ岳広域農道)との交差点「石堂」の手前に、それはあった。物悲しい表情が周囲のススキや枯れ枝とマッチして、何ともいえない雰囲気を醸しだしている。選挙が終わってから5カ月以上も、雨にも負けず、風にも負けず、排気ガスにも耐えて、ずっと空を見つめていたのだろう。これを発見したのは、去年12月の最終週だった。車が通りすぎるだけで、誰も注目しない。わざわざ車を停めて撮影している私を除いては…。「平成の枯れススキ、安倍晋三」という言葉が頭をよぎった。
ところで最近、思わず「えっ!」と声が出てしまう映像をみた。一つは、新テロ特措法(補給支援法)が衆院再可決(憲法59条2項)により成立した1月11日夜の報道番組である。民主党の小沢一郎代表が採決直前に議場を退席して、大阪府知事選応援に向かったという、これまた仰天ニュースを伝えるなかで、何と安倍晋三氏へのインタビューの場面が出てきたのである。マスコミに久々登場した感のある安倍氏は、「(小沢代表は)結局、賛成したかったんじゃないですか?」と言い放った。聞いて思わずのけぞった。
小沢代表が、「総理をはじめ国務大臣は、全部本会議出席しているか?してないでしょ?…野党の私だと批判するの?」「(新テロ特措法は)国民にとっても民主党にとっても大事なものとは思っていない」(1月16日記者会見)などと居直っていることについては、その傲慢さにただ、ただ呆れるばかりだが、その小沢代表に向かって安倍氏が言い放った言葉は、呆れるを通り越して、怒りすら覚える。安倍氏のこの発言については、各紙一様に反応は冷たく、「あんただけには、いわれたくない」という夕刊紙の論調がひときわ目立った。
もう一つは、1月18日、第169回国会(常会)が、第168回国会(臨時会)の閉会後わずか3日(会期を2回も延長した結果だ)で開会した当日のことである。福田首相の施政方針演説のあとに、大田弘子経済財政大臣が経済演説を行ったのだが、そのなかで「日本はもはや経済一流と呼べない」と、日本経済の現状について異例の厳しい指摘をした。議場にどよめきが走った。
その模様を伝える夜の報道番組で、大田大臣の発言中、カメラは、議場の一番奥の席で薄ら笑いを浮かべる3人の政治家の姿をとらえていた。向かって左から安倍晋三、森喜朗、小泉純一郎の前・元首相たちである。森と小泉の両元首相は目を細め、隣同士で何やら話している。安倍前首相は、右手を壇上の方を指さすように差し出し、一人でなにやら叫んでいる。一瞬のニュース映像だったが、きわめて不快な気持ちになった。いまの日本の経済、社会、政治の惨憺たる状況を生み出した責任は、この3人の内閣に負うところがすこぶる大きい。にもかかわらず、あまりにも不真面目、あまりにも不誠実ではないか。
一部報道によると、安倍氏は「再登板」を狙って、政治活動を再開したそうである。すでに選挙区をまわり、後援会や支持者への「おわび」を終え、1月14日夜には、かつての「お友だち」の塩崎恭久前官房長官や菅義偉前総務相らと快気祝いの食事会を行ったという。「ジワジワと固まりつつある良質な保守基盤をさらに広げていくことが私の使命だと思っています。『美しい国』づくりはまだ始まったばかりですから」と述べるなど(「産経ニュース」2007年12月24日インタビュー)、その「政治的KY(空気がよめない)病」は重篤でさえある。
『毎日新聞』下関版(2007年1月27日付)には、「戦う政治家として再び全力を尽くす」という記事が掲載された。1月26日に地元・ 下関市などで新春の集いを開き、「戦う政治家」をアピールしたそうだ。祖父・岸信介(元首相)が戦犯として収容されていた「60年前、刑務所を釈放されて政治活動を再開したのがネズミ年だった。今年は同じ干支。私も政治家として新たな歩みを始める」と述べたという。政権を途中で放り出し、国政をストップさせた「政治的戦犯」安倍晋三が、この国を「戦争のできる国」にするために「戦う」。例えられたネズミもいい迷惑だろう。
なお、『週刊新潮』(2008年1月3/10日号)には、昭恵夫人がフォローにならない「特別手記」を寄せていた。せめて、もっと体調がひどかったと書けばよいものを、逆に政権投げ出しの理由にならないことがわかってしまうものだった。このことでさらに立場が悪くなると思いきや、この手記はさほど注目されなかった。正月を過ぎると、安倍氏は、世間の「忘却の速度」に甘えながら、上記のようにますます調子にのってくる。この「そろり再始動」に対しては、自民党内に「復帰は早すぎる」というまっとうな声もあるという(『東京新聞』2008年1月20日付)。
彼はもう「あのポスター」にいた頃の自分を忘れてしまったのだろうか。「一点の曇りもない」「必ずお約束を果たします」「職を賭す…」とまでいっていたのを、昨年9月12日、新テロ法案について小沢代表との党首会談を申し入れたが「会ってくれないから」との、「理由にならない理由」で所信表明演説をしたすぐあとに、総理大臣の職を放り出したことを。
安倍前首相の言動をみていると、この国の政治の水準の低さをつくづく感ずる。あのような形で首相を辞任し、その後の国政に重大な停滞と損害を与えた責任を少しでも感ずるのであれば、議員辞職すべきである。少なくとも、次回の総選挙に立候補すべきでない。「7.29」参院選の大敗で責任をとらずに「続投」を表明し、「9.12」になって突然政権を投げ出すという暴挙を行ってから、まだ半年もたっていない。安倍首相(当時)が病院に引きこもったあと、総理大臣臨時代理を置かず、次期首相選びの自民党総裁選をやって、9月の最も重要な時期に国会を空転させ、1日あたり数億円の税金を無駄に支出させた責任はどうなったのか。福田内閣が「生活者シフト」をとり、一見すると改憲が遠のいたかにみえる部分を「ジワジワと」引き戻し、改憲に向けて「保守基盤をさらに広げていくことが私の使命」と語る安倍氏。「『美しい国』づくりはまだ始まったばかり」と、自分のしたことに対する自覚はまったくない。
安倍氏が首相だった期間、官邸からの直接指示が与党国対に頻繁に飛び、国会は「表決堂」と化す異様な状況が続いた。その間に、教育基本法から「憲法改正国民投票法」まで、今後の日本に大きな影響を及ぼす重要な法案が、強行採決を多用して次々に成立させられていった。なかでも、「国民投票法」の附帯決議(18項目もある)は、立法史に残る汚点といえる。安倍内閣時代、立法府としての国会は大きく傷つけられた。そうしたことをすべてひっくるめ、なおかつ先の発言にみられる自覚のなさは、総理大臣職は無論のこと、国会議員の資質・資格すらないと判断されてしかるべきである。
思えば、「辞めるべき人」が辞めないで、「辞めるべきでない人」が勝手に辞めている。前者が安倍晋三氏だとすれば、後者は竹中平蔵氏だろう。竹中氏は、小泉内閣の最終段階で、総務大臣の地位にありながら、参議院議員を辞職して、政界から引退することを表明した(2006年9月15日)。『毎日新聞』9月16日付社説は、「竹中氏議員辞職、この転身はほめられない」と批判した。2004年参院選で72万票を獲得して国会議員として活動を始めたのに、任期を4年近く残して辞任。「小泉改革」の文字通り中核的人物であり、小泉内閣の終焉とともに、自分の活躍の場はもうないと踏んだのだろう。さっさと政界を去り、大学に戻ってしまった。「真相報道バンキシャ!」(日本テレビ系、日曜18時)のゲストコメンテーターとして、自分が関わった「改革」の悲惨なツケのような事件などについても、高見の見物のような発言を行っている。これも無責任の極みである。
そもそも国会議員の地位があまりに軽くなっているのではないか。昔は重かったというわけでもないが、しかし「あまりにも」という例が多すぎる。選挙区や公認をめぐる「小泉チルドレン」騒ぎは、有権者抜きの、あまりに低レヴェルな話なので、言及する気力もおきない。国会議員は「全国民の代表」(憲法43条)として、選出の仕方がどうあれ、トップ当選だろうと、最下位当選だろうと、議員となった瞬間から等しく「全国民の代表」となる。日々の食費の計算で苦慮している庶民の金銭感覚からすればかけ離れた額の歳費や各種収入もある。年間、一人あたり億単位の金を税金で支出しているのも、国会議員が大切な法律をつくる立法府の一員だからである。その自覚のない人物が多すぎるように思う。
国会議員が不祥事を起こすと、そんな議員は除名せよといった声も出てくるが、ことはそう簡単ではない。憲法58条は議院の自律権を定めており、その一環として、「議院の秩序をみだした議員」に対する懲罰権を各議院に与えている。懲罰のうちで最も重いのが、「除名」である(国会法122条4号)。出席議員の3分の2 以上の賛成で議員を除名できる(憲法58条2項)。国会議員には「免責特権」が認められていて(憲法51条)、議院で行った演説・討論・表決について「院外」で責任を問われないことになっているので、「院内」での行動については、自主的・自律的に厳しいルールを定めているわけである。除名を含む懲罰の対象となる行為は、院内での言動である点に注意したい。
懲罰事由には該当しないが、国会議員としての地位にとどまることがふさわしくないという場合には、辞職勧告決議が行われることがある。各議院の意思として、その院に所属する議員に対して議員を辞めるように勧告するものだ。議員に対して事実上圧力をかけるものとして批判する説もあるが(橋本公亘『国政と人権』有斐閣、1989年)、法的拘束力はなく、決議がなされても、議員は失職することはない。決議が可決されるには、その議員が所属する政党の議員たちも賛成するわけだから、同僚からの辞職勧告に、普通は辞職するだろう。
だが、これが辞めないのである。実際、オレンジ共済事件で起訴された友部達夫参院議員に対して辞職勧告決議が可決されたのが最初なのだが、友部議員は2001年に最高裁で有罪判決が確定して議員資格を失うまで、その地位にとどまった。その後、鈴木宗男、坂井隆憲、西村眞悟の各衆院議員に対しても辞職勧告決議が可決されたが、彼らはみな辞職を拒否している。
刑事責任の場合は、「疑わしきは被告人の利益に」ということで無罪推定原則が働くが、政治責任の場合は「疑わしきは政治家の不利益に」(杉原泰雄『国民代表の政治責任』岩波書店、1977年)とされる。疑惑を受けた政治家は自ら辞めるということで責任を果たす。安倍氏の場合は、体調不良で首相の職務を続けられないということを伏せて、小沢代表との党首会談が開けないことを直接の理由とした。健康問題は政治家の命取りである。健康問題を辞任時には言わなかった。能力や器はともかく、健康と気力の両面で、首相の任を全うできない人物であることがわかっていて首相の地位につけたとすれば、彼を首相にした人々の責任も問われてくる。耐震構造の偽装問題と同じく、困難な状況になれば政権を投げ出す政治家は、震度5で倒壊する可能性のあるマンションとそう大差ない。
そんな安倍晋三氏の「再登板」など、決してあってはならない。だが、前述のように、すでに「ジワジワ」と蠢動を開始している。彼は今後、130日ちょっとで辞職したもう一人のアベ首相(阿部信行)と同じような役回りを演ずるのだろうか。阿部元首相は、1942年2月、「翼賛政治体制協議会」会長に就任して、軍部と一体となった選挙を行い、日本政治の「死に水」をとることになった。二人の「アベ首相」の短命内閣とその後の役割が、歴史的共通事項として記録されないよう、安倍氏には即刻、政界から引退を願いたいものである。
なお、一昨日(2008年2月2日)その道路を通ったところ、雪のなかに安倍ポスターがまだあることを確認した。交通量が多く、また急いでいたので写真に撮ることはできなかった。「夏の参院選ポスターと雪」。枯れススキよりもインパクトは強い。
[付記]2月11日(月)午前10時30分~11時25分、テレビ朝日で、民間放送教育協会第22回受賞企画「失くした二つのリンゴ――日本と中国のはざまで 長谷川テルが遺したもの」が放映されます。企画段階から若干関わったので、是非ご覧にください。全国で放映時間が違いますので、放送時間は下記でご確認ください。
http://www.minkyo.or.jp/01/2008/01/002222.html