今日は何の日か。48年前、日米安全保障条約が発効した日である。この条約は1960年1月19日に調印されたが、国会での承認手続は、衆議院が強行採決だったため、参議院での審議はストップ。結局6月19日に「自然承認」となり、21日の持ち回り閣議で批准を決定。23日に発効した。条約承認については、参院が30日以内に議決しないときは、衆院の議決が「国会の議決」となる(憲法61条)。日米安保条約は、国民主権に基づく国民代表によって構成される国会の、その二つの院のうちの一方だけの承認しか得られないで発効したのである。「沖縄県慰霊の日」でもあるこの日に改めてそのことを想起しておくことは意味があろう。
ところで、1959年3月30日、東京地裁は、旧日米安保条約に基づく米軍駐留を憲法違反とする判決を出した(砂川事件判決)。新安保条約の締結を控えていたため、マッカーサー駐日大使は短期間にこれをつぶそうと工作した。最近、この事実が米側資料により明らかとなった。マッカーサー大使は、外務大臣には、最高裁への跳躍上告によって早期に結論を出すことを指示し、最高裁長官との秘密会談では、長官に、「少なくとも数カ月」で結論に至るといわしめた。上訴や判決期日の問題にまで強引に介入して、新日米安保条約締結への障害を除去しようとしたわけである。
日米安保条約は、日米関係において軍事面のみを突出させた、実に不自然な条約といえる。例えば、第6条には、基地の置くことに対する制限はなく、「全土基地方式」を採用している。独立主権国家のはずの日本のどこにでも、条約上は、米軍基地を置くことができる。また、6条には、米国が日本国内の米軍基地を使用する許可条件が記載されている。基地すなわち「日本国の安全に寄与し、並びに極東における国際の平和及び安全の維持に寄与するため」である。「極東」とはどの範囲か。当時の政府答弁は、フィリピン以北、グァム以西としていた。だが、在日米軍基地を使った米軍の作戦は、アジア・太平洋地域のみならず、中東全域にわたっている。6条に基づく在日米軍基地の使用目的は明らかに拡大している。そして、条約上、本来米側が負担すべきものまでも、「思いやり予算」によって日本側が過剰に負担する構造が長期にわたり続いている。安保条約には、国の対外的独立性、国家主権という観点からも本質的な欠陥があることを知るべきである。
さて、安保条約の本文が48年間まったく無修正だとしても、現実の方はすさまじいばかりの変容を続けている。米軍再編は、在日米軍基地の配置や米軍の組織・運用などを、全体としてグローバル仕様に転換しようとするものである。東京近郊に、米国の陸軍(座間)、海軍(横須賀)、空軍(横田)の司令部が置かれている。その機能はかつてないほどに強化され、アジア・中東を含む地球の半分をカバーする軍事拠点はここに集中している。これは、米国のグローバル戦略に基づく再編であり、「日米」安保条約の枠内にとどまるものではない。もはや「日米」安保体制とはいえない。実質的には「グローバル」安保体制となっている(森英樹・渡辺治・水島朝穂編『グローバル安保体制が動きだす』日本評論社、1998年参照)。「日米安保条約の半世紀」を再来年に控えて、この条約の改廃を含めた、根本的な議論が必要だろう。
なお、米軍再編の狙いや米軍基地の変化についてはすでに書いたが、その負担は、米軍基地の所在する自治体と住民にさらに重くのしかかってきている。とりわけ沖縄と岩国の負担は重い。
先週の金曜日(6月20日)、憲法再生フォーラム公開講演会「沖縄・岩国で何が起きているか――日米軍事一体化と基地強化」に参加した〔PDF〕。講演者は、『沖縄基地問題の歴史』の著者の明田川融氏(法政大学講師)と前岩国市長の井原勝介氏である。シンポジウムには私も加わり、憲法再生フォーラム事務局長の杉田敦氏(法政大学教授)が知的好奇心をかきたてる司会をして、議論を仕切った。
明田川氏の話は、歴史研究者として資料に裏付けられた興味深いものだった。明田川氏の話は、憲法9条の平和主義と沖縄の要塞化の関係や、沖縄の残存(潜在)主権をめぐる米側の事情、さらには最近の沖縄米軍基地の状況についても具体的に触れながら、米国が沖縄の基地を使用してきた背後にあるダイナミズムをえぐりだしていく。
続いて、前岩国市長の井原氏は、岩国基地をめぐる状況を生々しく、しかし誠実に語った。岩国の住民投票とその意義については、この直言でも書いている。その後、住民投票の結果を受けて、井原市長は米軍海軍艦載機59機の受け入れを拒否した。それに対する国の陰湿な圧力の結果、井原市長は辞任して、市長選で民意を問うことを決断する。だが、今年2月の市長選挙では、井原氏は僅差で落選する。このことについて、私は、NHKラジオ「あさいちばん」のニュースレーダーで解説した(2月12日午前7時18分)。この選挙では、「小泉チルドレン」の37歳の衆院議員が当選した。次期衆院選では当選の見込みなしとされていたので、「わたりに船」だったようである。
井原氏によれば、選挙前から国・県による圧力はすさまじかったという。話を聞くと公職選挙法違反が疑われるような例もあり、そうした選挙が行われた結果、「小泉チルドレン」の前代議士が当選。すぐに米軍艦載機受け入れを表明した。
基地というものは、大量の補助金がくることもあって、自治体にとっては「麻薬」のように機能する。「夕張再生、次は陸自誘致案――旧炭鉱住宅で対テロ訓練」。この見出しは、『朝日新聞』東京本社版に載ったものである。「行政再建団体の夕張市で、地元の夕張商工会議所が、自衛隊の訓練施設誘致を構想しているという。老朽化して処分に困っている旧炭鉱住宅などをそのまま提供し、対テロ市街戦を想定した訓練に使ってもらうという考えだ。住民の間には、『高齢化率が4割を超える静かな街に市街戦の訓練は似合わない』という反発もある。同会議所は、これまで、カジノ、刑務所、放射性廃棄物処理施設などの誘致も検討してきた。すでに陸自には構想を伝えており、6月には地元で誘致期成会を作りたいという」(『朝日新聞』 2008年5月25日付)。
余談だが、仮に「沖縄・米軍基地の夕張移設」という提案を夕張がしても、それは米軍からすれば、数十年遅いということになろう。冷戦盛期ならばともかく、現在の米軍事戦略の重点配置では、夕張は北すぎる。だが、今後、何が起こるかわからない。将来的に「夕張に米軍基地」という可能性も排除できないのが、日米安保条約の「全土基地方式」なのである。
さて、現在、政府は、基地の強化を自治体と住民への負担を著しく増す方向で押し進めている。その際、安全保障問題は国の専管事項であって、地方や市民はあれこれ口出しできないという強引さが目立つ。 法学部で憲法の勉強をしないで弁護士となった某知事は、「基地問題は国の専管事項だ」と主張して、井原・前岩国市長を批判した。井原氏は、憲法再生フォーラムのシンポジウムのなかで、「あの方は一体、憲法をまともに勉強したのでしょうか」と批判していた。司法試験に合格したわけだから、勉強はしたのだろう。問題はその中身である。そこで、「国の専管事項」論で思考停止しないためにも、2年前の岩国住民投票後の憲法記念日に、沖縄の新聞に書いた小論を転載する。
「国の専管事項」の前で思考停止してはならない
水島朝穂
先月4日、米中西部ウィスコンシン州で、イラクからの撤兵を求める住民投票が行われた。州都マディソンなど、32市町村中の24で賛成が多数を占めた。全体で60%が撤兵を支持。04年大統領選挙でブッシュ氏が58%を得票したドレーパーでも、65%の住民が撤兵に賛成した。ショーウッドという南東部の町では、賛成が70%に達した。
「ウィスコンシン平和と正義のネットワーク」のホームページ(http://www.wnpj.org/)を見ると、住民投票の項目は自治体によって異なるものの、「即時の」 (immediate) 、あるいは「いま」 (now) といった切迫したトーンで撤兵を求める点で共通している。
住民投票に法的拘束力はなく、「純粋に象徴的な投票」とも言われているが、「ウィスコンシン州兵と予備役を戻せ」という要求は「故郷の声」であり、ブッシュ支持の住民の心をもつかんだ。地方の小さな町の小さな声の重なりが、ブッシュ政権の終わりの始まりを準備するかもしれない。
◆「たかが一票、されど一票」
日本では〔2006年〕3月12日、山口県岩国市で、空母艦載機移転計画をめぐる住民投票が行われた。投票率は 58.6%。87.4%が移転に反対し、有権者の過半数にあたる51.3%が移転計画に「ノー」を表明したことになる。法的拘束力のない「たかが一票」だが、東京政府には手痛い「されど一票」となった。ちなみに、4月23日の岩国市長選(合併後)では、住民投票を推進した井原勝介氏が圧勝した。
「安全保障は国の専管事項であり、住民投票になじまない」。これが東京政府の立場である。だが、国の安保政策を基本的に支持してきた井原市長も、今回の移転に疑問をもち、反対の姿勢を崩さない。それは単なる「住民エゴ」からではない。「基地のたらいまわし」が自治体にもたらす負の影響をも踏まえてのことだろう。
そもそも米軍再編とは何か。日米安保条約6条による基地提供の条件は、日本と「極東」の「平和と安全」である。米軍再編は、米国のグローバル戦略に沿って、組織・編成から装備、運用思想、兵站に至るまで「バージョン・アップ」することが狙いと言える。だとすれば、日本がここまで多額の負担と多方面の協力を行うということは、安保条約や地位協定のまともな解釈からは出てこない。
にもかかわらず、米軍基地のグァム移転にかかる費用を含めて、米国は日本をATM(現金自動支払い機)のように扱っている。防衛庁長官らの行動パターンも、米国には卑屈で、地元自治体に対しては慇懃無礼、「ご理解をいただきたい」の一点張り。地元の事情を米政府に説明して、「艦載機移転計画は、このような事情で実施は困難です」となぜ言えないのか。
東京政府にとって、「ご理解いただく」対象は地元自治体と住民しかなく、米政府は交渉相手ではなく、「ご要望をうかがう」の相手なのだろうか。
思うに、日米間には「じゃんけん」は一つしかないかのようである。「最初はグー。ジャンケン、ポン」で東京政府は毎回「グー」を出し、米政府は「パー」を出す。ところが、今回、岩国市民は投票で「チョキ」を出したのである。有権者の過半数が反対した事実が明確になることで、米政府も決して心地よいものではないだろう。この構図は、10年前の沖縄県民投票でも、その翌年の名護市民投票でも示された。
なお、岩国住民投票の結果には、もう一つのポイントがある。それは、厚木の空母艦載機部隊の移転が、岩国基地をして、対北朝鮮、対中国に対する最強の前線基地にすることを意味する。これに「ノー」を言った住民投票は、客観的には、アジア諸国に対して、日米政府とは異なる、重要な「平和のメッセージ」を発信したことになろう。
◆自治体の「安全保障」政策
日本国憲法を前提とすれば、何でもかんでも住民投票という立場はとれない。ただ、住民投票を過少に評価することも妥当でないだろう。地方自治の本旨(憲法92条)は、住民自治と団体自治を軸としつつ、地方自治の創造的な展開に対して開かれた関係にある。安全保障政策に関わる問題は、憲法上、条約締結権や外交処理権が内閣にある以上、基本は国の事項ではある。しかし、冷戦が終わり、安全保障は多様な発展の仕方をしており、自治体やNGOなどの市民社会組織も積極的に関わっている。
そうしたなかで、ことさらに、かつ声高に、「外交や安全保障は国の専管事項」と繰り返すことは、時代錯誤のそしりを免れまい。周辺諸国の地方自治体との自治体間の交流など、より具体的な問題において、周辺諸国の地方自治体が問題解決について協力しあうことがますます大切になっている。すでに環日本海市長会議や東北アジア自治体連合などの動きがある。
そのような「自治体外交権」(自治体の対外交渉権)を憲法上積極的に根拠づけようとする学説もある。住民投票もまた、中央と地方の関係のなかでは、地方が中央に対して異議申し立てをする際における「切り札」的な意味ももってくるだろう。「応分の負担」や「国の専管事項」という言葉の前で思考停止してはならない。