イージス艦事故「中間報告」の感覚  2008年3月31日

上自衛隊のイージスシステム搭載ミサイル護衛艦(DDG)「あたご」が、新勝浦市漁協所属のマグロはえ縄漁船「清徳丸」に衝突し、乗組員親子が行方不明になってから7週間になる。この間、親族や漁協関係者の「温和な姿勢」もあって、人々の関心はかなり低くなっている。だが、吉清治夫さん、哲大さん親子は行方不明のままである。水深1840メートルの海底で見つかった、「清徳丸」と手書きされた赤い旗の写真が目に焼きついている。

  私は、事故の翌々日に「緊急直言 イージス艦、漁船轟沈」を出すとともに、NHKラジオ第一放送「新聞を読んで」でもトップ項目「イージス艦が漁船に衝突した事故、その後」で取り上げた。3月25日のNHKラジオ「あさいちばん」のニュースアップ「イージス艦事故から1カ月」でも8分ほど話した。今回の直言では、3月21日に防衛省が公表した「イージス艦事故中間報告」(3月21日付夕刊各紙)を素材に、その後の問題点について指摘しておこう。まずは、一見本筋とは関係ないようにみえる、ある交通事故の話から始めることにする。


   国道128号の交差点(千葉県勝浦市墨名)で、黒塗りの高級車が右折しようとして、対向車線を直進してきた軽乗用車と衝突した。イージス艦事件の2日後のことである。この日、石破茂防衛大臣は、漁船が所属する勝浦漁協川津支所に謝罪に訪れるところだった。4996ccないし4494ccクラスの高級車の側面に、660ccの軽自動車が衝突した。幸い双方にけが人は出なかった。この交通事故について、『東京新聞』2月22日付が比較的詳しく書いたほかは、ほとんどベタ記事扱いだった。防衛大臣が謝罪の場に遅刻し、しかも大臣公用車ではなく、マイクロバスから降り立ったので、その理由として簡単に触れた局があった程度である。勝浦署がこの件をどのように処理したかを含めて、この「小さな事故」についての続報はなかった。

  先導車に続いて右折しようとした大臣公用車の運転手は、軽自動車が速度を落とすと思ったのだろう。だが、その見込みは甘かった。軽自動車の女性も、まさか2台続けて右折してくるとは思わず、2台目は停止するという見込みで減速しないで交差点に入ったようである。もし先導車が赤色灯をつけ、サイレンを鳴らして、エスコートする後続車を優先右折させる意思表示を行っていたら、軽自動車は速度を落としたであろう。だが、乗用車2台が交差点で右折のウインカーを出しているという、ごく日常的な交差点風景では、1台目が行っても、2台目がまさか突然右折してくるとは、その女性は思わなかったに違いない。突然目の前に黒塗りがあらわれ、ブレーキを踏んだが間に合わず…、という状況と推測される。女性も、交差点に入るとき、「右折する車両等…に注意し、かつ、できる限り安全な速度と方法で進行」する義務との関係で、問題がないとはいえない(道路交通法36条4項)。だが、何よりも、交差点を右折する車は、当該交差点を直進する車両の進行を妨害してはならない(同 37条)。主たる責任は、無理な右折をした大臣公用車の運転手にある。
   この館山航空基地所属の海上自衛官は、大臣を乗せているという「誇り」と「おごり」から、民間の自動車の方が減速すべきだという傲慢な意識と態度がなかったとはいえまい。一方、女性にとっては、地元の通いなれた道で、いつもの交差点という日常のなかに、突然、大臣公用車という非日常的存在が目の前に迫ってきたわけである。勝浦市内の交差点で起きた「小さな事故」は、その沖合で起きた事故と構造的に似通った面をもっている。


   2月19日午前4時7分の事故も、漁民たちが漁船を繰り出す日常的な「生活の海」に、巨大な「非日常」が突然あらわれたことによって引き起こされた。あの日、ハワイから現場海域に向かっていた「あたご」は自動操舵だった。これがすべてを象徴している。過密交差点のような海域に向かう船のすることではなかった。
   事故直後の記者会見で、海幕防衛部長の河野克俊海将補は、「漁船発見は2分前」と発表し、その後「12分前」に変更するという重大な事柄を、なぜか笑みを浮かべながら語っていた。何とも場違いな印象を与えた。そして、河野防衛部長は、自動操舵について問われて、「あの海域で自動操舵することが許されるかどうかではなく、適切だったのかが問題だ」と答えた。自動操舵それ自体は間違いではない、といいたかったのだろう。だが、東京湾の水先案内人協会会長は、「あれだけの船のラッシュの海域で自動操舵はそもそもの間違い」と指摘していた(2月21日TBSニュース)。
   先の「緊急直言」で指摘したように、海上衝突予防法15条は、「二隻の動力船が互いに進路を横切る場合において衝突するおそれがあるときは、他の動力船を右舷側に見る動力船は、当該他の動力船の進路を避けなければならない」と定める。「他の動力船の進路を避けなければならない動力船」のことを「避航船」といい、「当該他の動力船から十分に遠ざかるため、できる限り早期に、かつ、大幅に動作をとらなければならない」(同法16条)。今回の「中間報告」で防衛省は、30分以上前に漁船を認識していたことを初めて明らかにした。自動操舵で進行を続け、30分以上前に漁船を右舷側に見たにもかかわらず、何もしなかった。これは、同法16条にいう「できる限り早期」に「大幅に動作」をとるということを怠ったものである。イージス艦は、こうした回避行動をとることを最初から念頭においていない。民間船が避けるのが当然という厚顔無恥さを示すものだろう。ここには、あの新勝浦漁港の漁業長や同僚船員たちが示したような「海の男」として備わったプロ意識、厳しさや愛情とは異なる、「海の官僚主義」も浮き彫りになっている。

  河野海将補は、前職の佐世保総監部幕僚長の前に、「あたご」が所属する第3護衛隊群司令をつとめ、インド洋派遣の指揮をとっている。2001年の「9.11」のときは海幕防衛課長(一海佐)として、米国のご機嫌をとるべく、艦艇派遣のため積極的に動いた過去がある(『朝日新聞』2004年6月2日付)。防衛課長・部長経験者なので、次の人事では海将に昇格。どこかの総監になり、やがては海幕長となるトップエリートである。ほぼ同期の横須賀総監部幕僚長の山崎郁夫海将補は、吉清さんの親族に対して、「報道陣が大勢待ち構えていますが、取材に応じることなく無視してください」といった(『読売新聞』2月21日付)。海の「唯我独尊」を象徴する言葉である。これら海自エリートたちを観察して思うことは、「使命感」がずれていることである。
   海自は米海軍の一部のように、1950年代から身も心も米国モードで育てられてきた。だから、「何を守るのか」をめぐる感性が微妙に異なる。とりわけイージス艦の運用は、いま、弾道ミサイル防衛(BND)のミッドコース段階を担う海上配備型迎撃ミサイルSM3を使って、まさに米国の核戦略の不可欠の構成部分になっている。彼らの視点は、「専守防衛」的な「単純な」所にはもうない。「国際貢献」と「日米同盟」を担うという自信と自負の結果、いきおい目線は高く、足元は見えなくなる。「周囲をチョロチョロする漁船」に「人」が乗っているリアリティをもたないほどのおごりが生じてはいないか。

  そもそも「あたご」は舞鶴の第3護衛隊群第63護衛隊所属である。日本海側の舞鶴港に帰投する艦が、なぜ横須賀に向かっていたのか。それは、ハワイ沖で、米海軍が発射した標的用ミサイル(MRT)を探知、追尾して、SM3で撃墜する実験を「成功」させた「凱旋帰国」の途中だったからである。米海軍の「厳しい採点」をクリアしたという喜びと「達成感」で、「祝杯」をあげていたとしても不思議はない。あとは海自横須賀基地に着いて、海幕長らの出迎えを受け、海自幹部からほめられたい、その一途だったのだろう。横須賀基地に接岸する予定時刻が午前8時。幹部たちが待ち構える場所に定刻に艦をつけるか。当直士官の頭は、そのことでいっぱいだったに違いない。晴れ舞台までの一眠り。艦長の舩渡健一等海佐が仮眠中だったことは事故当初から怒りをかった。艦長の認識は、「現場海域にそんなに多くの漁船がいるとは思わなかった」(2月28日付夕刊各紙)というお粗末なもの。艦長がこの程度の認識だから、当直士官や見張り員も含めて、舞鶴に向かってのんびり帰投する感覚で東京湾に入ってきたものと思われる。

  野島崎沖は船舶の過密海域として知られ、関門海峡や瀬戸内海と並ぶ危険箇所として有名である。漁船や貨物船が行き交う危険な海域に接近する当日午前3時くらいの段階で、艦長自らが部下を集めて、「これより船舶の多い海域に入る。横須賀までわずかだ。『九十九里をもって半ばとする』。気を引き締めて進め」と訓示して、率先垂範、艦長自らが真剣に海上を見つめる姿勢を示しておれば、見張り員にも気合が入り、「あたご」は細心の注意をもって横須賀に向かったことだろう。おそらく事故もなかったに違いない。だが、事態はまったく逆だった。

  いつ「清徳丸」を認識していたのかについて、防衛省・海自の説明は、当初の「2分前」から「12分前」へと二転三転し、ついには「30分以上前」に認識していたことが今回示された。3月21日の「中間報告」は、あっけにとられるほどのんびりした艦橋のやりとりを記録している(『朝日新聞』3月21日付夕刊ほか)。これがすべてかどうかはわからないが、少なくとも「中間報告」からみえるのは、艦長を先頭に、弛緩しきった「あたご」の当事者たちの姿である。
   「午前3時半ごろ。前の当直員Aが、右30度の水平線上に白灯を確認し、当直士官に報告」とある。そこで何の行動もとらず、漫然と自動操舵で前進を続け、4時6分に当直士官が「この漁船近いなあ」と発言。当直員Eが「近い近い」と右舷ウィングに出ようとする、とある。そして衝突の1分前に、当直士官が「両舷停止、自動操舵やめ」、続いて「両舷後進いっぱい」を下命するも間に合わず、4時7分、清徳丸に衝突する。

  生きた人間の乗る漁船を引き裂くという、とてつもない暴力性は、その7750トンの鉄の塊の動きを一身に担う当直士官(水雷長)の、「この漁船近いなあ」という間延びした言葉に集中的に表現されている。加えて、4時前から通り雨が降ったので、艦橋外に左右1人ずつ配置される見張り員は、艦橋内の窓越しに見張るという手抜きをやっていた。ガラスに光が反射して、小さな船の灯を見落とす可能性は高い。見張り員は目と耳と全身を使って、どのような動きもキャッチするように訓練されている。窓越しという手抜きを認めた責任は大きい。緊張感の弛緩は著しい。
   さらに、水上レーダーのモニターは艦橋以外に、艦橋下の戦闘指揮所(CIC)に2台あり、当直7人が監視する。だが、ここでも手抜きが起こり、1台のレーダーには常駐の監視員がいなかったという(『毎日新聞』2008年3月22日)。この「中間報告」から見えてくるのは、14DDG(平成14年ミサイル搭載護衛艦)として1453億円の巨費を投じても、それをなぜこの国が保有するのかを曖昧にしたまま、いつの間にか米国の戦略に組み込まれ、その不可欠の構成部分になってしまっている「弛緩した現実」である。

  そうしたなか、石破防衛大臣は、「あたご」事件と護衛艦「しらね」の火災、イージス艦の重要秘密の漏洩事件の3件にわたる海自の不祥事を受けて、海自トップの吉川栄治海幕長の更迭をはじめとする、88人の処分を行った。海幕長はこの3月末で勇退予定だったから、吉川氏は勇退を10日ほど早めただけで、「更迭」と呼べるほどのものではない。大臣自らも10分の1の2カ月を国庫に返納した。ちなみに、制服組トップの統幕長は、減給30分の1、1カ月である(『東京新聞』3月21日付夕刊)。制服のトップとして指導力を発揮すべく、事件発生直後に「あたご」の当直士官を呼んだのだが、途中で吉川海幕長が呼んだことに訂正されたとして、統幕長の「責任逃れ」を指摘する記者もいる(『週刊文春』3月13日号)。
   88人の「大量」処分に見えるが、「あたご」関係は7人にすぎない。不祥事3件の処分をこのタイミングでまとめて行ったことは、「『在庫一掃』によって処分規模を膨らませたようにも見える」「吉川氏を更迭した形にするため、駆け込みでこの時期を選んだとの推定が成り立たないか」(『毎日新聞』3月22日付社説)とされる所以である。

  吉清さん親子が依然として行方不明というなか、責任の所在もまた行方不明になろうとしている。海難事故の場合、海上保安庁の捜査と並んで、国土交通省の外局である海難審判理事所の調査が行われる。前者は業務上過失往来危険容疑などの刑事責任追及で、海保が立件すれば検察に送検され、起訴・公判という流れになる。後者は、原因究明と再発防止を目的とした調査で、地方海難審判庁に海難審判を申し立てる。海難審判では、海難審判庁が業務停止などの行政処分や「勧告」を裁決する。今後、こうした場での議論に関心が移るが、しかし、このイージス艦事故の本質的な問題性からは遠ざかっていくように思える。おりしも、先々週の3月13日、1400億円の巨費を投じ、三菱重工長崎造船所で引渡式をおえたイージス艦6番艦「あしがら」が、佐世保基地(第2護衛隊群)に配備された。

  日本は、米国に次ぐ保有数の「イージス艦大国」となった。この事件をしっかり記憶にとどめ、まだ明らかになっていない事実や情報を、国会やメディアが明らかにしていくことが必要である。同時に、いつまでも「テポドンがくる」という思考の惰性のなかで、貴重な税金をこのような「過剰装備」に使い続けるのか。「誰が」「何を」「何に対して」「どのように」「どの程度」守るのかという安全保障の基本問題を、憲法を基軸に据え、しっかり議論することである。「某(米)国のイージス」が市民を危険にさらした(行方不明にさせた)この事件を契機に、より本質的な議論が求められている


【付記】今週予定していた「直言」は、次回にUPします。

【追記/4月3日】『朝雲』2008年3月27日付の海自高級幹部異動を見ると、海幕防衛部長の河野克俊海将補は、3月21日付で掃海隊群司令に異動したことがわかった。吉川栄治海幕長が退職し、後任に赤星慶治佐世保総監がなった。その玉突きで、舞鶴総監に方志春亀佐世保幕僚長が、佐世保幕僚長には柴田雅裕掃海隊群司令が動いた。佐世保幕僚長から海幕防衛部長となった河野氏が掃海隊群司令となったことは、明らかに降格人事である。一般の人にはほとんど気づかれないような形で、責任は曖昧にされていく。

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