卒業生をおくる言葉(その2)  2008年3月24日

ラク戦争5周年である。昨年の今頃も書いたが、すでに120万人以上のイラク人が死亡したという報道もある(FR vom 20.3.07)。米兵の死者も4000人を超えた。赤十字国際委員会によれば、イラクでは2200人の医者と看護師が死亡し、34000人いた医師のうちの、少なくとも20000人が国を去ったという(Die Welt vom 19.3.07)。ブッシュ政権は戦争の正当性を主張するが、イラクは事実上分裂し、殺戮の連鎖のなかで数百万人が難民化している。一方、チベットでいま、たいへんなことが起きている。そのことは来週の直言で、「立憲主義と民主集中制」というアングルから触れることにしたい。国内でも、日銀総裁の空席が続くなど、国会が迷走している。書きたいことは山ほどあるが、時節がら、今回は、ややパーソナルな文章となることをお許しいただきたい 。

  明日、ゼミの10期生をおくる。今夜は「追コン」(卒業コンパを「追い出しコンパ」という)である。いま私のゼミ生は12期生までいる。9年前、水島ゼミ1期生の卒業にあたって、「卒業生をおくる言葉」をこの直言に出した。ドイツでの在外研究に出発する前日のことだった。今回、10期生の卒業にあたり、再び「卒業生をおくる言葉」(その2)をUPすることにしたい。なお、「その3」は20期生が卒業する2018年3月19日(月曜)を予定している。そして、「9.11」後に生まれ、2020年入学の「水島ゼミ26期生」の卒業を祝う直言「卒業生をおくる言葉」(その4・完)は、2024年3月25日(月曜)の卒業式当日(私の定年退職6日前)にUPしたいと思っている。もっとも、「グローバル化」の勘違い・お節介の影響で、大学に「9月入学」が定着してしまい、「桜の花」の季節の卒業・入学式という「文化」が失われている可能性がないとはいえないので、これはあくまでも予定であるが。

  10期生。卒業、おめでとう。
  「学生の真理探究の態度は多情でなくてはなりません。無節操でなくてはなりません」。これは1期生卒業の際の「直言」で引用した吉野作造の言葉である。いま、もう一度この言葉を噛みしめてみたい。
   学生とは、「学ぶ」に「生きる」人たちのこと。君たちは、好奇心と探究心をフル回転させて、一つの問題や分野にとらわれず、さまざまな問題に関心をもって積極的に向かっていった。あきれるほどに「多情」だった。そして、ゼミでの報告、合宿での取材のために、いろいろな場所に行き、そこに存在する問題と向き合って、憲法の観点から「探る」「調べる」「学ぶ」という「憲法るるぶ」を徹底して実践していった。それは、「無節操」ですらあった。本年1月のゼミで「原発と地方自治」の問題を報告するため、新潟県の柏崎市と刈羽村にまで取材に行き、徹夜でレジュメを作って報告した班があった。定期試験直前のゼミでは、「まとめ」の討論くらいで終わるのが通例なのに、地方の取材までして報告を準備した。卒業単位取得が危うい学生がいたにもかかわらず、である。

  思えば12年前。私が早稲田に着任したとき、学部誌「テーミス」の新任教員挨拶の末尾で、「早稲田大学法学部に沈殿せる、こだわりの人材の発見と育成に努めたい」と書いた。「沈殿」と書いたのは、いい成績を要領よくとって、試験に早く受かり、いいところに就職することが自己目的化されるような風潮のなか、きっと無骨に自分の道を歩もうとする学生がいるに違いないと信じての言葉だった。案の定、その年のゼミ募集では「こだわり」の人材が1期生としてゼミに入ってきた。そして、全国各地、さまざまな分野でがんばっている。ゼミでは、試験に役立つことは一切しない。むしろ逆のことをやっている。しかし、役にたたないが、ためになることを学ぶ。そのことは君たちも2年間で実感したことだろう。ゼミが「苗床」(セミナーリウム)に語源をもつ所以である

  この10年、とりわけ小泉「構造改革」以降、あわただしい「改革」の連鎖のなかに大学も巻き込まれた。世間の「常識」に過剰に迎合し、また競争のための競争に陥り、大学本来の性格や利点が失われつつある。あえて世間の「常識」からずれることで、目先の利益や要求にこだわらずに、ゆったりとした時間と雰囲気を大切にして、じっくり学び、問うという営みに邁進する。この研究・教育の空間は確実に変わりつつある
   全国の大学では、いま教員も職員も恒常的繁忙状態のなかにある。それによって失われていくもの(研究の時間と意欲とエネルギー)の大きさを思う。超多忙による知の衰退も危惧されている。職員の削減や外注による教育サービスの低下も大いに問題である。その結果、一番被害を受けるのは学生である。カリキュラム「改革」の連鎖のなかで、わがゼミの運営にもさまざまな支障が生まれた。10期生、特に執行部を担った諸君は、「3年卒業」に対応して、従来の「3・4年ゼミ」を2年後期から始めるという「改革」の痛みに耐えて、私に協力してそれを乗り切ってくれた。ついでにいえば、「3年卒業」は文科系にはいらない。法学部は人間教育の場でもあるからだ。

  こうした動きは、資格をとることに特化したシステムが大学のなかに持ち込まれたことに原因がある。いま、世間の「常識」が、大学の根本に関わる部分を変質させつつある。大学や学問の世界で、迅速性や効率性、採算性を突出させることで失われるものは、長期的にみると巨大である「人は単位のためにのみ学ぶにあらず」の思想は、どんな職業を選ぶにしても同じことだろう。10期生には、是非、この思いを胸に、新たな場所でがんばってほしいと思う。

  私は、大学4年間というのは、人生のうちで「壮大な無駄」を含む「起業の時」だといってきた。君たちが大学で過ごした4年間は、君たちの人生のなかで最も自由に学び、かつ問うことができた時間になることだろう。でも、どんなに勉強しても、調べても次々に疑問がわいてきて、大いに悩んだに違いない。勉強すればするほどわからなくなった。そんな体験も一度や二度ではないだろう。だが、「無知の知」こそ、発展の原動力である。4年生の最後に書き上げたゼミ論文を、自分と学問との出会いの出発点と位置づけ、これからも「学び」「問い」続けていってくれることを望む。

  社会に出れば、営業マンとして終電まで接待につきあい、駆け出し記者として支局デスクに怒鳴られながら、警察まわりをしたり……。給料をもらう生活というのは甘くない。無断欠勤や遅刻は許されない。学生時代のような朝昼食兼用で、午後から動き出すなんてあり得ない。その厳しさを、来月からいやというほど味わう人も多いだろう。学生時代の自由な雰囲気がいとおしく感じられるはずである。
   ゼミでは青臭い議論、泥臭い議論も無制限に可能だった。社会に出れば、「そもそも」といった言葉を使って上司に言い返すことなど許されない。大学では「そもそもの問題」に対して「そもそもの疑問」を提示することはあたり前だった。朝まで議論は続く。天下国家を論ずる。すべて自由だった。「損得勘定」なしに、「なぜ」と問い、「○○とは」と大上段に振りかぶる。その至福の時を思い出してほしい。

  ゼミの仲間は、個性的なメンバーによる、自由な知的共同体だった。ゼミの報告や合宿での取材のため、仲間と全力を出す。一つのテーマをみんなで力を合わせて追い求めるチーム・ワークの楽しさとその達成感を思い出してほしい。競争と最も無縁な世界のかけがえのない価値を、改めて認識することだろう。

  このゼミでは、出会いの大切さを君たち自身、06年沖縄合宿07年北海道合宿で体感した。君たちの先輩もまた、「出会いの最大瞬間風速」を、いまの生活のなかで実感しているはずである。私はただ、君たちがそうした出会いをするのを見守り、励ますことに徹した。自分で見つける喜びと達成感の邪魔をせぬよう。私の尊敬する指揮者・朝比奈隆は、若い人々をひたすら励ました(直言「指揮者と教師」)。教師も同じである。実は「教える」ことも「授ける」こともできない。できることはただ「励ます」ことである。
   君らが学ぶことに喜びを覚えるように、私もまた、君らが見つけてきた素材や情報から大いに学ばせてもらった。特に10期生は、すこぶるチャレンジングな期だった。合宿、取材、企画で、例年になく盛り沢山だった。合宿だけでなく、早稲田祭で大きなシンポをやったり、慶應大・小林節ゼミと2回の合同ゼミを開催するなど、私も驚くほどにたくさんの企画を成功させた。その意味でも、思い出に残る期である。

  卒業していく10期生の一人がメールをくれた。このゼミの特徴は、彼女の言葉によく表現されていると思う。「…ゼミ生は不器用で優しい人ばかりだということでした。だから、誰もが必死で傷つきながらも『社会』を直視している。そんな泥臭いながらも尊い空間で仲間と過ごした時間は生涯忘れません」。

  世間の荒波にもまれ、テンポが早すぎて息切れしたとき、ゼミの仲間とのことを思い出してほしい。きっと「心のエンジンブレーキ」の役回りをして、仕事で頑張ろうという気持ちが生まれてくるだろう。そして、いつでも(もちろんアポをとって)研究室を訪ねてほしい。私は怪しげなグッズで溢れる研究室にいるから。

  10期生。卒業、本当におめでとう。

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