後期高齢者医療制度の作られ方  2008年6月16日

月14日、岩手・宮城内陸地震が起きた。1カ月前に中国の四川大地震が起きたばかりである。被害にあわれた方面の皆様にお見舞い申し上げたい。それにしても、大災害が起きた時いつも思う。なぜ、トップの顔が見えないのか。首相が言葉を発する。少なくとも先頭に立つ姿勢を示す。それがない。土砂に押し流された建物を、報道各社がヘリを飛ばして上空から撮影するが、救助ヘリが直ちに現場に入って救助するシーンは1日たっても見えない。もちろん、現場の状況は複雑なのだろうが、災害発生後の「力の集中」がまだ足りない。総合調整が必要なのが大災害であり、そこにトップの存在意義がある。新潟県中越地震のとき、「『危機』における指導者の言葉と所作」を書いたので参照されたい

  さて、2年前の同じ6月14日、医療制度改革関連法が成立した。そこには、老人保健法の名称を「高齢者の医療の確保に関する法律」に改め、「後期高齢者医療制度」を導入して、2年後に施行するという「時限爆弾」が仕掛けられていた。その時点で、高齢者を含めて、これに反対する声は目立たなかった。

  従来、老人保健制度は、国や自治体、健康保険等(共済組合、健康保険組合等々)の拠出金によって運営されてきた。高齢化が進み、高齢者医療費の増大による財政負担を抑制するということを最大の狙いとして、この制度が考え出されたわけである。
   老人保健制度が、国保や健保などの医療保険に加入しながら運用されてきたのに対して、この仕組みは、75歳以上を「後期高齢者」と定義づけ、独立した医療保険制度とする点に特徴がある。この制度の設計にあたった人々は、高齢者医療費を抑制するという目的に対して、これが合理的な解決法であると考えたに違いない。実際、老人保健制度では、医療費のかさむ高齢者の分を、現役世代がどれだけ負担しているのかが見えにくかった。新制度は、高齢者自身の負担分1割、税金で5割、現役世代からの支援で4割をまかなう仕組みのため、高齢者医療が見えない形で現役世代を圧迫する心配はなくなると考えたのだろう。そして、医療費がかさむ75歳以上の高齢者を切り離し、年金からの「天引き」などによる現実的負担感を与えることで、「無駄な病院通い」を心理的におさえて、医療費の増大を抑制しようと考えたわけである。だが、結果として、この制度は、高齢者に対する冷たい仕打ちと受け取られた。75歳の誕生日になった途端、家族の扶養から外されるという心理的孤立感(これは「丁寧に」説明しても、解消しない側面をもつ)、保健料の徴収方法としての「年金天引き」、さらに「末期高齢者」や「終末期高齢者」を連想させるネーミングも嫌われた。

  4月15日の夕刊各紙の見出しは、制度始動当日の光景を伝えている。「年金天引き832万人」「苦情相次ぐ」等々。年金からの「天引き」という手法が圧倒的不評をかってしまった。「消えた年金」問題がまったく解決しないなかで、年金からの徴収という仕組みは、火に 油 を注ぐ結果となった。
   福田首相は、直前になって、駆け込み的に「長寿医療制度」という名称変更を試みたが、まったく逆効果になった。施行まで2年もあったのに、フタを開けてから、なぜこんな迷走を続けるのだろう。それは、医療費を抑制することを最大の目的として制度を立ち上げ、それに必要な情報や推計などをすべて官僚まかせてにして、政治が、実際に適用されたらどうなるのかを想像して、バランスのよい制度に練り上げることを怠ったからである。高齢化のなかで、医療制度を改革する必要性は誰しも認める。だが、高齢者医療の抑制という目的を突出させたものが、そのまま成立してしまったわけである。学校秀才の優秀な官僚たちが、これならうまくいくと本気で考えたのだろう。「無邪気ゆえに危ういエリートたち」が設計したものを、そのまま走らせる。かつてなら、評価は別にして、自民党内の政策調整機能がそれなりに働いていた。郵政民営化のときに「ぶっ壊された」ものは、さまざまなところに及んでいる。

  「改革には痛みを伴う」。小泉首相の言葉にうなずきながら、彼を支持していた人々も、自らがその「痛み」を受ける段になって気づきはじめた。「痛み」を感じているのは、現場の医師も同じである。東京都医師会は、膨大な宣言広告費を使って、「東京宣言」と題する、まるまる1頁を使った意見広告を出した(『読売新聞』5月14日付など)。
   「私たち東京都医師会は、75歳以上の患者さんたちの医療制度が変わっても、今までと同じ医療を提供することを、ここに宣言します」とある。「制度に関する不具合は、私たちも日本医師会を通じて国とちゃんと交渉します」とも書いている。医師会も、後期高齢者医療制度を批判するに至り、与党もさまざまな緩和措置などを「逐次投入」して、結局当初導入しようとした狙いと一貫性が失われつつある。制度の作り方としては最悪の構図である。なぜ、こんなことになるのか。この制度のもつ問題点について、国会でどこまで審議されていたのだろうか。衆議院厚生労働委員会での法案採決当日と、参議院本会議での可決・成立の場面に限定してみておこう。

  2006年5月17日。この制度は、衆院厚労委において強行採決された。「もっと審議を」という声は押しつぶされた。当時、高齢者の負担で医療費の抑制をはかる制度設計に、野党はこぞって反対していた。「とにかく法案を通せばいい。中身も分かっていないけど通しておけばいいと、こんな程度の話だ。ひどいこれは」。採決直後、仙谷由人・民主党前政調会長のコメントである。実際、どうだったのか。国会の会議録検索システムで調べると、質問と答弁の全体を知ることができる。これを参考にして、当日の風景を再現してみよう。

  9時23分開議。審議は、医療改革関連法のすべてにわたっていた。後期高齢者医療制度については、救急医療の問題など、たくさんの問題の一つとして扱われていた。審議の中身もずいぶん杜撰だった。小泉純一郎首相は、民主党の古川元久議員の質問に対して、はぐらかすような答弁に終始した。
   例えば、古川議員は、医療費抑制をいうのならば、医療費推計の仕方が問われると追及した。1994年段階で、2025年の医療費推計が141兆円だったが、2000年には81兆円、2005年には65兆円まで下がってきている。医療改革をやれば、2025年に56兆円になるはずの医療給付費が、49兆円まで7兆円減らせると政府は主張する。そこで古川議員は、そうした推計の仕方について質問した。ところが、小泉首相は、「推計は専門家に任せることにしています」と突き放した。そして首相は、こう言い放ったのである

  「高校のときには微分積分をやりましたけど、今はもうすっかり忘れていますね。足し算、引き算、割り算くらいはできるかな。しかし、連立方程式ももう覚えているかどうかわからない。政界の連立方程式も難しいようだけども。しかし、そういう数字の突き合わせという点については、私は自分ではやる気もないし、する必要もないと思っています。…私より優秀な方々がたくさん周りにおられますから、そういう方々の、専門家の意見を尊重して、私よりもできる人にお任せして…」

  医療費の抑制をいうならば、どのように医療費が増えていくのかなどの推計が決定的に重要である。だが、小泉首相はその点について、官僚の計算をそのまま採用すると宣言したのである。
   後期高齢者医療制度それ自体についても、突っ込んだ質疑がない。この日、最後の質問者である社民党の阿部知子議員は、「何となく委員会が不穏な気配でございます」という言葉で質問を始めている。与野党の応援議員や秘書が強行採決にそなえてスタンバイしている様子がうかがえる。阿部議員は、後期高齢者医療制度について、制限時間ギリギリまで必死に食い下がった。

阿部議員: …これからは、75歳以上の方で年金が18万円の方は天引きだそうです。それ以下の方は普通徴収だそうです。果して総理、18万円以下の方で、普通徴収の紙が回ってきます。払えない方が発生したら、その方は無保険者になりますよね。この認識はお持ちですか。あるかないかだけ答えてください。

小泉首相: 保険証は皆に行きますから、無保険者にはならないはずです。

阿部議員: そんな認識で総理大臣では困るんです。…資格証明という形で、かわってそれが送られるんですよ。だからこそこれだけたくさんの無保険者が発生しているんです。…そんな方たちが病院に来たとき、果して病院は、治療を断ることができません。どんな方も、それこそ私たちはいつでもだれでもどこでも受け入れて、患者さんの御病気に対して誠心誠意働いてきました。そして、今、その病院自身が多額の未収金に泣いています。…。

小泉首相: できるだけ保険料を納めやすくする措置を今後も講じていきたいと思っております。

  小児科医でもある阿部議員の質問には、自らの体験に基づく危機感がにじみでている。悲しいかな少数会派の質問時間は15分。それでも、最後まで必死に食い下がる。だが、議論は完全にすれ違っている。委員長は時間切れのため発言をやめるように通告。阿部議員はやめない。「だって、この法律が通ったら、平成20年度から高齢者医療制度は始まるんですよ。今検討していただかなければ困るんです。法律の通過に私たちはイエスを言えないんですよ。だから、総理に伺っています」。そして、川崎二郎厚生労働大臣がかわりに答弁に立ち、「後期高齢者医療につきましては、基本的には介護保険と同じスキームでございますから。介護保険の徴収率は98%でございます」と述べ、支払い猶予になるような人は2%程度と答弁する。阿部議員がさらに食い下がると、厚労大臣は「アバウトな数字しか」と答弁する。議員は納得せず、無保険者になる可能性について追及するが、審議打ち切り。採決動議が出る。採決。
   議事録には、「聴取不能」の文字が踊る。午後零時28分散会。採決された法案名まで「聴取不能」となっている。これが、後期高齢者医療制度が決まった委員会の姿だった。参議院でも同じことが繰り返された。

  2006年6月14日の参議院本会議。午前10時2分開議。山下英利厚生労働委員長の報告。民主党の足立信也議員の反対討論。足立議員はまず、厚生労働委員会の強行採決に抗議。審議時間が32時間しかなく、介護保健法改正案の232時間、障害者自立支援法の201時間と比べても格段に少ないことを指摘しながら、厚生労働委員長の議事運営を厳しく批判。そしてこう指摘した

  「後期高齢者医療制度の根幹に医療費適正計画の策定、実行、評価のプロセスが組み込まれていることが、ある意味、最大の問題であると言えます。…高齢者にも原則として若年の現役並みの自己負担と、加えて療養病床における居住費、食費の自己負担を求めるなど、高齢者及び家庭を直撃する内容です。…一人一人の状態に合わせ、自己決定に基づいたテーラードメディシンが世界共通の言葉となった今日、高齢者にふさわしい言葉で望む医療が受けられなくなることを断じて容認するわけにはいきません。…」

  質疑はこれのみで、直ちに採決に入り、法案は可決、成立した。10時39分散会。『読売新聞』の当日の夕刊の解説には、「医療費抑制し、持続可能な制度目指す」という見出しで、「少子高齢化が進む一方で、国の財政再建が大きな課題となる中、医療費膨張の主因とされる高齢者を対象に医療制度を見なおすことで、持続可能な制度に改めることが狙いだ。…厚生労働省は、同法に沿った高齢者への負担増などで、同年度の給付費は48兆円に抑制できるとしている」と。いまからみれば、何とも無批判な解説であった。そして、これが2年後の、2008年4月15日に向けて、「時限爆弾」となったわけである。

   手遅れにならないために、やるべきときにやる、いうべきときにいう、反対すべきときに反対する。制度発足のときにあわてるのではなく、それが作られるときにもっと問題にしておくことが求められる。11年前に介護保険が発足するとき、その制度設計の基本に国の負担の軽減があった。この「直言」でも、その点を批判して、「これからの『豊かさ』と『平和』の指標は、高齢者の扱いの問題である」と書いた。人生の大先輩に「長生きしてはいけないということね」といわせてしまう制度を作った政府は、高裁に違憲といわれたイラク派遣を続けるなど、「平和の創り方」の問題でも、日本国憲法に反する実践を繰り返している。

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